2022 花御堂―お釈迦様のお誕生日―

 4月はじめから4月8日にかけて、お釈迦様の誕生会をお祝いして、無人でも気軽にお参りしても

らえるようにお寺の玄関に花御堂をお飾りしました。

 門徒さんが準備して下さった手作りのしおりや花まつりのリーフレットなども置いて、楽しい雰囲気になったと思います。

玄関先で来て下さった方に偶然お会いしたり、ご法事で来た時にお参りしてくれた方もいました。

2022春 みんなで本を読むー聞法会の報告

 法語カレンダーの言葉について書かれた短い文章を読みました。

2月20日(日)

 ふみはずしましたが

 気がつけばここも

 仏の道でございました

 榎本 栄一

 「迷惑をかけてはいけない」より「迷惑を掛けることを許し合える社会」のほうが安心という文を読んで、死んだら迷惑なんですかという疑問や、迷惑をかけないで生きる事について意見交換しました。

4月24日(日)

 われ称え われ聞くなれど

 南無阿弥陀仏 つれてゆくぞの

 親のよびごえ

 原口 針水

 如来の本願は

 風のように身に添い

 地下水の如くに 流れ続ける

 平野 修

 普段疑問に思っている和讃についての質問をいただきました。現是利益和讃という親鸞聖人のお書きになった詩です。

 南無阿弥陀仏をとなうれば
 この世の利益きわもなし

 南無阿弥陀仏をとなえたら、とんでもない御利益があるという内容です。念仏をとなえたから良いことがあるという論功行賞(手柄によって褒美がある)な考え方で、誰でも救われるという他力の教えから外れているように思うというものでした。

 住職も一緒に考えましたが、どうしてだろうと皆で考えていました。住職の話を飲み込んで帰っていただくのが聞法会の目的ではありません。教えの言葉をとおして一緒に考えて、いろんな考え方の人がいるんだと再発見していただけたらと思っています。

2022永代経御紐解法要と春期彼岸法要勤まる

 三月二十日、宗泉寺本堂にて永代経御紐解法要と春のお彼岸の法要をお勤めしました。

 昨年からの試みとして法要中に法名の読み上げをしました。お名前を読んだ方は、新たに過去帳に記載された方、これは昨年一年で宗泉寺が法名を授与し亡くなられた全員です。そして希望者の法名を読み上げました。

 法話は練馬の真宗会館から渡邊誉先生をお呼びして、お話をしていただきました。

 印象に残ったお話しを書かせていただきます。世の中の不安、経済や社会の不安定さ、コロナウィルス、不安の種はたくさんあります。仏教でコロナを消してよと考えます。特別な方法でなくして欲しい。そういう願いによってコロナ退散祈願、祈祷をする宗派もありますが、浄土真宗では祈祷も祈願もやりません。 真宗は病気がただ消えたらいいという考えではありません。嫌な物事は消えてなくなれと思わずにはいられない人の心が明らかにされる。あなたは自分を中心に物事を見ていますよと教えられるのです。

 ですが自己中心のあなたを悔い改めなさいといわないのが浄土真宗です。

十方(じっぽう)微塵(みじん)世界(せかい)

念仏の衆生をみそなはし

摂取(せっしゅ)して捨てざれば

阿弥陀となづけたてまつる

という親鸞聖人の御和讃にあるように、おさめとって(摂取して)捨てることがないから(捨てざれば)、このはたらきを阿弥陀と申すのです。

 嫌なことは消えろと願う私を、おさめとって捨てることがない。そのまま救うというのが阿弥陀様のはたらきです。しかし、そのまま、ありのままを受け取れないのが私達の心です。そのままを明らかにして下さるのが仏法です。

 お寺デ手作り世話人の伊川さんの消しゴムハンコの展示や消しゴムハンコのプレゼントのお楽しみコーナーもありました。

2021  帰敬式受式者聞法会

 

宗泉寺で帰敬式を受けた方に、聞法してもらう機会になればと十二月二十五日に行いました。

 正信偈のお勤めの後に、住職から聖徳太子についてお話ししました。二〇二一年は聖徳太子の一四〇〇回忌という記念の年で特別展も全国でありましたが、コロナ蔓延で盛り上がりませんでした。大谷派でも大切な方として、本堂に掛け軸をお飾りしています。

◆聖徳太子と親鸞聖人

 壱万円札で有名な聖徳太子ですが、政治・経済・文化だけでなく、深く仏教帰依された方です。

 本堂にお飾りしている姿は僧侶の袈裟をつけて父(用明天皇)の病気が治る祈祷をしている太子のお姿です。日本に仏教が広まったきっかけを作って下さった大切な方です。

和国(わこく)教主(きょうしゅ)聖徳(しょうとく)(おう)
広大(こうだい)(おん)徳謝(どくしゃ)しがたし
一心(いっしん)帰命(きみょう)したてまつり
奉讃不退(ほうさんふたい)ならしめよ

皇太子聖徳奉讃(こうたいししょうとくほうさん)

意訳「日本に仏教をひらいた聖徳皇子の広大な恩徳は感謝し尽くすことはできない。こころから仏教を信じ讃えたてまつりましょう」

 親鸞聖人は右のような聖徳太子のお徳を讃える和讃を百八十首以上作っています。

 十七条憲法には「()(もっ)(とうと)しと()す」と権力のため親族で戦争をした太子の平和を願う心が著されています。私達も聖徳太子の遺徳を偲んで仏教を喜ぶ生活を始めましょうと法話をしました。

2021 自死者追弔法要を勤修しました

 昨年12月3日に、宗泉寺本堂において、自死者追弔法要をお勤めしました。

 参詣の皆さんとお勤めをしました。法要中には希望者にご持参いただいたお手紙を御尊前にお供えしていただきました。

 住職の法話の後に、お互いのお話を聞きあう時間を持ちました。話しあいの時間が終わった後も参加者同士でお話しをしておりました。

 対象を限定した追弔法要は初めてでしたので、不慣れなところもあったと思いますが、参加者の皆様と今回の法要を作る事ができました。


◆法要のきっかけ 釋龍源

 以前から自死者への特別な法要はしたいと思っていました。

 なぜそんな事を思うのかというと、自死遺族の方の法要やご葬儀をお勤めさせていただいた時に、各ご家庭でお話しを聞かせていただくことがあります。

 ですが、ご法事の場では親族や親子がいる中でご遺族は思っていることをお話しできないだろう感じていました。

 また力及ばず私がふさわしい聞き役になれないということもあります。

 やはり求められているのは、かけがえのない方を亡くされた人が同じように亡くされた方のお話しを聞き、話すこと。一緒に走ってくれる伴走者を探すということが大切なのではと感じていました。同じ境遇にあったかた同士で気持ちの共有ができればと願っております。

「あなたのことはわかっている」という善人のおしつけが

 かえって溝を深める

 むしろ「人のいたみは察すれどおよばず」という

 (つつ)ましさこそが友情と信頼に基づく同朋精神を育んでゆく

という言葉がございます。

 あなたのことはわかっているという、助けてあげるという心では、心の溝が深まる。むしろ人の痛みは察する、想像するくらいのことはできるけれど痛みを全部理解する事なんてできないという慎ましさをもってこの会を進めたいと思います。決して導こうとか、正してやろうという考えの会ではありません。


 以下は、寺報への掲載を許可して下さった参加者の感想です。数字はXにさせていただきました。

◆参加者の感想

今回はとても良い会だったと思います。本当に誰もいらっしゃらないなら帰ろうと思いましたが帰らなくて良かったです。

 お経を聞いて何だかわからないけど自死してしまった人と残された者の事を心配してくださる気がして泣けて泣けてしかたがありませんでした。

 法話のお言葉もなるほどと感じましたし、その後の座談も同じ思いをしている人が自分だけでなく、皆さん大変な思いをしていらっしゃる事。

 X年前にお子さんを亡くされた方の「人数が増えないといいですね」の一言。本当にずっとX人だけだったら良いのにと願いました。

 

○本日はこの会を開催してくださり、ありがとうございました。時間超過して申し訳ありません。

 わかちあいの時間はもう少し長めに取ってくださった方がありがたいと思います。初回だからなおさらかもしれませんが、お話ししたいことがたくさんあったのだと思います。

 今まで心の中で溜めたものを吐き出したい、吐き出せる場所を提供してくださったことに安心していらっしゃるのだと思います。この会の継続を希望いたします。

2021冬 みんなで本を読むー聞法会の報告

11月20日(土)

 法語カレンダーの言葉について書かれた短い文章を読みました。仏教に興味があるという若い方もいらっしゃいました。お葬式の事が書かれていたので参加者と葬儀について思うことをお話ししました。

1月23日(日)

 法語カレンダーの表紙の言葉

念仏は まことなき人生の

まことを 見せしむる光

1月の言葉

きょうもまた 光り輝くみ仏の

お顔 おがみて うれしなつかし

という言葉について書かれた短い文を読みました。

 テキストは本願寺派のものと大谷派のものの二種類を読んでいるので、同じ法語について書かれていても宗風の違いが感じられて面白いという感想もありました。

 YouTubeの法話を聞いていると機械が法話の動画を勧めてきて、驚いて怖かったとお話してくれた方もいました。

 今年お送りしたのはテキストの法語カレンダーではなかったのですが、去年と同じ縦長のカレンダーが欲しいという方はお寺に数冊ですが在庫がありますのでお持ち帰り下さい。

2022 修正会勤まる

 1月1日午前10時より、宗泉寺本堂にて修正会を参詣者とお勤めしました。正信偈と御文の拝読、法話をしました。

 朝のお勤めは1月1日から“繰り読み”とよばれ、お勤めの内容が変わっていきます。

 朝のお参りをお朝事(おあさじ)といいます。毎朝正信偈と、親鸞聖人がお書きになった御和讃326首と、蓮如上人がお書きになったお手紙(おふみ)80通を順番に読みます。

 その繰り読みも1月1日にリセットされて和讃一首目と御文1-1から読み始めます。ですからお正月には本山から末寺、また各ご家庭でも同じお勤めがあがります。

 これも新しい年を迎えて新たな気持ちでお参りをする、お正月らしい習慣です。

 今年もまだコロナの心配が続きますが、顔を合わせて新年の挨拶ができたことで、ホッとできる時間が持てました。ご参詣ありがとうございました。

2021 報恩講・秋彼岸会法要 勤修

 ワクチン接種が進んではいましたが、まだまだコロナ感染が心配な時期でしたので、申し込み制で人数制限をしてのお勤めになりました。 参加は難しいのでと懇志を送って下さったり、インターネット動画での配信を見て下さった方もいました。それぞれの方法でお彼岸、報恩講に思いを寄せて下さっているのが感じられ、有り難かったです。

 講師の先生に遠方から来ていただいて良いのかも悩みましたが、直接御法話を聞かせていただきました。

 滋賀県東近江市より、瓜生崇先生においでいただきました。滋賀の大谷派のお寺のご住職で、日本全国で御法話をされています。宗泉寺でも何度かお話をしていただいています。

 今回は大谷派で大切にされているお経のひとつである『仏説観無量寿経』についてお話しいただきました。

 おおざっぱにですが、どういう内容なのかあらすじを記します。

 『観無量寿経』と言うお経は、古代インドの国、マガダ国の王子アジャセが、仏弟子ダイバダッタにそそのかされます。父であるビンバシャラ王を幽閉し殺害しようとします。次いで母イダイケ夫人が幽閉されたというお話です。

 次に、閉じ込められたイダイケ夫人の願いに答えてお釈迦様が現れます。

 イダイケ夫人は「何でこんな目にあわなきゃならないんだ」とお釈迦様に愚痴をこぼします。「どうかこんな親子が殺し合う世界ではない、どこか良い世界を教えて欲しい」と願います。

 お釈迦様は全宇宙の尊い方が治める世界を一つ一つイダイケ夫人に見せます。夫人は、その中で阿弥陀仏の世界(安楽国)に生まれたいと願いを起こします。イダイケ夫人は「私はお釈迦様の力で安楽国を観ることができましたが、後の世の人はどうすれば安楽国の世界に触れて安らぐことができるでしょう

か」と教えを請い、お釈迦様が応えるという内容になっています。

「無量寿(阿弥陀)仏を観るお経」ということから歓無量寿経というタイトルになっています。

細かな内容や大事なところを先生がとても詳しく面白くお話しして下さったのですが、中でもお釈迦様を前にしていきどおるイダイケが瓔珞を引きちぎって投げ捨てる姿と、ある先生が法話で病気が重くなるにつれて念仏をありがたがっていたお婆さんが嘆き悲しむ姿をありがたいものと言われた話が特に印象に残っています。人はどんなときでも格好を付けたいと思っているという指摘に、とても思い当たって。格好をつけたいと思っている自分を見ないようにしていたと思いました。

2021 新盆合同法要・盂蘭盆会合同法要勤まる

 

 7月11日には新盆合同法要を、8月1日には盂蘭盆会合同法要を宗泉寺本堂に於いてお勤めしました。

 どちらも、人数を大幅に絞っての開催のため先着申し込みとし、時間をこちらで決めさせていただきました。皆様のご協力の御陰で無事にお勤めすることができました。ありがとうございました。

 また、動画配信サイトにて当日の動画をご視聴いただきました。

 大幅に人数の制限をお願いしましたので、来られなかった方も一緒にお参りいただければという思いで配信しました。五十回ほどの再生数でしたが安心して参詣できたと好評でした。


新盆法要の法話

仏教では命は六道輪廻をめぐるといわれています。良いことをすれば良い世界に生まれ、悪いことをすれば悪い世界に生まれるという輪廻転生の考えです。

善因楽果(良いことをすれば楽しいことがある)・悪因苦果(悪いことをすれば苦しいことがある)という自業自得の教えは、仏様(悟りを開いた者)以外には、何が善で何が悪か判断ができません。真実を知らないからです。

悟りを開けない、真実を知らない人は南無阿弥陀仏の大悲の救いを頼りにしましょうというお話をしました。


盂蘭盆会法要の法話

 コロナウィルスで思い通りに行かないことが多くて嫌な気持ちがします。思い通りに行かない最たるものは死です。お集まりの方は死をご縁におこし下さいました。

 私も老いて病み死にゆく身ですが、なかなかそうは思いません。亡くなった方の事を思い出し、自分自身もまた限りのあるものであると思い出しましょうというお話をしました。

 当日行けないので、家で一緒にお参りしたいと開始時間などをお問い合わせ下さったり、懇志を寄せて下さった方もいらっしゃいました。

 開催した頃はオリンピック開催前で、ワクチン接種も少しずつ行われ始めていました。この報告を書いている今、感染力の高いウイルスに変異したことや、自宅で重症になり苦しんでいる方や亡くなる方のニュースも多く聞きます。

 人ごとではなく、不安の大きい毎日ですが、できる方法や対策を考えながら、活動していきたいと思っています。

 

詩「南無阿弥陀仏の日暮らし」     

 東本願寺出版の『お彼岸』に載っていた言葉を転載します。熊本県玄徳寺の住職の祖母が口ずさんでいた詩です。

あぁ知らなんだ 知らなんだ

三度の食事は いとわねど

二度のお礼が 大義(たいぎ)でならぬ

日々に一度の お(ぶっ)(ぱん)

枯れたお花の たてかえも

不承不承(ふしょうぶしょう)でする

このわたくしを 第十八願の

お目当てとは 今の今まで

知らなんだ 知らぬ昔は

是非(ぜひ)もない 知らせてもろおた

今日からは 両手あわせて

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の

日暮らしが 何よりと(ぞん)ずる

次第(しだい)でございます

 旦保心治意訳(三度の食事は嫌ったことがないが、二度のお礼―朝夕の勤行が面倒でならない。日に一度のお仏飯も、枯れた仏花の交換も仕方無しで嫌々やっている。この私が阿弥陀様の御名を聞けば、必ず救われるというお目当てであったとは知らなかった。今日からは両手合わせて南無阿弥陀仏の日暮らしが何よりだ)

口に出して読んで頂けると五七調で読みやすいと思います。