Q般若心経は仏教なら読むのが常識でしょ?

A 浄土真宗は読みません。

 般若心経は宗派問わずに読誦すると認識している方は多くいらっしゃいます。法相宗・天台宗・真言宗・禅宗などの宗派や修験道・神道でも読まれています。一方、浄土真宗や日蓮宗などは般若心経を読まない宗派です。

 般若心経は、大乗仏教の空の教えを説く短い経典です。仏教の教えを理解し、学んでゆくには大切な経典です。しかし、非常に難解で厳しい条件を乗り越えたものが、たどり着ける境地について書かれています。

 まず「観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時」から始まります。観音菩薩というほぼ仏と同じ境地になった修行者が主語になっています。菩薩とは自分の救いはいらないから、他の人が救いたいという大願をもった人です。その人が深般若波羅蜜多という、「人間には到達不可能な、深い瞑想と智慧の境地に身も心もたどり着いている時」の話です。

 その様な修行が完成している立派な菩薩様の話を聞いても「私ってダメ、努力不足、修行も信仰心も足りないせいで、苦が苦だと感じてしまうんだ」となってしまいます。

 また、教えを聞いている人も釈迦十大弟子の中で智慧第一の舎利子が教わっているのです。数千人の仏弟子で一番頭がよいシャーリープトラが生徒になっています。そのレベルの授業なんです。

 最後の方には「能除一切苦(よく一切の苦を除く)」と書かれており、般若波羅蜜多が完成していると苦はなくなると説かれております。「その般若波羅蜜多が身に付かなくて苦しんでいるんです」となってしまいます。

 つまり、般若心経は最上級者向けの内容だから、短くて深い内容になるわけです。

 さて、浄土真宗は阿弥陀如来による救済を説くために、阿弥陀如来についてのお経である三部経を大切にしています。ですから、ご法事や毎日のお勤めは阿弥陀様の救いが書かれているお経を読むわけです。

一般的な仏教は自分が努力して頑張って、仏に近づく自力という方法を選びます。浄土真宗は阿弥陀仏の力(他力)の救いという教えです。

 親鸞聖人のお手紙が書物になった『末灯鈔』に、このような話があります。

 往生の根機に他力あり、自力あり。(中略)まず、自力と申すことは、行者のおのおのの縁にしたがいて、余の仏号を称念し、余の善根を修行して、わがみをたのみ、わがはからいのこころをもって、身・口・意のみだれごころをつくろい、めでとうしなして、浄土へ往生せんとおもうを、自力と申すなり。

意訳:浄土に生まれる方法に他力と自力がある。まず、自力とは修行者のそれぞれの縁によって、色んな仏の名をとなえたり、様々な善い心で修行して、私の身を頼みとし、私の判断で身も言葉も心も乱れた心をつくろって、立派にして浄土に生まれようと思うことを自力という。

 また、他力と申すことは、弥陀如来の御ちかいの中に、選択摂取したまえる第十八の念仏往生の本願を信楽するを、他力と申すなり。

 

意訳:また、他力とは、阿弥陀如来の約束のなかで選び抜かれた、念仏をとなえたら浄土に生まれさせようという約束を信じることが他力という。

 自分の努力で浄土に生まれようとする方法ではなく、阿弥陀如来の約束を信じるのが浄土真宗の教えです。

 親鸞聖人がお説きくださったように、自分の力で修行し般若波羅蜜多を身につけて、立派になって浄土に生まれようとする、自力はとても難しいのです。

 今の私でも達成できそうな教え・経典を選んでいただければ良いと思います。

 「私って本来は空なのに何で苦しいんだろう」と思ったり「覚りの智慧から見れば生まれてもいないし死にもしないのに愛する人が亡くなって辛い」と思う私には、残念ながら『般若波羅蜜多心経』は分からないのです。その様な人が集まって浄土真宗がおこったともいえるわけです。

 生活環境で『般若心経』に馴染みがあるという方も沢山いらっしゃいます。他宗の経典も仏教を勉強するには良いきっかけになるかも知れませんが、残念ながら自力の経典は「私の人生の拠り所となる経典ではない」と浄土真宗では考えるのです。

 自分の努力で浄土に生まれようとする方法ではなく、阿弥陀如来の約束を信じるのが浄土真宗の教えです。浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、どんな人でも阿弥陀様が救ってくださると説かれました。ですから、実践の難しい『般若心経』ではなく、『浄土三部経』を人生の拠り所と考えているのです。

2024年 年回表

回忌没年
1周忌令和 05年(2023)
3回忌令和 04年(2022)
7回忌平成 30年(2018)
13回忌平成 24年(2012)
17回忌平成 20年(2008)
23回忌平成 14年(2002)
27回忌平成 10年(1998)
33回忌平成 04年(1992)
37回忌昭和 63年(1988)
43回忌昭和 57年(1982)
47回忌昭和 53年(1978)
50回忌昭和 50年(1975)
100回忌大正 14年(1925)

法名 釋○○について 釋龍源

 法名について説いて欲しいと要望がありましたのでお知らせします。

法名とは

 まず法名とは仏教徒がお釋迦様の教えを、依り(より)所として生きて行きますという決意の名前です。

 依り所とは、普段の生活の中でこの考え方で生活していこうと指針となるものです。

 法名の一番の誤解は亡くなった後につける名前だと考えられている所です。生前ご縁がなかった方は亡くなった後に名づけております。

法名と戒名

 一般的な仏教徒名は戒名だと思います。戒名とは戒律を守り生きていくという名前です。受戒(戒律を授けていただく)時に師匠に名前をいただきます。お釈迦様の教えに基づいて十戒や五戒という在家仏教徒のルールである戒(僧侶は二百戒)を守って生きたいという決意の名前です。

 浄土真宗は戒律がない非常に珍しい仏教です。戒律を守ったものが悟りに近づくというルールでは、戒律を破ることは悪です。一番守るのが簡単だと言われる不殺生戒(殺さないルール)でさえ、害虫がいればすぐ破ってしまうのが私たちの生活です。

 普通の生活を送るものにとっては戒律を守ることは大変難しく、成し遂げることができません。

 そこで戒律を守って悟りに近づく道ではなく、どんなものであっても見捨てない阿弥陀仏におまかせする道を選んだのが浄土教の教えです。

 法名はお釈迦様の御法(おみのり、法則)を大切にする名前です。だから御法の名で法名といいます。

釋という字に込められた願い

 次に、法名に付く釋の字は、お釈迦様の釈という字の旧字体です。親鸞聖人も釋親鸞と名のっております。古くは四世紀の僧侶道安が、仏教徒はお釋迦様の弟子だから釋をつけようと書物に残しています。

 釋という字は、お釈迦様の弟子となりたいという字です。お釈迦様はご自身が「私は師匠となるから弟子募集中です」と説いた訳ではありません。お釈迦様の教えを生きる目標にしたいと選んだ方々が弟子となったのです。

 お釈迦様亡き後は、その弟子達が教えを伝えてきました。

 お釈迦様の教えを実践し、悩み苦しみから解放されて、覚りを開き仏陀になる。それが仏教徒の目標です。

 ですが現実の私たちは自分の環境やご縁によって、できる事には限界があります。だからせめて名前だけでも、お釈迦様の弟子として生きていきたいという願いの名前を名のる訳です。

俗名でも良いのでは?

 俗名は必ず世間の価値がついてきます。インドでも中国でも日本でも名字には尊い家柄、卑しい家柄という世間の価値がついてきます。名字を捨て、名前を捨てて一人の仏教徒として歩み始める訳です。

 また亡くなった方に法名をつけることは、縁のあったこの人は私を教えに導く仏様だったのだと敬っていくためではないかと考えます。

法名が短い理由

 最後に法名の字が他宗と比べて少ない、短いというお話もよく聞きます。浄土真宗の開祖親鸞聖人はご自身のことを釋親鸞と名乗られております。また親鸞聖人が大切にされた僧侶の曇鸞和尚も「釋曇鸞法師」と呼ばれた記録もあり、釋○○という三文字の名を名乗る伝統が中国から伝わってきました。

 そういったことから、浄土真宗の法名は、同じお釈迦様の教えを聞くものは人の上下をつけずに釋○○という三文字の名前をいただくのが浄土真宗の伝統です。

 女性の場合に尼という字をつけて四文字にします。尼とは比丘尼(ビクニ)という女性仏教徒を表す言葉の一文字です。親鸞聖人のお連れ合いの恵信尼公が尼という字をつけていたこともあり、法名を授かりたい方が女性の時に尼という字をつけています。

 ですが現代では女性だけに尼をつけるとは良くないのではという考えもあります。女性だけ女弁護士・女教師のように女仏教徒と名づけることが必要なことかという問題があります。

 以上が法名に関する疑問の多くです。これ以外にも院号のことや、入れたい文字のこと、ご葬儀後の法名授与の相談等があります。

 法名を授かり新たな歩みを始めたいという方がいらっしゃれば帰敬式を執行しております。是非ご相談ください。

2023 Q&A 住職に聞きたい

 お香の灰を捨てる時は塩を入れて二・三ヶ月に一回灰を変えると仏具店に聞きましたが本当ですか?

 全くの迷信です。お仏具の事や御本尊の事・おかざりの方法などは宗教に関わる事です。ぜひ宗教家である僧侶にご相談ください。


問 ご法事の日にち、喪主に聞きづらいから、お寺さんに教えてもらいたいです。

 お寺は守秘義務があります。ご法事が開かれるかはお答えできかねます。


問 厄払いってやったほうが良いですか?

 男性の厄年が前厄・本厄・後厄あわせて十二回、女性では十五回あるそうです。六十二歳まであり男性なら平均五年に一年、女性ならば平均四年に一年厄年があるようです。厄年というルールに縛られなければその一年も普通の一年になります。

仏教は日の善し悪しを説きません。

2023 お盆(盂蘭盆会)について

浄土真宗のお盆

 お盆は仏教の行事の中でも最も有名な法要だと思います。各ご家庭でも、お内仏(御仏壇)の前に座り、ご家族でお勤めしていただければと思います。お花を替えて、灯明をつけて、香を焚いたら、両手を合わせて「南無阿弥陀仏」と念仏もうしましょう。

 お盆をご縁に亡き人に思いをはせてみてはいかがでしょうか。


お盆の由来

Q なぜやるの?

A 日常の心をひるがえし、教えをいただくためです。

Q いつですか?

A 『盂蘭盆経』には七月十五日にお勤めすると説かれています。日本では地域によって七月・八月と別れています。

Q どこでするの?

A お寺やお内仏(仏壇)の前でお勤めします。

Q 誰がするの?

A 『盂蘭盆経』では釈迦の弟子のモッガーラナ(目連)尊者が供養します。現実では私達がやります。

Q 何のためにするの?

A 真宗では仏様の教えをいただく為ですが、一般的には『盂蘭盆経』に説かれた方法で死後、餓鬼道に生まれた人を救うためです。

Q どうやるの?

A 真宗ではやる必要がありません。『盂蘭盆経』では百種の食物を修行者たちに召し上がってもらいます。一般的な仏教の考え方では、寺院維持の協力や僧侶への施しや、自分が生活の中でできる事をしていくことです。

宗泉寺ラインにご登録を

 以前は住職個人のラインを公開しておりましたが、宗泉寺のラインを始めました。ご登録いただきますと毎月の法語を送っております。

 お寺からは大勢の方にメッセージをお出ししておりますが、お一人ずつのメッセージは個別のやりとりになりますので他の人に見られることはありません。

 ご法事の日程のご相談では、文字として記録に残りますので、何日と言ったか不安という事もありません。また、ご法事の持ち物も電話と違ってメモを取る必要がありませんので、聞き逃しがありません。

 さらに、写真でのやりとりも可能です。家のお仏壇の飾り方これでよいの? 仏壇に入っていたこれどうしたら良いの? など映像でやりとりが出来ます。

 電話をかけると相手も忙しい時間かもと心配になりますが、ラインなら夜中に思いついた事でも、お互いの手の空いている時にやりとりが出来ます。お気軽にお寺とやりとりしてください。

 友達登録した後、メッセージにてお名前をお送りいただけますと話が早くなります。

2023年 年回表

年回表について

 年回表はあくまで目安です。表の通りでなくても法要をお勤めできます。毎月のご命日・祥月命日のお参りもしております。

2023年 年回表

年回年回にあたる没年
1周忌令和4年 2022年
3回忌令和3年 2021年
7回忌平成29年 2017年
13回忌平成23年 2011年
17回忌平成19年 2007年
23回忌平成13年 2001年
(25回忌)平成11年 1999年
27回忌平成9年 1997年
33回忌平成3年 1991年
37回忌昭和62年 1987年
43回忌昭和56年 1981年
47回忌昭和52年 1977年
50回忌昭和49年 1974年
宗泉寺 ☎0467-51-7255

2022 コロナ禍での法要の対応

 年忌はやっぱり集まって勤めたい、でも不安だなあという時は状況が落ち着くまで延期にするという方もいます。
 遠くの親戚を呼べないが、近くに住んでいる人でお勤めしようという方もいます。LINEなど、動画で法要を中継する方もいます。お考えの方はご相談下さい。
 法要の後に写真を撮る方も増えました。来られなかった方に見せたり、後で振り返った時に子どもさんの成長や法要の日のことを思い出すきっかけになります。撮影いたしますのでお気軽にお申し出下さい。

2022 お盆に参列せず法要

 毎年のお盆や月命日を依頼されていた方から、お寺で参列なしでお勤めをしておいて欲しいという要望が数件あり、八月十三日に本堂でおつとめしました。
 再び増えているコロナ感染が心配、お寺に来る交通手段がないといった事情もあるようです。集まったり外出することは心配だけれど、亡くなった方のために何かしたいと思う方はご相談ください。
 ご希望があればLINEやZoomなど、動画で法要の中継もできます

2022 新盆合同法要・ 盂蘭盆会合同法要勤まる


 

新盆本堂荘厳

7月10日には新盆合同法要を、8月7日には盂蘭盆会合同法要を宗泉寺本堂に於いてお勤めしました。
 どちらも、人数を大幅に絞っての開催のため先着申し込みとし、時間をこちらで決めさせていただきました。皆様のご協力の御陰で無事にお勤めすることができました。ありがとうございました。



法話中の住職

新盆法要の法話
 『仏説阿弥陀経』の中の


 「阿弥陀仏の教えを聞き、阿弥陀仏の名号を心に念じ、声を出して称えることを、一日、(中略)もしくは七日と続けて乱れることがないならば、その人が命を終えるとき、阿弥陀仏が多くの尊いお弟子と共に、その人の前に姿をお見せになります。そのために、命を終えようとしている人は、死の不安を感じることもなく、心を安らかに保ったまま、極楽浄土に生まれることができるのです」(和田真雄訳)

という経典のお言葉をお話しました。南無阿弥陀仏と念仏申せば極楽に生まれるとお釈迦様が説いている経典です。お経って内容があったんだと驚かれる方もいらっしゃいました。



盂蘭盆会法要の法話
 「『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。」
前日の八月五日にあった広島市長松井一実さんの「平和宣言」からお話ししました。皆で一緒に救われようという大乗仏教の教えを大切にしましょうとお話ししました。


 正午の法要では、今話題の宗教団体と政治の関わりについて、過去に政治と一体になって仏教教団が国策に協力した歴史をお話ししました。


 午後は阿弥陀経に出てくる極楽の鳥達と餓鬼についてお話しをしました。姿は違えども、私達に教えを伝えようとしてくれているとお話ししました。

客間での中継の様子