2024夏 みんなで本を読むー聞法会の報告

 住職から30分ほど正信偈についてお話を聞いた後、法語カレンダーの言葉に関する短い文章を読みました。仏教や真宗の話もしますが、法語をきっかけに、それぞれ普段思っている事や体験などを話しました。

  2月29日(木)

念仏をはなれて

 仏もなく 自分もない

 金子 大榮

 

 お参りするときの手を合わせる形について、その時は手を動かせない、仏様におまかせという形だというお話が出て、なるほどなあと思いました。法語の前後の文章やどんなときに言われた言葉かも知りたいねという話題も出ました。


4月26日(金)

まことに 浄土真宗とは

   聞法が いのちであった

 近田 昭夫

南無阿弥陀仏が 

私の救われるしるしであり 証である

梯 實圓

お休みだった3月と、4月の法語について読みました。「見た目や能力という価値観とは異なる、今ここの自分自身として生きることが仏教の救い」という文に、こういう心になれたらいじめも無くなるという話も出ました。身近な人がなくなった時の話や家族のことなど、色々なお話をお聞かせいただきました。

2024春 みんなで本を読むー聞法会の報告

12月22日(金)

 12月の法語

一人一人がお浄土を飾っていく 

一輪一輪の花になる 

梯實圓

についての文章を皆さんで音読しました。スマップの「世界に一つだけの花」の引用があり、歌詞と法語が解説されていました。お経の中の「浄土の蓮は光を放つ」という言葉と、一人一人輝いて生きようという歌詞を結びつけたものでした。感想として、目指す方向があり、そこに進もうというのは宗教ではなく文化ではないか? 赤い光が赤い光を放たなければいけないというのも押しつけではないか。亡くなったら浄土の花になると断言されると受け入れがたいという意見がありました。


  1月25日(木)

 住職から正信偈についてお話がありました。能発一念喜愛心から如衆水入海一味の部分で信心の利益の解説でした。次いで法語カレンダーについての冊子を読みました。

 表紙の言葉

光明と名号がからみあい

   妙なる音楽を奏でている

           青木新門


 表紙の言葉についての文章を読み、青木新門さんについてのお話や参加者それぞれどのように真宗とご縁ができたのかなどお話が盛り上がりました。

 2024年も、ひとまず法語カレンダーについての冊子を読んでいく予定です。

 今年の法語カレンダーと冊子は、まだいくらかお寺に在庫がございます。欲しい方にはさしあげますのでお申し出下さい。

2023冬 みんなで本を読むー聞法会の報告

 ここ数年は法語カレンダーの解説書『今日の言葉(大谷派)』と『こころに響くことば(本願寺派)』を読んで同じ法語をどう受け取っているかを読み比べています。


◇10月20日(金)

 前半は住職の『正信偈』のお話しです。本願名号正定業~必至滅度願成就のお話です。第十八願の至心信楽の願について聞きました。

 阿弥陀様が南無阿弥陀仏と称えて欲しい、名前を呼んで欲しいと願って下さっている。だから、私たちが南無阿弥陀仏と称えることができますというお話でした。

  十月の法語

念仏というのは 私に現れた 仏の行い   坂東 性純

 親鸞聖人の750回御遠忌法要のテーマ「今、いのちがあなたを生きている」という表現について話し合いました。法然上人のお弟子の耳四郎という元大盗賊のお話も印象的でした。大盗賊も阿弥陀様は救うというお話です。テーマも耳四郎も、主語は私ではなく阿弥陀様からの呼びかけが中心にあるということなのかなと思いました。


◇11月29日(水)

 前半は住職の『正信偈』についてのお話を聞きました。前回までの振り返りも交えつつ、内容を解説していきます。如来所以興出世~応信如来如実言のお話です。

 お釈迦様が覚りについて人々に説くことがこの世界に生まれた本来の目的である、という出世本懐のお話。また、浄土真宗の大切にしている『大無量寿経』について少しふれました。親鸞聖人がお釈迦様のお弟子の中で覚ることができなかった阿難尊者に語りかけるお経を大事にしているという意味についてお話しました。

11月の法語

生の依りどころを与え 死の帰するところを 与えていくのが 南無阿弥陀仏   金子 大榮

 自力でなく、阿弥陀様におまかせして救っていただくということ。欲望を反映したいいところという浄土にいくということではない事などについて読みました。

 若い世代にどうやって伝えていくのかなど、宗教二世の話も出たりと色々話し合いました。

 皆様のご参加お待ちしています。

2023夏 みんなで本を読むー聞法会の報告

 ここ数年は法語カレンダーの解説書『今日の言葉(大谷派)』と『こころに響くことば(本願寺派)』を読んで同じ法語をどう受け取っているかを読み比べています。

◇4月25日(火)

 前半は『正信偈』のお話しです。

 「建立無上殊勝願から重誓名声聞十方」の解説です。『無量寿経』の法蔵菩薩が二百十億の仏の国々を視察して長い間考えて、この上ない本願を建てたというお話をしました。

こころにじごくがあるよ ひにちまいにち ほのをがもゑる 浅原 才市

 己が地獄を作っているという文章や虐待をどう思うかと聞きあいました。

仏法の鏡の前に 立たないと 自分が自分になれない 二階堂 行邦

 参加者の「鏡は近づきすぎると見えない」という言葉が心に残りました。

◇5月24日(水)

南無阿弥陀仏とは 言葉となった 仏なのです     安冨 信哉

 「言葉となった仏様から救われているのに、言葉で人を傷つけるのは仏様を裏切ることになる」という文章がトーンポリシングではないかと言われました。

 知らない言葉だったので調べました。トーンポリシング(Tone Policing)とは、論点のすり替えの一種。発言の内容ではなく、それが発せられた口調や論調を非難することによって、発言の妥当性を損なう目的で行われることだそうです。「言い方が悪い」といって発言の機会をつぶす方法だそうです。

 究極の善を知らない我々が「そんなこと言ったら仏様を裏切ることになる」と言われたら何も言えなくなると思いました。

◇6月27日(火)

 『正信偈』の「普放無量無辺光から一切群生蒙光照」の文のお話をしました。十二光仏という阿弥陀如来の別名のお話と讃阿弥陀仏偈和讃のお話をしました。

信は 如来の生命なり 小山 法城

 「救い主はいのちであり、いのちは母である」と例えるのは現代では違和感があるという話があがりました。科学と宗教で考えていることを参加者で話し合いました。

2023春 みんなで本を読むー聞法会の報告

 法語カレンダーの言葉について書かれた短い文章を読みました。

 住職が葬儀で急遽欠席のため、正信偈のお話はお休みして、本を読み話し合いをしました。聞法会は、火葬場がお休みの友引の日に予定していますが、この頃はお休み無しの火葬場もあるようです。

2月20日(月)

世の中に

 最も度し難いものは

 他人ではない この私

    稲城 選恵

 読んだ文章の中に、おみがきの話が出てきました。出席の方から、子どもの頃にワラの灰を使ってお磨きをしたことやお祖父さんお祖母さんの家での思い出などを聞くことができました。

 また、かつては家庭の中心にお内仏があり、生活の中でたくさん南無阿弥陀仏と口にしていた人がいたけれど、今はどうなのかということも話題になりました。昔とは生活様式も変わってきたなかで、それぞれに無理のない形で次世代にお念仏のことを伝えていく難しさを思いました。これまでも、写真やインターネットなど、時代時代に新しく出来たものや制度にあわせて変化してきた部分もあります。大事な部分は伝えていきながら、うまく変えていくことは大変だなと感じています。

2023春 みんなで本を読むー聞法会の報告

1月23日(月)

 前半は正信偈について住職がお話ししました。正信偈の成り立ちや構成について、スライドも使って説明しました。今のように朝晩読まれるようになったのは、蓮如上人の頃からというのは知らなかったので、面白いなと思いました。今後も続けていく予定なので、正信偈ってどういう事が書いてあるのか知りたいと言う方も是非ご参加下さい。

 後半は今年の法語カレンダーの

「親鸞聖人の出現は 私一人のためであった」

「この世のことは 何事も何事も お念仏の助縁」

についての文章を皆さんで音読しました。家庭内で感謝することの難しさや日頃の生活で思うことなども話題になりました。

 法語カレンダーはお寺の玄関にて、少しですが配布中です。欲しい方はお参りや行事に見えられたときにでもお持ち下さい。

2022 帰敬式受式者聞法会

 

 宗泉寺で帰敬式を受けた方に、聞法してもらう機会になればと12月3日に行いました。

 今回は住職から法然上人と親鸞聖人についてお話ししました。

 法然上人は親鸞聖人の師匠であり浄土宗を興された方です。

 お寺の集まりや朝晩のお勤めで読まれている『正信偈』にも、法然上人が源空というお名前で出てきます。親鸞聖人がお作りになった『和讃』にも法然上人を取り上げたものがあります。『歎異抄』の中にも、親鸞聖人が法然上人についてお話しする有名なエピソードがあります。

 勉強して修行しても煩悩が無くならず苦しんでいた親鸞聖人にとって、南無阿弥陀仏をとなえ阿弥陀様におまかせするという法然上人の言葉が本当に特別だったのだなあということが伝わってきました。

 帰敬式を受式した方でなくても、お話しを聞いてみたい方はお気軽に参加できます。     (坊守)

2022秋 みんなで本を読むー聞法会の報告

 コロナ対策として、距離を取って、時短、マスク着用参加、飲食は無し、短い本を参加者で読んで感想や疑問を話し合います。

9月19日(月)

 法語カレンダーの『手を合わせ 仏さまを拝むとき 私のツノを 知らされる』という言葉を二種類のテキストを音読しました。

11月27日(日)

 法語カレンダーの『たとえ一人になろうとも 仏はあなたと 共にある』という言葉についてテキストを読みました。言葉のもつ寄り添いの気持ちを話し合いました。

 また、340年前に東西本願寺に別れた大阪府八尾市のお寺が和解したテレビ番組のことが話題になりました。「340年ごしの和解 〜親鸞の血脈を引く二つの寺〜」NHKで放映されたので見たという方もいらっしゃるのではないでしょうか。歴史の証言や資料を保存することの大切さや、長い年月が経っても和解していけることがあると話し合いました。浄土真宗で一つになれないのかと言われているようでした。

2022夏 みんなで本を読むー聞法会の報告

 コロナ対策として、距離を取って座る、時間を短縮、マスクを付けての参加、お茶タイムはなしで、仏教の本を皆さんで読んで感想や疑問を話し合っています。
  五月二十九日(日)
「失ったものを 数える人あり 与えられたものに 感謝する人あり」 豊島 学由
 参加者の「夫を亡くした後、ケンカする相手がいるだけ良い、一人でご飯はさみしい」というお話しが印象に残りました。コロナの影響で変化した葬儀やお見舞いや介護のお話しもしました。


  六月二十六日(日)
「この心も身も全部 如来からの いただきもの」  大峯 顕
 参加者の方からキリスト教の教え「頂いた命」「借りた命」を教わりました。自分の肉体は、借りた体なので邪険に扱わない。そして他人も大切にできる考えです。法語を見てお話し下さいました。

2022春 みんなで本を読むー聞法会の報告

 法語カレンダーの言葉について書かれた短い文章を読みました。

2月20日(日)

 ふみはずしましたが

 気がつけばここも

 仏の道でございました

 榎本 栄一

 「迷惑をかけてはいけない」より「迷惑を掛けることを許し合える社会」のほうが安心という文を読んで、死んだら迷惑なんですかという疑問や、迷惑をかけないで生きる事について意見交換しました。

4月24日(日)

 われ称え われ聞くなれど

 南無阿弥陀仏 つれてゆくぞの

 親のよびごえ

 原口 針水

 如来の本願は

 風のように身に添い

 地下水の如くに 流れ続ける

 平野 修

 普段疑問に思っている和讃についての質問をいただきました。現是利益和讃という親鸞聖人のお書きになった詩です。

 南無阿弥陀仏をとなうれば
 この世の利益きわもなし

 南無阿弥陀仏をとなえたら、とんでもない御利益があるという内容です。念仏をとなえたから良いことがあるという論功行賞(手柄によって褒美がある)な考え方で、誰でも救われるという他力の教えから外れているように思うというものでした。

 住職も一緒に考えましたが、どうしてだろうと皆で考えていました。住職の話を飲み込んで帰っていただくのが聞法会の目的ではありません。教えの言葉をとおして一緒に考えて、いろんな考え方の人がいるんだと再発見していただけたらと思っています。