2024春 自死者追弔法要を勤修しました

 12月11日に、宗泉寺本堂において、自死者追弔法要をお勤めしました。

 参加者全員でお勤めをし、法要中にはご持参いただいた大切な方へのお手紙を御尊前にお供えしていただきました。

 住職の法話後、聞きあう時間を持ち閉会しました。

 次回は6月に開催します。詳しくは行事案内をご覧ください。


 参加者の感想(了承をいただいて掲載しています)

 普段思っていてもなかなか話せない中で、こういう時間を設けて機会を作って頂く事が有り難いです。話を聞いてもらうことで、自分の気持ちを整理することもできました。じっくり聞いてもらえて、嬉しかったです。

2023夏 自死者追弔法要報告

 2023年6月5日に宗泉寺本堂にてお勤めしました。

 皆さんで正信偈をお勤めしたあと、住職から少しお話しをさせていただき、その後お互いのお話しを聞きあう会を行いました。

 許可を得て、参加された方の感想を掲載します。


○参加していつも思うことは、お寺さんで気にかけて下さっているありがたさです。子供の事を思わない日はないけれど 親が下を向いていたら子供は喜んではくれないだろう。少しでも前を向いていこうと思います。


○今日は、ありがとうございました。

 やっぱりまだ人から見ると心配させる人なんだと痛感しました。

 でも世の中の人は、やさしい人が多いのだという事も今日思いました。

 みんな何かを抱えて生きていて、最後まで人生を生きるって本当にすごい事なのだと気づきました。少しは、人を信じてみたいと思います。

 この法要は、自死で亡くなった方を追弔し、遺族の方に寄り添う機会になればと思い開催しています。


 グリーフ(喪失)を抱えやすくするためのケアという考え方があります。以前にお話を聞かせて頂いたリヴオンというグリーフケア活動をしている団体の講師の方の「ままに」という言葉が、今も印象に残っています。大事な誰かを亡くした時にどう感じるかは、その人によって色々で、そのままを大事にしたいということだったと思います。

 皆さんで思いを尊重し合いながら、安心して“そのまま”を聞きあう場をつくれたらと願っています。

コラム TALKの原則

 身近な人「死にたい」と訴えられたり、自殺の危険の高まった人に出会ったとき、相談された人が不安になったり、その気持ちを否定したくなって「大丈夫、頑張れば元気になる」と安易に励ましたり、「死ぬなんて馬鹿なことを考えるな」と叱ったりしがちです。

 しかし、それでは、せっかく開き始めた心が閉ざされてしまいます。自殺の危険が高まった人への対応においては、次のようなTALKの原則の原則が求められます。

 TALKの原則

(T)Tell:言葉に出して心配していることを伝える。「大丈夫?」「心配だよ」

(A)Ask:「死にたい」という気持ちについて、率直に尋ねる。「どんな時に死にたくなるの?」

(L)Listen:絶望的な気持ちを傾聴する。話を遮らず最後まで聞く。

(K)Keep safe:安全を確保する。危険な環境なら引き離す。

自死者追弔法要を勤修しました

 2022年12月24日に、宗泉寺本堂において、自死者追弔法要をお勤めしました。

 参加希望の連絡がなかったため、中止かもと心配しましたが、時間になると参拝者が来て下さいました。参加者全員でお勤めをし、法要中にはご持参いただいた大切な方へのお手紙を御尊前にお供えしていただきました。

 住職の法話はお釈迦様のおさとりまでのお話しをしました。苦しみをなくすのは、王族の楽しみを追い求めるだけの生活でもなく、修行者の心身をいじめるだけの生活でもない。ほどほどの道(中道)を歩みましょうと話しました。

 その後、聞きあう時間を持ち閉会しました。

 次回は6月に開催します。詳しくは行事案内をご覧ください。

2022夏 自死者追弔法要〜わかちあい

 宗泉寺本堂におきまして自死者追弔法要を行いました。集まった皆さんとお勤めをし、住職から短い法話をした後に、お互いのお話しを聞きあっていただきました。
 今回は法話のかわりにリヴオンという団体の作った「大切な人をなくした人のための権利条約」
という文章を読みました。

 リヴオンというのは、だれもがグリーフケアにつながる社会を目指して活動している一般社団法人です。HPもありますので興味のある方は検索してみてください。
 以下は、寺報への掲載を許可して下さった参加者の感想です。



○自分の中に秘めていた感情、心の痛み…。同じ立場の方々と共にする時間だからこそ、そんな自分の本音がこぼれたんだと思います。足を運ぶまでは勇気がいりましたが参加させて頂き、自分のまだまだ癒えない心を再認識させてくださり受け止める事ができました。そして、それでいいんだという安心感も感じることができました。
 参加させて頂き本当にありがとうございました。


○とても有意義な時間を過ごさせて頂きました。同じ様な境遇でもそれぞれ過ごしてきた時間や気持ちも違う中で、語り合えたことが有り難かったです。日々の日常を送る中で、感じたことやあえて遠ざけていたことが、一緒に共感できて嬉しかったです。自分や故人と向き合えるとても良い機会になりました。故人もきっとどこかから見ていてくれたと思います。



 この会は大切な方を自死で亡くされたご遺族を対象に昨年からはじめました。亡くなった大切な方のこと、ご自分の気持ちなどを安心して聞きあい話せる場所をつくれたらと思っています。年末にも開催しますのでお越し下さい。


質疑応答 自死のハードル
質問:浄土真宗って自死(自殺)へのハードルが低くなるのでは? 他の宗旨のように自死は救われない、地獄行きと説いた方が自死は減るのではないでしょうか? 誰でも救われる、極楽に生まれるな
ら死んでしまおうと考えても仕方がないのでは?


住職解答:生きている人はなるべく死を恐れず、死を考えず生きていけるならば、それが良いのかもしれません。宗教なんてなくても生きられるという方は多いでしょう。
 しかし、どんな人も嬉しく楽しく遊んでも帰る時に、ふつと私の人生なんだったんだ、誰も私をわかってくれないんだなと空しく思う時があります。生きる意味、私である意味、思い通りに行かない人生の意味を問わずにはいられないのが人間です。
 死んでしまおうと思うほどの人が、極楽があるから安心だと思っているかはわかりません。ただその人にとって生きていることが、どうしようもなく辛いことだけは現実です。そのような人に地獄に行くから死んじゃダメだと脅かして良い結果になるでしょうか。
 楽だから死ぬという考えを改めてみてはいかがでしょうか?
 また自死した方のご遺族に対して、目を見て地獄行きだねと言える人はいるでしょうか。
 私は生きている人には、一緒に生きようと励ましあって生きていきたいです。また、亡くなった人には、故人の人生の歩みと周りに与えた影響を偲び敬い大切にすれば良いと考えております



2021 自死者追弔法要を勤修しました

 昨年12月3日に、宗泉寺本堂において、自死者追弔法要をお勤めしました。

 参詣の皆さんとお勤めをしました。法要中には希望者にご持参いただいたお手紙を御尊前にお供えしていただきました。

 住職の法話の後に、お互いのお話を聞きあう時間を持ちました。話しあいの時間が終わった後も参加者同士でお話しをしておりました。

 対象を限定した追弔法要は初めてでしたので、不慣れなところもあったと思いますが、参加者の皆様と今回の法要を作る事ができました。


◆法要のきっかけ 釋龍源

 以前から自死者への特別な法要はしたいと思っていました。

 なぜそんな事を思うのかというと、自死遺族の方の法要やご葬儀をお勤めさせていただいた時に、各ご家庭でお話しを聞かせていただくことがあります。

 ですが、ご法事の場では親族や親子がいる中でご遺族は思っていることをお話しできないだろう感じていました。

 また力及ばず私がふさわしい聞き役になれないということもあります。

 やはり求められているのは、かけがえのない方を亡くされた人が同じように亡くされた方のお話しを聞き、話すこと。一緒に走ってくれる伴走者を探すということが大切なのではと感じていました。同じ境遇にあったかた同士で気持ちの共有ができればと願っております。

「あなたのことはわかっている」という善人のおしつけが

 かえって溝を深める

 むしろ「人のいたみは察すれどおよばず」という

 (つつ)ましさこそが友情と信頼に基づく同朋精神を育んでゆく

という言葉がございます。

 あなたのことはわかっているという、助けてあげるという心では、心の溝が深まる。むしろ人の痛みは察する、想像するくらいのことはできるけれど痛みを全部理解する事なんてできないという慎ましさをもってこの会を進めたいと思います。決して導こうとか、正してやろうという考えの会ではありません。


 以下は、寺報への掲載を許可して下さった参加者の感想です。数字はXにさせていただきました。

◆参加者の感想

今回はとても良い会だったと思います。本当に誰もいらっしゃらないなら帰ろうと思いましたが帰らなくて良かったです。

 お経を聞いて何だかわからないけど自死してしまった人と残された者の事を心配してくださる気がして泣けて泣けてしかたがありませんでした。

 法話のお言葉もなるほどと感じましたし、その後の座談も同じ思いをしている人が自分だけでなく、皆さん大変な思いをしていらっしゃる事。

 X年前にお子さんを亡くされた方の「人数が増えないといいですね」の一言。本当にずっとX人だけだったら良いのにと願いました。

 

○本日はこの会を開催してくださり、ありがとうございました。時間超過して申し訳ありません。

 わかちあいの時間はもう少し長めに取ってくださった方がありがたいと思います。初回だからなおさらかもしれませんが、お話ししたいことがたくさんあったのだと思います。

 今まで心の中で溜めたものを吐き出したい、吐き出せる場所を提供してくださったことに安心していらっしゃるのだと思います。この会の継続を希望いたします。