2024春 修正会勤まる

 1月1日午前10時より、宗泉寺本堂にて修正会を参詣者とお勤めしました。正信偈と御文の拝読、法話をしました。

 冬は草刈りもお休みなので、久しぶりに会うお寺の仲間同士、ほんの少しの時間でしたが新年の挨拶やおしゃべりの声に気持ちが明るくなりました。

 一方でこの年末年始は悲しいニュースが多かったと感じます。海外では虐殺や戦争があり、また国内では、1月1日の午後4時に能登半島で大地震が起こり、多くの方が亡くなりました。能登の朝市が焼け野原になり、以前観光で行った時の事を思い出し辛い気持ちになりました。

 地震から一月たちますが、まだ食事やライフラインが充分に行き渡らず、現地は大変なようです。

 能登には多くの浄土真宗のお寺もあり、そちらも多く被害もでているそうです。京都の本山から地震の2日後には支援物資を積んだトラックが出発し、金沢別院を拠点に支援を続けています。また教団からは能登教区へ4千万円の見舞金が給付されました。

 新潟県の地震による液状化被害も昭和39年の新潟地震でも同じ事があったと、ご法事の場で聞かせて下さる方もいらっしゃいました。

 宗泉寺でも何かできないかと玄関に募金箱を設置しました。石川の日本赤十字に送金予定です。

2023 修正会勤まる

 1月1日午前10時より、宗泉寺本堂にて修正会を参詣者とお勤めしました。正信偈と御文の拝読、法話をしました。

 コロナウィルスの流行も3年目になりました。今年は東日本大震災で亡くなられた方の13回忌になります。また関東大震災からは100年たったそうです。人生の中で何が起こるか不安で選択を投げ出したくなる時もあります。

これからが これまでを決める

 藤城聡麿

という言葉があります。日常の心ではこれまで(過去)の選択によってこれから(未来)は決まっていると思いこんでいます。

 ですが仏教では、これからの選択が、これまでの人生の意味を変えると教えてくれます。取り返しのつかない過去を黄金にするのか土くれにするのか、これからの選びが決めるのです。

2022 修正会勤まる

 1月1日午前10時より、宗泉寺本堂にて修正会を参詣者とお勤めしました。正信偈と御文の拝読、法話をしました。

 朝のお勤めは1月1日から“繰り読み”とよばれ、お勤めの内容が変わっていきます。

 朝のお参りをお朝事(おあさじ)といいます。毎朝正信偈と、親鸞聖人がお書きになった御和讃326首と、蓮如上人がお書きになったお手紙(おふみ)80通を順番に読みます。

 その繰り読みも1月1日にリセットされて和讃一首目と御文1-1から読み始めます。ですからお正月には本山から末寺、また各ご家庭でも同じお勤めがあがります。

 これも新しい年を迎えて新たな気持ちでお参りをする、お正月らしい習慣です。

 今年もまだコロナの心配が続きますが、顔を合わせて新年の挨拶ができたことで、ホッとできる時間が持てました。ご参詣ありがとうございました。

2021年 修正会勤まる

 一月一日午前十時より、宗泉寺本堂にて修正会をお勤めしました。年末年始にかけて感染者数の増加や医療現場の逼迫の報道を目にして、集まっていいのか迷ったのですが、マスク付きでもお互いの顔を見て、新年の挨拶もできて、温かい雰囲気のなかで無事にお勤めができたことをうれしく思いました。


 住職の法話は、新年恒例の御文の一帖一通目についてでした。


 「コロナウィルス流行によってこの一年は自らの生活を振り返る事の多い一年であったでしょう。旅行に行く、おいしい物を食べる。そういった事が幸せだと思って生活してきた中で、それができなくなったとき何が私にとって幸せなのかと考える大切なきっかけとなりました。
 新しい年を迎え、できたことができなくなったと嘆く生活ではなく、日々の小さな喜びを味わっていただけたらと願います。
 御文には“嬉しさを昔は袖に包みけり 今宵は身にも余りぬるかな”という詩が詠まれています。教えに出会えた喜びは袖に入る様な小さなものであったが、今は身に余るほどの喜びに変わったという詩です。教えは同じでも受け取る側が変わったということです」


 

例年と変わらぬ昨年一月とコロナ禍中の今年の一月では状況が変化しています。
 楽しみにしている旅行や会食ができなかったり、会いたい人にも気軽に会えない状況で、本当の幸せとは何かという問いも重みが違って受け止められたのではないでしょうか。
 なお、新年会の会食を中止にする、マスク着用、椅子は離して、換気、手の消毒など、去年に引き続き参詣の皆様にご理解とご協力をいただきました。
個々のご法事でも感染症予防のため同じように対応しております。