2023 報恩講・秋の彼岸法要勤まる

 9月24日、宗泉寺本堂にて、お集まりいただいた皆さんとお勤めしました。

 講師には滋賀県から瓜生崇先生に来ていただきました。お話は、親鸞聖人はどんな時代に生まれた何をした方なのかというお話しと、どのように京都で浄土の教えを説いていた法然上人に出会ったのか等、当時の時代背景なども交えてお話いただきました。

 因縁についての質問をしました。仏様からみれば過去から未来の因縁を全て見通してどうすれば、この人が覚りを得ることができるか見通すことができる。だが、仏でない人が因縁の教えを利用して、過去世に悪いことをしたと驚かすことは仏教ではないと教えて下さいました。

2022報恩講が勤まる

 10月1日に宗泉寺の報恩講が勤修されました。

 瓜生崇先生の法話「親鸞聖人の時代におきた出来事」の要約です。

 大河ドラマで鎌倉殿の13人が放映されていますが、親鸞聖人が生まれた頃はちょうどその頃。平安時代末期の平家が台頭し政権を自由にしていた頃です。その後、各地方の治安維持のために公家が雇っていた武士が力を強め、権力をもった武士集団の源氏が平家を倒し鎌倉幕府を建てた激動の時代でした。戦争も度々起こり、飢饉や地震も起きた、生きていくだけでも難しい時代でした。

 1173年に貴族の家系に生まれた親鸞聖人は九歳で比叡山に登り出家したといわれています。その後20年間、当時最高の学問機関でもあった比叡山で修行をします。自身の体と心を整えて勉学にはげむ日々でしたが、悩み多き青年は京都の町の中にある六角堂に通って夢告を求めます。夢告とは夢に神仏が出てきて導いて下さるという文化です。当時の人は夢のお告げを大切にしていました。六角堂は夢のお告げをいただける寺として人気の場所でした。95日かよって夢告を受けます。

 六角堂の救世菩薩が告げます。

行者(ぎょうじゃ)宿報(しゅくほう)にて

たとい女犯(にょぼん)すとも、(われ)玉女(ぎょくにょ)

身となりて(おか)せられん。

一生の(あいだ) ()荘厳(しょうごん)して

臨終(りんじゅう)引導(いんどう)して 極楽(ごくらく)

(しょう)ぜしむ

〈訳:あなた(親鸞)が因縁によって、たとえ異性と交わったとしても、私(菩薩)は宝のような体となって犯されましょう。一生の間よく私(菩薩)があなたの人生を尊いものにして、命終わるときには導いて極楽に連れて行きましょう〉

という夢のお告げをいただきました。女犯偈(にょぼんげ)ともいわれる詩として伝えられています。

 毎年、本山では親鸞聖人の祥月命日の法要である報恩講で拝読されています。

 性のことは避けてお話する方も多いですが、瓜生先生は触れて下さいました。講話の一部です。

この文を見ると親鸞さんはスケベな坊主に見えます。

ですが大切なところは宿報というところ。どうにもならないこと。自分の人生が思い通りにいかないことです。

 生まれた場所も、生活する場所も選べない、両親も選べない、時代も選べない、なにも思い通りにならない。自分の意思で生きているようだけれど、選べる中で選択してきたということがあります。

 お釈迦様は心、五蘊(見る聞く、感覚、考えや行い)は無我であるといいます。心も自分の思い通りにならない。悲しみたいと思って悲しんでいる訳ではない。身も心も流されるように生きている私達です。

 親鸞聖人も男に生まれたくて生まれたわけでもない。男性として生まれて女性と交わりたいと思うのも宿報でしょう。

 『歎異抄』に弟子の唯円との対話が書かれています。

 親鸞が「唯円よ、師匠の私を信じるか?」「はい、信じます」。親鸞は「それでは今から千人殺してこい、そうすれば浄土往生間違いない、できるか?」と言われた。唯円は「一人殺すことも難しいと思います」と断ると親鸞は「俺を信じるって言ったよね。信じていたって出来ないことあるよね。殺す気がなくても殺してしまうこともある。私たちがやっていることは毛先の程度のことでも宿報によらないということはないんだ」と

さるべき業縁のもよおせば、

いかなるふるまいもすべし。

『歎異抄』

 私(親鸞)もどうにもならない状況になったら、何をしでかすかわからないのが私だと言われました。

 仏教では「殺すな、殺さしむなかれ」といいますが、平和な日本だからそんなこと言ってられる。ウクライナに生まれたら招集がかかって家族のために銃を持つこともあるでしょう。敵が来て殺されるとなったら引き金を引くと思います。

 バスの置き去り事件も小さい子供が亡くなりましたが、施設の人も殺そうと思って働いていた訳ではないでしょう。

 私たちは思うようにならないところを生きている。男に生まれたら女性のことで欲望を持ち、女性ならば比叡山に登ることもできない。どうにもならないことを引きずって生きているものに、どうにかなれということが仏の救いだったならば、これは本当に人が救われる道なのかなと親鸞聖人は思ったのではないでしょうか。

 親鸞聖人は女性と交わりたくて比叡山を下りたという説もあるが、そんな話ではなく、人はどうにもならないものを抱えて生きているのだと、どうにもならないものがどうにかなれと仏様がいうだろうか、これが親鸞聖人の見た夢の内容です。

 瓜生先生の講義の心に残った所です。女犯偈は「女を犯す」という表現が使われるあつかいが難しい詩ですが浄土真宗では大切にされてきました。

 家族や病気など様々な悩みを聞かせていただくと、どうにかならないかなあと思います。どうにもならない心と体を持った私がどうやったら救われるかという問題に悩まれた親鸞聖人のお話でした。1時間半の法話の30分ほどの部分です。法話の全部は動画で視聴できますのでご覧下さい。

2021 報恩講・秋彼岸会法要 勤修

 ワクチン接種が進んではいましたが、まだまだコロナ感染が心配な時期でしたので、申し込み制で人数制限をしてのお勤めになりました。 参加は難しいのでと懇志を送って下さったり、インターネット動画での配信を見て下さった方もいました。それぞれの方法でお彼岸、報恩講に思いを寄せて下さっているのが感じられ、有り難かったです。

 講師の先生に遠方から来ていただいて良いのかも悩みましたが、直接御法話を聞かせていただきました。

 滋賀県東近江市より、瓜生崇先生においでいただきました。滋賀の大谷派のお寺のご住職で、日本全国で御法話をされています。宗泉寺でも何度かお話をしていただいています。

 今回は大谷派で大切にされているお経のひとつである『仏説観無量寿経』についてお話しいただきました。

 おおざっぱにですが、どういう内容なのかあらすじを記します。

 『観無量寿経』と言うお経は、古代インドの国、マガダ国の王子アジャセが、仏弟子ダイバダッタにそそのかされます。父であるビンバシャラ王を幽閉し殺害しようとします。次いで母イダイケ夫人が幽閉されたというお話です。

 次に、閉じ込められたイダイケ夫人の願いに答えてお釈迦様が現れます。

 イダイケ夫人は「何でこんな目にあわなきゃならないんだ」とお釈迦様に愚痴をこぼします。「どうかこんな親子が殺し合う世界ではない、どこか良い世界を教えて欲しい」と願います。

 お釈迦様は全宇宙の尊い方が治める世界を一つ一つイダイケ夫人に見せます。夫人は、その中で阿弥陀仏の世界(安楽国)に生まれたいと願いを起こします。イダイケ夫人は「私はお釈迦様の力で安楽国を観ることができましたが、後の世の人はどうすれば安楽国の世界に触れて安らぐことができるでしょう

か」と教えを請い、お釈迦様が応えるという内容になっています。

「無量寿(阿弥陀)仏を観るお経」ということから歓無量寿経というタイトルになっています。

細かな内容や大事なところを先生がとても詳しく面白くお話しして下さったのですが、中でもお釈迦様を前にしていきどおるイダイケが瓔珞を引きちぎって投げ捨てる姿と、ある先生が法話で病気が重くなるにつれて念仏をありがたがっていたお婆さんが嘆き悲しむ姿をありがたいものと言われた話が特に印象に残っています。人はどんなときでも格好を付けたいと思っているという指摘に、とても思い当たって。格好をつけたいと思っている自分を見ないようにしていたと思いました。

2020報恩講と秋彼岸会が勤まる

 九月二十日、コロナ禍も収まらぬ中でした。法要は申し込み制にして人数制限を設けて距離を取ったり、換気をしながら報恩講のお勤めをしました。

 参詣の方にも、マスクを付けてもらい、入場時の検温などご協力をいただき無事に終了することが出来ました。ありがとうございました。

 昨年の報恩講に引き続いて、柳衛悠平先生に来ていただき、御文の節談説教をしていただきました。

 御文とは本願寺第八代目の蓮如上人という方がお書きになったお手紙です。教えについて、わかりやすく説かれているため浄土真宗では頻繁に読まれている文章です。

 お話いただいたのは末代無知の御文という馴染みの深い御文(お手紙)についてです。

 一座目は「末代」をテーマに、今の時代が末法の世であり、お釈迦様から長い時間を掛けて教えが伝わってきたが、末法の救いは南無阿弥陀仏だけしか成し遂げられないというお話でした。

 二座目は「無智」という事をテーマに、人の知恵と仏の智慧のお話でした。人の知恵には限りがあって自分の都合でしか物事を見ることができない。自分が間違っていたと気づくには、それを正す教えが必要になるというお話をしていただきました。

 病気の流行により、茶話会が開催できず、初めて二座の法話をしていただきましたが、参詣の皆様には喜んでいただいたようです。 今後も状況に合わせて内容を変えながら法要を続けたいと思っております。