新盆合同法要・盂蘭盆会合同法要勤まる

 7月6日には新盆合同法要を、8月3日には盂蘭盆会合同法要を宗泉寺本堂に於いてお勤めしました。両日とも当日は猛暑でしたが、無事にお勤めすることができました。

新盆合同法要の法話の要約

 本日はこの一年の間に亡くなられた大切な方をご縁として、初めてのお盆を迎える皆さまと共に、お盆の法要をお勤めすることができました。

 今年も、幼いお子さまから100歳を超える方まで、多くのご葬儀に立ちあわせていただきました。その中で、多くの別れや悲しみのお姿に出遇ってまいりました。

 仏教では、お釈迦さまが説かれた「四苦八苦」という教えがあります。生まれること、老いること、病むこと、死ぬこと、この4つの苦しみに加えて、「愛別離苦」愛する人と別れなければならない苦しみがあります。これこそが人にとって最も辛く悲しいものだと、お釈迦さまはお説きになられました。大切な方とも、いつかは別れが訪れる。そのことを胸に、今共に生きている時間を大切にしていきましょう、というのが仏教の教えです。

 さて、この盂蘭盆会は『盂蘭盆経』というお経に基づいた法要です。昔、お釈迦さまの弟子である目連尊者は神通力を得て、亡くなった母を救おうとしました。しかし母は餓鬼道という苦しみの世界に落ちており、食べ物を与えても炎となって消えてしまい、助けることができませんでした。困り果てた目連尊者はお釈迦さまに相談しました。するとお釈迦さまは、「7月15日、修行を終えた僧たちに食べ物を供養しなさい。その喜びを分かち合うことで、あなたのお母さんも救われるでしょう」と教えられました。目連尊者がその教えの通りにしたところ、母は餓鬼道から救われ、天人の世界に生まれ変わることができたそうです。

 このお経のように、みんなで喜びを分かち合い、助け合うことが大乗仏教の教えです。「私だけが救われればよい」「あの人だけが救われればよい」というのではなく、共に支え合い、共に救われていこうというのが大乗仏教の精神です。

 また、本日皆さんと読誦した『阿弥陀経』の中に「祇樹給孤独園」(ぎじゅぎっこどくおん)と出てきました。その『阿弥陀経』が説かれた場所が祇樹給孤独園です。祇樹は祇陀 (ジェータ) 王子の林、給孤独は孤独な人に施しをした須達 (スダッタ) 長者のことです。

 ジェータ王子とお金持ちのスダッタ長者という2人の人物によってつくられた精舎であり、祇園精舎として有名な場所です。京都の祇園の名の由来も、この祇園精舎にあると伝えられています。

 スダッタはお釈迦様の教えを聞くための場所を作りたいのでジェータ王子の素晴らしい林を売って欲しいとお願いしますが、王子はスダッタの持っている金貨を敷き詰められた分だけの土地を、その金貨で売ってあげようと言います。スダッタは持っていた金貨ばかりか家財産も自分の服をも売って裸で金貨を敷き詰めたそうです。それを見た王子は心を動かされ、お釈迦様のお話を自分も一緒に聞きたいと思い土地を寄進したそうです。ここにも「分かち合い」「支え合い」の精神が示されています。

 本日の新盆法要は、故人を偲ぶとともに、そのご縁を通じて仏さまの教えを聞き、互いに励まし合い、支え合って生きることをあらためて思い起こす機会です。どうぞこのご縁を大切にしていただければと願っております。


盂蘭盆会合同法要の法話の要約

 先日、ロシアで大きな地震があり、日本でも津波警報が出されました。東日本大震災を思い出し、「備蓄はあったかな」と振り返ったり、東海道線が止まって帰れなくなった方もいらしたことと思います。けれど日常に戻ると、そうした出来事もつい忘れてしまい、また一生懸命に仕事や生活へと戻っていくしかない。そんな中で、私たちの歴史をたどろうということで、亡くなった方のことを思い返し、また私たちの父母、祖父母たちが歩んできた道のりをもう一度思い出そうということで、このような法要をお務めをするわけです。

 今年は「戦後80年」の節目の年です。戦争を振り返る番組や、ジブリのアニメ映画『火垂るの墓』も久しぶりに放送され、戦争について改めて考える機会も多くあることでしょう。一方で、この前の選挙では、外国人を差別し再び戦争をしようとするような党が票をのばすといったこともありました。人間はどうしても「自分が大事、家族が大事、この国が大事」と、自分を中心にしてしまいます。そうしてよその国に攻め込み奪って80年前の大きな戦争を経験したわけですが、なかなか周りの人と気持ちを分かち合って生きていこうということができないのが私たち人間の心です。

 800年前の親鸞聖人の時代もまた、戦や飢饉がありました。今日食べる食べ物もなく、亡くなる人が多くいました。現代でも、米の不足や物価の高騰など、飢えている人もいます。戦国の世も戦争の時代も、他から奪ってでも蹴落としても生きようとするのがこれまでの歴史です。それでも人は一人では生きられません。互いに気遣い合い、支え合って生きていくしかないのです。

 けれども、私たちの心は欲望によって容易に暴走してしまいます。

 「私の体」「私の家」「私の土地」「私の国」そうして広がっていく「私」の欲望です。けれどもお釈迦様はその根本である「私」というものはどこにもないんだということをお説きになりました。それが仏教の教えです。どこを切っても私というものはありませんよということを発見したのがお釈迦様です。体や心を分けて見ていけば“本当の私”という実体は存在しないのに、そこに『私のもの』と執着する思い込みが苦しみの原因になっているのです。

 その私のものという考え方がすでに間違っているんだよ、私たちは縁によって不思議なことにこうして命があって今日生きている。みんなそういう命を、お互い最高の命を生きているんだよということを説いたのが仏教の教えです。この人がご飯を食べる人でこの人は作る人、そういうような世界は成り立たないでしょうということを解いたのが、お釈迦様の教えです。お互いの役割や違いを認め合い、「お互いさま」と支え合って生きることが仏教の教えです。

 これからも、心静かに手を合わせる時間を作りながら、悩み苦しみばかりの人生ではございますが、どうやって生きたらいいのかなと先立って行かれたお連れ合い様、お父さんお母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、ご兄弟、子どもさん、「今、生きていたらどんな風に私のこと見ているかな」と想像をしながらこのお盆をお過ごしいただけたらと願っております。

2025-09-01 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan

2025夏 みんなで本を読むー聞法会の報告

 前半は正信偈について住職からお話をし、後半は法語カレンダーの今月の言葉についてのテキストをみんなで読み、思った事などを話しています。お経や教えの話だけでなく、それぞれの思い出や最近あったことなども交えて自由におしゃべりしたりもする気楽な会です。

◇5月8日(木)

前半は住職が前回より引き続き『正信偈』のお話をしました。正信偈は親鸞聖人が著された教行信証をもとにつくられた偈文(仏教の教えをうたにしたもの)であること、七高僧のお一人である道綽上人についてのお話をしました。

5月の言葉

仏さまというのは 向こうから私のところへ いつも来ているはたらきです

 ―近田 昭夫-

 亡くなった方はどこにいくのかという問いについての文章を読みました。仏さまになった方は思い出したときそばにいてくれる感じがする、どこかに行く感覚はあまりないとお話しして下さった方がいました。死んだらどうなるのか、死んだ人はどうなるのか。親しい人の死を受け止めていくことの難しさを考える時間になりました。

◇6月5日(木)

 『正信偈』についてのお話は前回に続いて七高僧のお一人である道綽上人についてお話しました。

六月の言葉

何に遭ったのか それによって その人の人生は決定する ―梯實圓

 直接会っているということがちゃんと出遇えているとは限らないという文章を読みました。「あう」にはいくつもの意味があるということをお話しました。

2025-09-01 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan

2025夏 正信偈を書く会―写経の会―

 写経の会を月一度のペースで続けています。5月26日、6月16日に宗泉寺本堂で開催しました。7月8月9月はお盆、報恩講があるのでお休みです。次回は10月に開催予定です。

 1時間集中して写経をしています。テキストは無料で差し上げております。お気軽にご参加下さい。

2025-09-01 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan

2025夏 あじさいの会〜グリーフケアの会報告

 6月27日に宗泉寺本堂にて、グリーフケアの会を開催しました。あじさいの会として、大切な方を亡くされた方で集まりました。

 まず皆さんで正信偈をお勤めしたあと、住職からグリーフについてお話をしました。グリーフとは、大切な人やもの、関係や機会を失う体験によって生じるその人なりの心や体の反応のことです。どんな感情や反応もおかしなものではない、自然なものですということを共有させていただきました。

 次に、414(よいし)カードというゲームを使って、生死について大事に思っていることを聞きあいました。カードをきっかけに今の気持ちや考えてることなど、色々なことをお話くださいました。414カードとは、誰もが気軽に、死を見据えて自分が大切にしたいものに気づき、大切な人との対話を可能にしたりするカードです。

 グリーフのお話ししたり、それぞれのグリーフを安心して話してもらえる場を作る事を目指して、会を継続していきたいと考えています。

2025-09-01 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan

2025夏 境内を綺麗に―草むしり報告

 7月から9月までは1時間早めて午前8時から作業開始、午前10時ごろに終了としましたが、7月8月は危険な暑さの日もありました。来年の夏は天気予報の気温次第で作業中止も考えなければと思っています。お手伝い下さった皆さんありがとうございます。

2025-09-01 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan

2025夏 寺報100号特集

 今回で100号となった宗泉寺報の歩みを皆様と振り返って見たいと思います。次に浄土真宗で使われる難しい言葉の説明をしています。

宗泉寺報100号の歩み

2005年3月創刊号より

創刊の挨拶

 茅ヶ崎での開教をはじめて半年が経ちました。半年の間にたくさんの方と新しいつながりを持つことができました。

 せっかくつながりが出来たのだから、これからのお寺の活動を知っていただきたいと思い寺報を発行することにいたしました。

 茅ヶ崎市、寒川には真宗大谷派の寺院がまったくありませんでした。地域の皆様にも親しんでいただけるお寺を目指したいと思っています。

 好きなことを出来る範囲で書いていくつもりですので、暖かく見守ってください。またご意見ご要望や、こんなことが知りたいという事がございましたらお知らせ下さい。

 この頃は茅ヶ崎市矢畑の借家で活動していました。発行数が10部程度でしたのでA4の紙1枚の両面刷りで毎月出していました。

 寺報2号 新潟県中越地震の被災地にボランティアに行っています。

 寺報3号 初めて輪読会をやったことが書かれています。

 寺報4号 茅ヶ崎に来て1年がたち現在の住所の土地建物を取得したことが掲載されました。

 寺報5号 初めてA3両面4ページの誌面になり、A3サイズのプリンターが無いために、しばらくコンビニで寺報をコピーすることになりました。

 寺報8号 2005年に現住所で初めて報恩講をお勤めし、始めて法話の講師を呼ぶことができました。

 寺報10号 近くにコミュニティバスが停まるようになったと掲載されています。20年前は1日20回来ていたバスも今では1日6回です。

 寺報12号 永代経が初めてお勤めされ、福井県から仏具がやってきたことが掲載されています。このころ草むしりが始まったようです。

 寺報18号 次女が生まれた報告がありました。今では18歳になりました。

 寺報19号 書道教室が始まりました。先生の引越で閉会しました。書道の講師資格をお持ちの方、御連絡お待ちしております。

 寺報20号の頃には発行部数が増えて年6回になりました。

 寺報21号 2007年に客間にある仏壇を購入しました。幅120センチの大型仏壇をヤフオクで送料込み13万円で買いました。

 寺報22号 宗泉寺のサイトの紹介が掲載されました。

 寺報23号 報恩講で初めてお斎(おとき・食事のこと)を出しました。1回で止めてしまいました。

 寺報24号 ピアノ教室が始まりました。娘達も習いました。5年で終わりました。

 寺報25号 外に掲示板を立てました。あまり活用されていません。

 寺報29号 修正会というお正月の行事の報告を掲載。1月1日の朝6時にお勤めが始まるため参詣者は4時起きで来ているとの話。現在は10時に変更し正月料理も出していません。

 寺報31号 宗泉寺のお隣さんのお家を駐車場にしました。

 寺報35号 2010年にリフォームをして本堂を広げ、玄関を現在の位置に変更しました。

 寺報40号 須弥壇収骨と真宗本廟の収骨の話を掲載。誌面11ページに修正したものを再録しました。

 寺報41号 2011年3月11日の東日本大震災の記事を掲載。輪読会をやめてグリーフケアの会を毎月行っていました。寺報が年4回発行になりました。

 寺報43号 宗泉寺が所属する湘南組グループで東本願寺に親鸞聖人750回忌の法要に参詣しました。

 寺報46号 2012年に宗教法人設立会議をするため多くの方にお手数をおかけしましたが設立を辞退しました。

 寺報48号 盂蘭盆会合同法要の参詣者が100名を超えて2回開催になりました。

 寺報55号 2014年にお寺の法要の後に念珠ブレスレットを作りました。現在では「お寺デ手作り」に受け継がれています。

 寺報59号から御門徒による食べ物のコラムが連載されました。

 寺報63号 お盆合同法要が3回開催になりパンク状態になり、駐車場にプロの警備員を頼むようになりました。

 寺報66号 坊守が書いたお焼香の図解を載せました。

 寺報69号 お寺でフレイルチェックが初開催、現在の健康体操に受け継がれています。

 寺報72号 2018年に宗泉寺の娘2人が本山でお坊さんになる得度式を受けました。

 寺報75号 お寺での帰敬式(法名を授与される式)を9名の方が受式。盂蘭盆会申込を往復ハガキから受取人ハガキに変更。今までプリンターで印刷して手折りしていた寺報を印刷会社に頼んでカラーで作成。印刷の労力が減って8ページになりました。

 寺報77号 御門徒による健康体操の記事を連載しました。

 寺報79号 2020年にコロナウィルス流行によりお盆合同法要は中止。普段の行事は継続しました。

 寺報81号 永代経で1年以内に亡くなった方の法名をよむように変更しました。

 寺報83号 2021年にコロナウィルス流行で宗泉寺の主な法要をインターネットで中継するようになりました。

 寺報86号 2022年に自死者追弔法要を始めて勤修しました。現在も試行錯誤中です。

 寺報91号 宗泉寺公式LINEを始めました。

 寺報94号 2024年の能登の地震への募金箱設置、写経会が始まりました。

 寺報96号 お寺の駐車場に新しい看板を付けたことを報告しました。

今回で寺報100号となりました。

 茅ヶ崎市に来て20年がたちました。改めて振り返ると皆様に支えられて、どうにか運営してきたと感動しています。古い記事を読んでみると、私も覚えていないことが記事になっており、自分でも新鮮な驚きがありました。これからも大切な伝道メディアとして寺報をお楽しみ下さい。

2025-09-01 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan

100号記念 浄土真宗用語辞典

あみだにょらい 阿弥陀如来

阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教において極めて重要な如来で、無量の光明と寿命を持つと信じられている。西方極楽浄土の教主とされ、どのような罪深い者でも「南無阿弥陀仏」の念仏により救われると説かれる。浄土教諸宗(浄土宗・浄土真宗など)はこれを中心とし、死後に極楽往生すれば永遠の生命と覚りが得られるとする教義を展開。

おうじょう 往生

大乗仏教における仏になる方法論の一つ。「往」は極楽浄土へ「往く」こと、「生」は極楽に「生まれる」ことを意味する。極楽浄土では、母体から出産される出生と異なる「化生」により生まれるとされ、これは蓮華化生とも呼ばれる。一般には「困る」「死ぬ」などの意味で「往生した」と使われるが、これは本来の仏教的用法とは異なる。

ごくらく 極楽

梵語スカーバティー(幸福のあるところの意)の訳語で、阿弥陀仏の浄土、苦悩がなくすべてが円満にそなわった安楽な世界を指す。浄土系諸宗派では、阿弥陀如来は「南無阿弥陀仏」と称名念仏する者を必ず迎えとり、極楽浄土への往生させ、輪廻からの解脱を誓われたとされる。また「天界(天国)」と区別され、浄土は天界より上位に位置すると教えられる。浄土に生まれた者は永遠の生命と覚りを得るが、天界の天人は不老不死ではなく輪廻を免れないとされる。

しゃかにょらい 釈迦如来

仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が悟りを開いた後の姿を指す如来の名。「釈迦牟尼仏」「釈迦牟尼世尊」「釈尊」などとも呼ばれる。上座部仏教では釈迦如来のみを信仰対象とし、釈迦の入滅後に仏陀が再び現れることはないとする。大乗仏教では真理そのものが人間を救うために、人間に認知できる姿をもって、言葉を話す教主となって現れたものと位置づけられる。

しょうしんげ 正信偈

親鸞著『教行信証』の行巻に書かれている。親鸞による浄土真宗の教えの肝要がかかれた7言120句の詩。最初の帰命無量寿如来と南無不可思議光の2行で南無阿弥陀仏を讃え、前半は『仏説無量寿経』による救いを説き、後半は本願の教えを説いた釈迦仏と7人の僧侶の功績を讃えている。正式名称は『正信念仏偈』

しんらん 親鸞(1173-1262)

京都に生まれる。9歳で出家し、比叡山で修行した後、聖徳太子が建立した六角堂に100日間籠り、夢で観音のお告げを受けて法然の弟子となった。しかし法然の教えをよく思わない人々から批判を受け、34歳で罪人として越後(現新潟県)に流罪。罪が許された後、浄土真宗の教えを広めた。

ねんぶつ 念仏

お釈迦様が亡くなった後、覚った人に会いたいという願いからイメージの中で仏に会うという瞑想修行が行われるようになる。仏を念ずるという修行が元々の言葉の意味だが浄土真宗では阿弥陀仏の名を称える「南無阿弥陀仏」が念仏を指す。

ほうねん 法然(1133-1212)

平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶。比叡山で天台教学を学ぶが、42歳で「南無阿弥陀仏」の念仏を称えることで誰もが平等に極楽往生できると説き、浄土宗の開祖として信奉される。著書に『選択本願念仏集』がある。生涯で延暦寺や興福寺との対立による法難を経験しつつ、念仏の教義を日本中に広めた。

れんにょ 蓮如(1415-1499)

京都生まれ。浄土真宗本願寺派・真宗大谷派の第8世。衰退していた本願寺を立て直したため「本願寺中興の祖」と呼ばれる。正信偈と和讃を読む習慣を根付かせる。御文(御文章)を全国の信者に送り教えの肝要をわかりやすく伝えた。

2025-09-01 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan

須弥壇収骨と祖廟納骨

(寺報40号再掲載修正版)

須弥壇収骨

 京都・東本願寺では、ご遺骨を本山の御影堂に納めることができます。これを「須弥壇収骨」といいます。
 もともとは「亡くなったあとも親鸞聖人のそばにいたい」という願いから始まったもので、今も全国各地から多くのご門徒が収骨に訪れています。

 亡くなる方にとっては、同じ信仰をもつ仲間と共に納められる安心があります。代々本山に収骨していれば、名字が違っても親や祖先と同じ場所に眠れる喜びもあります。つまり「死んで会えなくなった人と、もう一度出会える場所」でもあるのです。

 また遺された家族にとっても、本山にお参りすれば両親や祖父母、同じお寺でご縁のあった方々に一度に会うことができます。実際に、住職の祖父母もこの須弥壇に納められています。

 収骨は境内の限られた空間のため、七センチ角の木箱に入るご遺骨のみを納めます。したがって、ご遺骨の一部を分骨しておさめる形になります。手続きは12万円以上の懇志で可能です。

大谷祖廟納骨

 もう一つの方法が「大谷祖廟納骨」です。これは、親鸞聖人のお墓である大谷祖廟(京都・円山公園、八坂神社の裏手)にご遺骨を納めるものです。

 ここには親鸞聖人、蓮如上人をはじめ、歴代の本願寺住職、さらには全国のご門徒のご遺骨が納められています。

 祖廟納骨は「お墓」ですので、ご遺骨をすべて納めることができます。ただし、納められたご遺骨は一カ所に集められる「合葬」の形となります。手続きは骨壺の中身すべてで4万円以上の懇志で可能です。

活用の仕方

 近年、「将来、無縁墓になるならお墓を建てたくない」「両親のお墓はあるが引き継ぐ人がいない」といった悩みをよく耳にします。
 そうした方におすすめしているのが、須弥壇収骨や大谷祖廟納骨の活用です。

 たとえば、遺骨の一部を本山の須弥壇に収骨し、残りを大谷祖廟に納骨すれば、夫婦の遺骨を一緒に納めても、お墓を新しく求めるよりも費用を抑えられます。また、将来「無縁墓」として撤去される心配もありません。

 もちろん、本山での収骨は「遺骨の処分」ではありません。仏法を受け伝え、本山を護るという願いから生まれた先人の智慧です。

アクセス

  • 東本願寺 … JR京都駅から徒歩10分ほど
  • 大谷祖廟 … 京都市八坂神社裏、円山公園に隣接(桜の名所としても知られています)

お墓を建てるかわりに、京都に足を運び、本山への参拝を続けていくという選択肢はいかがでしょうか。

2025-09-01 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan

2025夏 浄土真宗と差別について

鎌倉時代の社会背景

親鸞聖人が活躍した鎌倉時代には、深刻な身分差別が存在していました。当時の仏教的な考え方では、人の生まれや境遇はすべて前世の行いによって決まるとされていました。貴族は前世の善行によって豊かに生まれ、貧しい人々は前世の報いでその境遇にあるという価値観でした。病気や災いも前世の報いや祟りと考えられていたのです。

比叡山での学び

親鸞聖人は比叡山で法華経の「一乗」の教えを学びました。これはみんなで一緒に救われていこうという教えでしたが、実際にはその教えを理解できる限られた人だけが救われ、理解できない人は来世に期待するという考え方でした。

法然上人の革命的な教え

浄土宗を開いた法然上人は、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるだけで、どんな人でも平等に極楽浄土に生まれることができると説きました。

この教えは既得権益を持つ権力者や僧侶たちから激しく嫌われました。前世の報いによる身分制度を否定し、社会秩序を破壊する危険な思想と見なされたからです。どんな生き方をした人でも「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われるなら、社会の倫理が崩壊すると恐れられ、法然教団は弾圧され流罪に処せられました。

親鸞聖人の歩み

法然上人の弟子であった親鸞聖人は、自らを「愚禿親鸞(愚かなハゲ)」と名乗り、「石瓦礫のごとくなる我らなり」と表現しました。これは文字も読めず、苗字もない庶民と共に生きる姿勢を示していました。

親鸞聖人は殺生の戒律を破る漁師、商売をする人、畑を耕す人など、当時「罪を作る」とされた職業の人々と共に暮らしました。『熊皮の御影』という絵では、僧侶が身につけてはいけない動物の死体である鹿の角の杖と熊の皮の敷物の上に座る親鸞聖人が描かれており、どのような人々と親鸞聖人が交わったかを物語っています。

被差別民との結びつき

親鸞聖人の教えは、四民(士農工商)から外された差別を受けてきた人々の間で深く信仰されました。動物の処理や皮革製品を作る仕事に従事していた人々の住む地域の7割が浄土真宗の門徒であったといわれています。

浄土真宗は、全国の被差別民のもとに阿弥陀様の救いが届いていることを伝え続けてきた宗派でした。

教団の差別と反省

しかし歴史の中で、浄土真宗の教団自体が差別を行ってきました。差別を受けてきた人々と関わる寺を蔑み、寺院に格付けをしたり、差別を受ける信者を境内に入れないような扱いをしていました。

100年前、水平社という差別撤廃運動を起こした人々は「差別がなくなるまで本山への寄進を停止する」と決議しました。しかし彼らは信仰に基づいて実際には寄進を続け、本山に変革を求め続けました。戦後になってようやく、本山は寺院の格式制度を撤廃しました。

現在の課題

現在も差別の問題は続いています。住む地域による見えない差別、出身による価値判断、外国人への偏見など、様々な形の差別が存在します。

親鸞聖人が説いた阿弥陀様の平等な救いの教えを受けた私たちは、日常生活において差別をせず、人を傷つけないよう注意深く生きていきたいものです。人と比較して自分の価値を見出そうとする生き方を否定した仏教の教えに学び、真の平等について考え続けていく必要があります。

2025-09-01 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan

「記録をひらく 記憶をつむぐ」展を見て 釋尼光智

 千代田区の国立近代美術館で開催中の展覧会「記録をひらく 記憶をつむぐ」を観てきました。SNSで見かけた感想がきっかけで興味を持ち、足を運びました。

 この展覧会は、アジア・太平洋戦争と美術の関係をテーマに、戦時中に描かれた「戦争記録画」を中心に展示しています。

 戦争当時の暮らしや戦場を描いた作品、戦後に描かれた作品や一般の人によるスケッチ、反戦を訴える絵も紹介されています。

 作品には、写真のように詳細に描かれた記録画、抽象的な表現、戦時中の国の広告に使われたイラスト、丸木位里による有名な原爆の絵など、多様な視点と立場が見られました。今回の展示では取り上げられていなかったのですが、仏教戦争画というのもあるそうです。

 当時の雑誌、美術館の方のつけた解説など、理解を助けてくれる展示もあって見応えがありました。

 特に印象に残った絵は猪熊弦一郎の《長江埠の子供達》です。戦時中に描かれた中国の子ども達の姿が描かれています。他の絵が黒っぽい重々しい色合いが多い中で、鮮やかで明るい色合いが目立っていました。描かれた子ども達はやせ細って冷めた目でこっちを見ています。ぱっと見かわいい絵かなと思って良く見ると、侵略してきた日本人を見ている様子がわかる絵だと思います。

 今回の解説で特に印象に残ったのは、「残酷な戦場の絵であっても、時に戦意高揚につながることがある」という点でした。1枚の絵もひとの受け取り方、扱われ方で意味が変わることもあります。

 また、戦争中の画家の仕事の中にも時代的に避けられなかっただけでなく、「社会で認められたい」という気持ちから、結果的に戦争協力になってしまうこともあったのだと思います。

 以前、特集番組で「主婦が戦時中に熱心に婦人会活動をしていた」という話を見たことがあります。普段は軽んじられていた女性たちが、活動によって褒められたり、堂々と外出できたりしたからだそうです。人には誰しも「他者に認められたい」という思いがあると思います。もし自分が同じ立場だったら同じ行動をとっていたかもしれません。

 今を「新しい戦前」にしないためにも、過去の出来事を知ることは大切だと感じます。今回の展示を通じて、一見すると戦争とは無関係に見える絵画も、さまざまな形で戦争と結びついていたことを、あらためて実感しました。

 東京国立近代美術館1階企画展ギャラリーにて2025年10月26日まで展示予定とのことです。

2025-09-01 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan