2021  帰敬式受式者聞法会

 

宗泉寺で帰敬式を受けた方に、聞法してもらう機会になればと十二月二十五日に行いました。

 正信偈のお勤めの後に、住職から聖徳太子についてお話ししました。二〇二一年は聖徳太子の一四〇〇回忌という記念の年で特別展も全国でありましたが、コロナ蔓延で盛り上がりませんでした。大谷派でも大切な方として、本堂に掛け軸をお飾りしています。

◆聖徳太子と親鸞聖人

 壱万円札で有名な聖徳太子ですが、政治・経済・文化だけでなく、深く仏教帰依された方です。

 本堂にお飾りしている姿は僧侶の袈裟をつけて父(用明天皇)の病気が治る祈祷をしている太子のお姿です。日本に仏教が広まったきっかけを作って下さった大切な方です。

和国(わこく)教主(きょうしゅ)聖徳(しょうとく)(おう)
広大(こうだい)(おん)徳謝(どくしゃ)しがたし
一心(いっしん)帰命(きみょう)したてまつり
奉讃不退(ほうさんふたい)ならしめよ

皇太子聖徳奉讃(こうたいししょうとくほうさん)

意訳「日本に仏教をひらいた聖徳皇子の広大な恩徳は感謝し尽くすことはできない。こころから仏教を信じ讃えたてまつりましょう」

 親鸞聖人は右のような聖徳太子のお徳を讃える和讃を百八十首以上作っています。

 十七条憲法には「()(もっ)(とうと)しと()す」と権力のため親族で戦争をした太子の平和を願う心が著されています。私達も聖徳太子の遺徳を偲んで仏教を喜ぶ生活を始めましょうと法話をしました。

2021冬 みんなで本を読むー聞法会の報告

11月20日(土)

 法語カレンダーの言葉について書かれた短い文章を読みました。仏教に興味があるという若い方もいらっしゃいました。お葬式の事が書かれていたので参加者と葬儀について思うことをお話ししました。

1月23日(日)

 法語カレンダーの表紙の言葉

念仏は まことなき人生の

まことを 見せしむる光

1月の言葉

きょうもまた 光り輝くみ仏の

お顔 おがみて うれしなつかし

という言葉について書かれた短い文を読みました。

 テキストは本願寺派のものと大谷派のものの二種類を読んでいるので、同じ法語について書かれていても宗風の違いが感じられて面白いという感想もありました。

 YouTubeの法話を聞いていると機械が法話の動画を勧めてきて、驚いて怖かったとお話してくれた方もいました。

 今年お送りしたのはテキストの法語カレンダーではなかったのですが、去年と同じ縦長のカレンダーが欲しいという方はお寺に数冊ですが在庫がありますのでお持ち帰り下さい。

2021秋 みんなで本を読むー聞法会の報告

 コロナ対策として、距離を取って、時短、マスク着用参加、飲食は無し、本を参加者で読んで感想や疑問を話し合います。

10月16日(土)

 法語カレンダーの『老いが、病が、死が 私の生を 問いかけている』という言葉について二種類のテキストを音読しました。

 お釈迦様の四門出遊のエピソードを中心に、それぞれの筆者の体験や思いを述べた短い文を読んで感想などを話し合いました。

 文中の引用「老病死を見て世の非常を悟る」(『大無量寿経』)という言葉に対して、老病死は非常ではなく日常にあることでは?という意見が出ました。

 この非常は日常ではない非日常という意味ではなく、私達が思っている「明日も来る」という思い込みは間違っているという意味ですというお話をしました。

 他にも生老病死に触れる日々の中で感じたことや疑問を聞かせていただきました。

202109 みんなで本を読むー聞法会の報告

 コロナ対策として、距離を取って座る、時間を短縮、マスクを付けての参加、お茶タイムはなしで、本を皆さんで読んでいます。感想や疑問を話し合います。

六月十三日(日)

 今回の報恩講の『溶け合う世界へ』を引き続き読んでいきました。参加者の方と分からない言葉や内容を確かめ合いました。

 私が考える死も人それぞれ考え方や価値観が違いますが、自分の価値観が正しいと思っているのが人間です。その考え方が苦しみを産んでいるという内容でした。

 ◆報恩講に著者の瓜生崇氏が来ます。宜しければご参詣下さい。

2021春 みんなで本を読むー聞法会の報告

コロナ対策として、距離を取って座る、時間を短縮、マスクを付けての参加、お茶タイムはなしで、本を皆さんで読んでいます。感想や疑問を話し合います。


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 法語カレンダーの二月の言葉、「念仏者の人生は まさに 慙愧と歓喜の交錯」についての短い文章を二つ読みました。

慙愧というのは、辞書によると自分の行いを省みて深く恥じることだそうです。

戦争の罪が文章に載っており、「殺人は悪いことだけど状況によって仕方が無い」「現代の殺人は許せない」という意見を聞かせていただきました。

『歎異抄』の「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし。」という、条件によってどんな悪いことでもするのが私だというお話をしました。


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 次回の報恩講の講師をお願いしております瓜生崇先生の著書『溶け合う世界へ』を読みました。

本書は「救われるもの」と「救われないもの」という宗教がつくる境界線によって人間が苦しむという問題を提起しています。

話し合いの中では、宗教団体は悪いことするけれど宗教に差別はないという意見がありました。

人の生きがいについては否定されたら何も楽しくない、納得できないという意見が多かったです。


◆聞法会へのお誘い

 次回も『溶け合う世界へ』の続きを読んでいく予定です。テキストは差し上げますので是非ご参加下さい。

2021春 聞法会でのお話

 コロナ対策として、距離を取って座る、時間を短縮、マスクを付けての参加、お茶タイムはなしで、住職が前に出て法話をしました。

十二月六日

 お釈迦様が初めての説法でお説きになった悟りへの道、四諦(したい)のお話をしました。四諦とは苦諦・集諦・滅諦・道諦です。

 苦諦とは、迷いの人生は苦しみを受けるという真理です。四苦八苦と呼ばれるものです。例えると、この苦しみは病気だったんだという発見です。

 集諦とは苦しみを感じる原因はものごとに執着する心であるという真理です。例えると病気に原因があるという発見です。

 滅諦は、執着する心が無くなれば苦しみが無くなるという真理です。執着する心は煩悩とも言います。例えると病気の原因がなくなれば病気が治るという発見です。

 道諦はどうやったら煩悩が消せるのかという方法です。八正道という生き方をすれば煩悩がおさまってゆくという実践が説かれます。例えると病気を治すために何をすれば良いかという実践です。

 八正道の一つを例にしても絶対に嘘をつかないで正しいことを言う生活は実際には難しいことです。仕事の相手へのお世辞、その場を収めるための言葉を言うことで、その日を生きて行かなければいけないこともあります。

 だからこそ出家して世間の生活を捨てるのが修行者なのです。

 だからこそ厳しい戒律の生活が難しい人も阿弥陀様が助けてくれるよという教えを親鸞聖人がお伝え下さいました。

 仏教の基本の形を知ることで、浄土真宗がどういうものなのかを感じることができたと思います。

2020秋 聞法会でのお話

 現在はコロナ対策として、距離を取って座る、時間を短縮、マスクを付けての参加、お茶タイムはなしで、住職が前に出て話しをする法話をしています。

十月十日 法事とは?

 台風の中数人が来て下さいました。「浄土真宗の法事とは?」というお話をしました。ご法事では読経をしますが、それを何のためにするかという目的の違いについて話しをしました。

 一つは亡くなった方のために読経という善いことをして、お経の功徳の亡き人に向けるという追善回向のご法事が一般的です。 

 二つには亡くなった方をきっかけに、生きている私達がお経を聞かせてもらういうご法事です。

 浄土真宗は二つ目の考え方に基づいてご法事をお勤めしております。本願力回向と言いまして仏様から願いが向けられている法要なんだというお話をしました。

 十一月十八日 末代無智

 報恩講の法話にも取り上げられた『御文』についてお話をしました。親鸞さんのいた鎌倉時代も今の時代も末法の世。「たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来すくひましますべし」(たとえ私の罪が深く重くとも、必ず阿弥陀如来は救って下さいます)という一文があるのが末代無知の御文です。一つ一つ意味を考えながら読んでいくと、新鮮に感じます。

今後の開催予定は宗泉寺の行事予定をご覧下さい。

みんなで本を読むー聞法会の報告

2020年6月7日 日曜日
 新型コロナ流行で一緒に本を読んで話し合いをするのが難しいと思い、住職が法話をして閉会しました。
法話の内容は『仏説無量寿経』の第十八願についてお話しました。阿弥陀如来が悟りを開くにあたり四十八種の願いを建てました。その十八番目の願いが念仏往生の願といわれる重要な所なのでお話しました。
 今後の開催予定は宗泉寺の行事予定をご覧下さい。
 

2020年2月4月 聞法会報告

◎ お寺の本堂で一緒にテキストを読んだり、住職が法話をさせていただいたりしています。今後の予定はHPや寺報をご覧下さい。

2月29日

 カレンダー二月の言葉「生のみが我らにあらず 死もまた我らなり」という清沢満之の言葉の解説を読みました。

4月21日

 蓮如上人の疫癘の御文を読み、住職がお話させてもらいました。室町時代、夏風邪の流行で沢山の人が亡くなった時に蓮如さんがかいたお手紙です。その中に、人は疫病のためではない、生まれたから死ぬのだという言葉が出てきます。一見突飛に思われますが、お釈迦様の四門出遊の説話と同じく、人間の逃れられない生老病死を見つめてきた仏教の課題に基づいた言葉であるというお話でした。

 いつもは一緒に本を音読したり、お茶をしながらお話ししたりしているのですが、この頃はイスの間隔を開けたり、住職の法話を中心に時間を短縮しての聞法会になりました。