雨の多い春、いつの間にか草がかなりのびてしまいました。お手伝いいただき、とても助かりました。ありがとうございました。3/11 4/16
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『お墓、どうしてます?キミコの巣ごもりぐるぐる日記』

北大路公子著
集英社文庫
私は初めて読んだのですが、北大路公子さんはエッセイストとしてたくさんの本を出されていて、ファンも多い方だそうです。お墓のことは悩んでいる方が多いなあと気になっているので、本屋さんでタイトルに引き寄せられ購入しました。
北海道の実家に高齢の父母と住んでいた公子さんですが、ある日突然個人事業主のお父さんが亡くなってからの、てんやわんやが、あくまでまじめにかかれている本です。
公子さんにとってはもちろん大変なことの連続です。大変で真面目にやっているのも伝わるのに、前向きすぎないけど沈みすぎない物の見方と面白い表現に最後までサクサク読んでしまいました。人が亡くなった後の手続きや片付けの大変な話や、お墓についても決断することのエネルギーの大きさを具体的かつストレートに書かれています。しかもコロナ禍の非常事態宣言で色々状況が変わってしまったこと、高齢のお母さんの通院や実家の修理などその後も続く生活、仲は良いけれど生活リズムは異なる妹夫婦とのやりとりが、ユーモラスだけれどドライになりすぎず絶妙でした。
家族が亡くなった後の色々を引き受けることになったら、悲しいし不安だし本当に大変だろうけど、○○さんはこうだったって、おじいちゃんの時こんな事があったんだってという話が感情面でも情報面でも何かしら助けになってくれたらいいなあと思います。この本はそういう話を公子さんから聞かせて貰うようなところがあるのではないかと感じました。お葬儀やご法事を最近勤められた方、やっと一段落ついたよという方など、状況の違いでも色々感想が違うかもしれません。お寺の貸し出しコーナーに置いておきますので興味のある方は見てみて下さい。
宗泉寺のラインをご利用下さい

写真でご自宅の仏壇の様子を見せていただいたり、電話では伝えにくい読み方のわからない法名の漢字の確認にも使用しております。
ご法事の相談などにご利用いただくと、記録に残りますので、持ち物のメモも不用にもなります。気軽に日時のお問合せや質問などをお送り下さい。
2025春 修正会勤まる

1月1日午前10時より、宗泉寺本堂にて新しい年を祝う法要である修正会を参詣者とお勤めしました。
お正月といっても、ずっと同じ日々が続いているうちの一日です。しかし、一日一年経つ度にひとつ死に近づいています。毎日生きているのが当たり前、ずっと同じように過ごしていくと思っているけれどそれは当たり前ではない。今日一緒にいる人が明日もいるとは限らない。修正会をきっかけに、限りある命で大切な一日を生きていることを思い出していただけたらというお話をしました。
2025春 正信偈を書く会 写経の会

昨年1月から開始した写経の会ですが、無事に1年間続けることができました。ありがとうございました。この会がきっかけでお寺に親しんでくれた方もいます。今年はやってみたいと言う方もお気軽にご参加下さい。
月一度の開催予定ですが、大きな行事のある月はお休みします。字が上手い下手という評価はありません。椅子と机を使うので、正座が心配という方もお気軽にご参加下さい。
今後の開催日時は、宗泉寺の行事案内をご覧ください。
2025春 自死者追弔法要について
昨年12月16日に、宗泉寺本堂において、自死者追弔法要を予定していました。この日は来て下さった方から、今後追弔法要をどのようにしていくのがよいか、ご意見をお聞かせいただきました。
お寺としては、会の名前、内容など、より参加しやすい会にするにはどうすればよいかを模索しています。大切な人が自ら命を終えられた体験を持つ方が話せる聴ける場の一つとして、何かしら活動や会を維持したいと思っています。
次回は6月に「あじさいの会」という名前で、対象を限らずにグリーフケアの会を開催予定です。詳しくは行事案内をご覧ください。
12月には自ら命を終えられた方に縁のある方のための会を引き続き開催予定です。
2025春 みんなで本を読む 聞法会の報告
◆12月4日(水)
今回の正信偈についてのお話は、天親菩薩(世親、ヴァスバンドゥ)について。
天親は龍樹菩薩から200年後に北インドに生まれ、伝統的な仏教の優秀な僧侶として修行されていました。天親の実兄で僧侶の無著は、一部の優秀な人だけでなく多くの人々も一緒に仏になる大乗仏教を大切にしていました。天親は兄から大乗の教えを学び、今まで学んでいた一切は有るの仏教から、一切は無いの仏教に移って多くのお経の解説を説き広めました。天親菩薩が仏説無量寿経の受け止めを著されたのが『浄土論』です。
12月の法語
貴方の感じられている虚しさこそ 真実の世界への強烈な憧れなのです -米澤英雄-
について、短い文章をみなさんで読みました。 虚しさを感じるとはどういうことか、死について思っている事など、色々なお話が出ました。
◆1月20日(月)
正信偈については前回に引き続き、天親菩薩についてのお話でした。多くの人と一緒に救われていく阿弥陀様の教えに出会われた天親の考える『回向』は、私が亡くなった人の為にするのではなく、阿弥陀様から私たちに向けられているというものです。亡くなった方は仏となって、私たちの側に来て下さるというお話でした。
表紙の言葉
宗教とは 生死を貫く まこと一つの教え -中西智海-
表紙の言葉についての文章を読みました。清沢満之師の『死もまた我らなり』という言葉の通り、生だけという人はいません。死んだらお終いとは思わないけれど、亡くなることは悲しい。亡くなった人の生きてきた姿が私たちにはたらきかけてくれるのではというお話がでました。
今年も法語カレンダーについて読んでいきます。カレンダー、冊子は、お寺に在庫がございます。欲しい方にはさしあげますのでお申し出下さい。
お祓いを頼まれたこと 釋龍源
亡くなった方のお祓いについて
自宅で亡くなった方のお祓いをしてほしいという相談を受けました。
ただ自宅で亡くなったという理由でお祓いが必要だという話を聞き、とても驚きました。
気になってインターネットで調べてみると、お祓いの料金表が出てきました。心中や自死、殺人という悲しい亡くなり方をした場合の費用が高いだけでなく、自宅で病気で亡くなった方に対するお祓いについても書かれていました。また、一部の神社では「お祓い証明書」を発行しているそうです。
神道ではお祓いが行われますが、仏教では厄払いしかできないと書かれていました。ただし、寺院によっては除霊というものが存在するようです。
お祓いを相談された方は不動産会社から、お祓いをお願いされて、後に神社に相談したそうです。
昔は「畳の上で死にたい」と言い、病院での看取りをこばむ人が多かったです。現在でも「自宅に帰りたい」と願いながら亡くなる方はたくさんいらっしゃいます。2022年の人口動態調査によると、自宅で亡くなる人の割合は17%、病院で亡くなる人は64%、介護施設・老人ホームが8%だそうです。
「自宅で亡くなる」が問題になる社会
かつては当たり前だった「家で看取る」という文化が薄れつつあると感じます。それどころか、「自宅で亡くなったこと」自体をお祓いの対象とする価値観を持つ人もいるのです。
家を購入する際、前の持ち主がそこで亡くなったことをマイナスに感じる人がいるのも、その一例でしょう。しかし、そもそも「誰も亡くなったことがない場所」など、この世に存在するのでしょうか。
最近では「新しいマナー」と称して、これまでのやり方を批判する「マナー講師」が問題視されています。このお祓いの話も、それに似ていると感じました。今まで普通に亡くなっていた人々を、あたかも不吉な存在のように扱い、お祓いや除霊の対象にしてしまう――それは非常に衝撃的な話です。
浄土真宗の考え方
浄土真宗では、お祓いや除霊といった「亡くなった人を貶める行為」は行いません。なぜなら、命を終えた人は阿弥陀如来の願いの力によって極楽浄土へ往生すると信じているからです。
また、悟りを開いた仏陀(ブッダ)でない限り、悪を退けることはできません。この地球上で、人の肉体を持った仏陀は2500年前に生まれたお釈迦様だけです。次は56億7000万年後に生まれる弥勒菩薩を待つしかありません。仏陀のふりをして「自分は魔を払える」と主張する人がいるとすれば、それは人々を惑わせ、仏教の教えから遠ざけようとする行為です。
2025年 年回表
| 回忌 | 没年 |
| 1周忌 | 令和 06年(2024) |
| 3回忌 | 令和 05年(2023) |
| 7回忌 | 平成 31年(2019) |
| 13回忌 | 平成 25年(2013) |
| 17回忌 | 平成 21年(2009) |
| 23回忌 | 平成 15年(2003) |
| 27回忌 | 平成 11年(1999) |
| 33回忌 | 平成 05年(1993) |
| 37回忌 | 昭和 64年(1989) |
| 43回忌 | 昭和 58年(1983) |
| 47回忌 | 昭和 54年(1979) |
| 50回忌 | 昭和 51年(1976) |
| 100回忌 | 大正 15年(1926) |
2024冬 報恩講を厳修

10月6日に報恩講法要をお勤めいたしました。講師として瓜生先生をお招きしました。お天気も良く、お参りくださった方たちとお勤めすることができました。先生のお話を要約して掲載いたします。
今回は親鸞聖人の師匠である法然上人についてのお話をしていただきました。法然上人がお生まれになったのは1133年で、ちょうど貴族の社会から武家の社会に移っていく変動の時代でした。
法然上人は幼い頃から聡明な子供でした。お父様である漆間時国は、岡山県美作国の領主で、貴族の土地を守り年貢を回収する仕事をしていました。後の武士となるような仕事です。そのお父様は近隣の武力集団から狙われ、ある時襲撃されてしまいます。幼少の法然上人は乳母に助けられて逃げ延びましたが、しばらくして屋敷に戻ると、お父様は傷を受けて瀕死の状態でした。遺言としてお父様から「恨みを持って恨みを返すな。出家して私の菩提を弔ってくれ」と言われ、13歳でお坊さんになることを決意しました。

近くの寺に出家しましたが、才能を認められ、より大きな寺院に預けられることになります。その時、上人の師匠から「文殊菩薩の像一体をお預けします」という手紙を預けられ、大きな寺院に参ったそうです。そこでも才能を認められ、比叡山に行くことになります。比叡山は当時、日本最高の仏教の勉強ができる場所でした。
世界的に見ても、インドや中国、韓国と仏教は伝えられていましたが、インドではイスラム教による征服で仏教はなくなり、中国では武帝による政策でお寺を廃絶し、僧侶は還俗させられました。韓国でも政治不安で仏教の勉強をしている場合ではなくなっていた時代でした。そういった事情から、法然上人が仏教の勉強と修行に励んだ比叡山は、当時世界一とも言える場所とい言えます。

法然上人は大変頭のいい方で、最も難しいと言われる経典も三回読めば覚えることができ、五回読めばお経の内容を全て理解することができたそうです。そして、八万四千巻と言われるお釈迦様の教えの中で、日本に伝わっていた五千巻という膨大な経典を全て暗記したということです。
法事で読む阿弥陀経よりも、もっとずっと長いお経もたくさんあります。法華経や華厳経のような何十巻、何百巻とあるお経があります。そのお経を全て読み、理解できるような才能を持った方でした。
ですが、比叡山の生活の中で、法然上人は僧侶の人々の中で一人だけ貴族ではない、低い身分から出てきた才能で上り詰めた人物だったため、後ろ盾がありませんでした。おそらく、いじめられたことでしょう。法然上人は、十代後半を比叡山の奥にある黒谷と言われる場所に引きこもって修行に専念していきます。
そこでは念仏を中心とする修行をしていました。念仏と言っても、仏様のお名前を呼ぶのではなく、仏様を念ずる修行をする場所でした。仏を念ずる、お釈迦様のことを念ずる修行というのは、止観業と言いまして、止というのは心をとどめる、観というのは観察する、イメージする修行で、心をより動かさずに極楽浄土をイメージして仏様に出会い、悟りを開こうという修行の仕方です。
その修行を続ける中で、法然上人は別の方法があるのではないかと二〇代では奈良の南都六宗と言われる寺院にも出て教えを請います。どうすれば悟りを開くことができますかと色々な宗派のもとに行って教えを聞くわけですが、なかなか悟りが開けるような教えに出会えません。経典でも難しく、修行を続けるのが難しいということで、法然上人は一生懸命勉強を続け、戒律を守り、修行を続けるわけですが、その中で善導大師という中国の方の称名念仏という、仏様のお名前を呼ぶという念仏の方法に行き当たります。
仏様のお名前を呼ぶという修行の方法は昔から比叡山でも説かれているわけですが、非常に簡単な修行なため、他の難しいことができない、どうしようもないものがやる最後のやり方だと考えられていました。善導大師の「順彼仏願故」(かの仏の願に順ずるが故に❘念仏は阿弥陀仏が願った方法です)という一文を読んで、法然上人は経蔵の中で大きな声で泣いたと言われております。

20年の歳月をかけて、誰もが救われるという教えにやっと出会うことができたのです。普通は、優れた人が救われる教えこそが正しい教えであると考えるわけですが、そうではなく誰もが救われる教えこそが正しい教えなのだと法然上人は悟ります。それが浄土宗の立教開宗の時だと浄土宗では考えられています。それから950年という時間が経ったのが今年になります。そういうこともあり、「法然と極楽浄土」という展示も行われています。
その法然上人の40歳下に親鸞聖人がいたわけです。親鸞聖人が29歳で法然上人に出会った時は、法然上人が69歳となっていました。その時、法然上人は円山公園の辺りの吉水と言われる場所に仏様の教えを聞ける場所を作って念仏を広めていました。後にそれが浄土宗となっていくわけです。

ですが、当時の常識としては普通ではなかった法然上人の教団は既存の仏教に非常に弾圧され、何度も何度も念仏停止の法律が作られたり都から追い出されたりします。後には承元の法難というものがあり、親鸞聖人は越後に流され、法然上人は土佐の国に流されるという判決が出て刑が執行されます。
実際には法然上人は讃岐まで行ってそこでとどめ置かれるのですが、後に罪を許されて京都に帰っていきます。しかし、その時はもう八〇歳になっており、京都に入るとまもなく亡くなってしまいます。
法然上人がなくなった後も念仏者への弾圧は続いて、一二二七年の十三回忌の時には墓を暴かれ遺骨を焼かれるということが起こってしまいます。しかし、法然上人の骨は別の場所に安置され、無事でした。しかし、選択本願念仏集の板木は焼かれてしまいます。
法然上人の求道の歩みと、親鸞聖人の自分で悟りを開けない私が救われる道は何だろうかという悩みをへて、お二人が発見してくださった浄土の教えが、今、私の聞いている浄土真宗の教えとなるわけです。
瓜生先生は様々なお弟子さんの生き方や親鸞聖人の悩みを分かりやすくお話しくださいました。
2025年3月の永代経にも瓜生先生にお越しいただきますので、よろしければご参拝ください。