疫癘の御文  

 本願寺八代目住職の蓮如上人が書かれたお手紙を御文(御文章)と言います。全国に届けられたお手紙がそれぞれの地域で大切に読まれていました。蓮如上人の孫である圓如が、その手紙を全国から集め、版木で印刷して人々に配られた物が御文と呼ばれる物です。

その御文の四帖目九通に載っているのが疫癘の御文です。

一四九二年の夏に疫癘(流行病・疫病)がはやり七月には元号を改元し疫病を収めようとした様です。「疫病が原因で死ぬのではありません。人は生まれたからは死にます。頼りとなるのは阿弥陀様だけだよ」というお手紙です。

【原文】四-九 疫癘の御文

 当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生れはじめしよりして定まれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。

しかれども、今の時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきやうにみなひとおもへり。これまことに道理ぞかし。このゆゑに阿弥陀如来の仰せられけるやうは、「末代の凡夫罪業のわれらたらんもの、罪はいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくふべし」と仰せられたり。かかるときはいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、極楽に往生すべしとおもひとりて、一向一心に弥陀をたふときことと疑ふこころ露ちりほどももつまじきことなり。

かくのごとくこころえのうへには、ねてもさめても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申すは、かやうにやすくたすけまします御ありがたさ御うれしさを申す御礼のこころなり。これをすなはち仏恩報謝の念仏とは申すなり。あなかしこ、あなかしこ。延徳四年六

【意訳】

 最近、ことに疫病で人が死んでいます。しかし疫病が原因で死んでいるのではありません。(死ぬことは)生まれたからには決まっていることなのです。いまさら大きく驚くことではないでしょう。

 けれど、今の情勢で亡くなると、やはり疫病が原因ではないかと、人は思ってしまいます。これもよくわかります。このようにおびえる人がおりますので阿弥陀如来の仰せの要点は「救い無き時代のただびと、罪の生活をする私たちのような者は、罪はどれだけ深くても、阿弥陀如来を一心に頼む人間を、必ず救うと誓う」とおっしゃってくださいました。

ならば、いよいよ阿弥陀仏を深くお頼みし、極楽に往生させてくださいと深く思いましょう。一筋に一心に阿弥陀を尊び、疑う心は微塵ももつべきではありません。

 そのように心得たなら、寝ても覚めても「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と申すことは、たやすく助けてくださる、有り難さ嬉しさを表すお礼の心です。これを言うなれば仏様の御恩に報いてお礼を言葉にする念仏と申し上げるのです。かしこ