2024秋 法然と極楽浄土展

 4月の終わり頃に上野の国立博物館平成舘で『法然と極楽浄土特別展』を見てきました。

 浄土宗の開宗850年の記念にあわせて開かれたようです。浄土真宗の開祖親鸞聖人が大切にされ、七高僧のお一人でもある方についての展示物が見られる貴重な機会ですので、見に行くことができて良かったです。

 法然上人の生涯とその時代、お経の世界を描いた絵、その後教えを受け継いでいった方達について、解説や多くの資料が並び大変なボリュームでした。文字の資料や絵や名号が書かれた掛け軸はもちろんですが、普段は各お寺でお参りしている仏像や法然上人の像も見ることができました。

 特に印象に残ったのは知恩院の法然上人裸形着装像です。木像に布の黒衣と五条袈裟を身につけており、とても凝っていることに驚きました。後で図録の詳しい解説やインターネットで見たのですが、着物は人間用と同じつくりで下着も着せてあるそうです。像本体は仏像のデザインではなくリアルな人間に近いそうで。崇拝の対象よりも身近なものとして作られたのではないかと解説がされていました。

 親鸞聖人は法然上人にだまされて念仏して地獄に落ちても後悔はないとおっしゃったと言います。法然上人によって阿弥陀さまの救いにであった方たちから大切に思われていたことが伝わってくる像でした。

 東京での展示は終了しましたが、2024年10月8日から京都国立博物館で開催予定とのことです。

(釋尼光智)

2024-08-31 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan

2024秋 住職のマスクについて

 宗泉寺住職の釋龍源です。

 私は基礎疾患に喘息があり今も通院を続けています。

 呼吸器が弱く杉以外の花粉アレルギーもあり、コロナ流行中からのマスク生活を継続しております。

 ご容赦下さい。

2024-08-31 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan

2024秋 看板修繕と駐車場案内板と手すり設置

境内の大看板

 宗泉寺の看板も最初に作ってから十八年がたち、古びてきたため七月に修繕しました。細い通りと大岡越前通りの角のところの三角柱の看板です。またこの機会に駐車場の案内看板も設置しました。

 どの業者で、どんなデザインにして、どこにつけると安全かと決めるまでに悩んで、結構時間がかかりました。ですがデザインや設置場所など決定してお願いしてから、工事自体は三日ほどで終了しました。

西に向かう道から見えます

 きれいになった看板と、新たに設置した駐車場案内板で、宗泉寺を見つけやすくなっていれば幸いです。

手すりをつけました

 お盆法要で椅子に座って靴を履く方、壁に手をついて靴を履く方が見受けられましたので、手すりを二つ付けました。使ってみて下さい。

2024-08-31 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : stan

2024夏 永代経と春期彼岸法要勤まる

 3月のお彼岸の日曜日に、永代経法要と春彼岸会法要をお勤めしました。御講師としてジェシー釋萌海先生に御法話をいただきました。お話の感想を書きます。

 宗泉寺は自死者追弔法要という、みずから命を終えていった自死者の法要や、ご遺族同志の話し合いの場をもつ活動しております。安楽死(自死者)の遺族であるジェシー先生をお招きしてお話を聞くこともその一環となるのではと思い、この度のお願いをしました。

 ジェシー先生はスイスの山間の村で育ち、幼い頃から空手を学んで日本に興味を持ち、現在は日本で僧侶として活動されています。

 今回、数年前にジェシー先生のスイスに住むお母さんが、安楽死で亡くなった話をしていただきました。

 元気だったお母さんと別れる葛藤や苦しみ、そして死を選ぶという納得のできない決断のことや、安楽死の方法、またスイスが安楽死を認めていることも問題ではないかというお話しでした。

 お母さんは「もうやりたいことは終えたし、後は老いるのを待つだけでは生きていたくない」と話していました。

 そして安楽死の日にちが決まった後も、どうにか説得はできないのか心変わりするのではと、手を尽くして説得したり怒ったり、なだめたりを毎日電話で続けました。しかし、その日がやってきて、決行の時間が来てしまいました。ジェシー先生は、その日はなるべく決行の時間を考えないように、時計を見ないようにして過ごしました。

 ついに安楽死の実行の時間が過ぎたことを知り、なんだか信じられない複雑な気持ちだったそうです。

 それからは、母はなんで亡くなったのだろうか? 元気な肉体を持っているお母さんが自ら死を選ぶと言うことに悩み、苦しみの日々だったこともお話下さいました。

 そんな日々のなかで、以前から東本願寺の看板に掲げてあった言葉「今、あなたがいのちを生きている。Now, Life is living you.」を見て「私が」いのちを生きているのではないという表現に驚いて、いのちってなんだろうと改めて考えるようになったそうです。その後、興味を持った東本願寺の門を叩き、たくさんの先生のお話を聞く中で、僧侶の資格を取りたいと決心し、所属するお寺も見つかり、お坊さんになることができたと言うことでした。

 大きな苦しみの中でお母さんの命とは何であったのか、また自分自身の命とは何なのか。深い悲しみの中で思い悩んでいた中で仏教の教えに出会うことができたというお話を聞かせていただきました。

 お話の中でジェシー先生がお母さんの写真を参詣者に見せて、これが母ですと説明しました。そのお母さんの写真を投げ捨てて、畳の上に落としたままにして三十分程お話ししていました。その姿を見て、お母さんへの色々な気持ちの中に怒りという苦しみもあることが伝わって来ました。

 日本は世界的にみても自死者の多い国です。もし日本で安楽死という、国によって認められた自死の方法が許されたならば、死を選ぶ人も多いだろうと思います。確実に医療者の手によって死の選択の機会が選べるのならば、その方法を選ぶ人もいるでしょう。安楽死を認めた方が良いのではという発言も見たことがあります。実際に海外に行って安楽死を選択する日本人をテレビ番組で特集したものも見ました。自分のいのちだから、自分の選択で決めたのだという考え方もあるのでしょう。

 しかし、生きて行くよりも死を選ばなくてはならないような価値観、他人を切り捨てるようなまなざし、厳しい社会状況や不十分な福祉制度など、無意識のうちに強要された選択もあると思います。

 ジェシー先生の「いのちは誰のものか?」と言う問いには、「いのちは私のものではない」という気づきがあるのではないでしょうか。

文責 釋龍源

2024夏 お寺デ健康体操報告

 おみがきの後に、固まった体を体操でほぐしました。フレイル(虚弱)予防の簡単な運動です。ゆっくり、無理のない範囲での運動ですが、効いている感じがわかって面白かったです。

 指導は寺報の最終ページに体操の記事を寄せてくれている若林義道さんです。

2024-05-05 | カテゴリー : 行事報告 | 投稿者 : stan

2024夏 おみがき報告

 春のお彼岸、永代経に向けてのおみがきを3月10日に行いました。おしゃべりしながら、本堂の仏具をボロ布とみがき剤で綺麗にしました。有難うございました。 初参加でも経験者が教えますので、興味のある方は次回お手伝いいただければ有り難いです。

2024夏 みんなで本を読むー聞法会の報告

 住職から30分ほど正信偈についてお話を聞いた後、法語カレンダーの言葉に関する短い文章を読みました。仏教や真宗の話もしますが、法語をきっかけに、それぞれ普段思っている事や体験などを話しました。

  2月29日(木)

念仏をはなれて

 仏もなく 自分もない

 金子 大榮

 

 お参りするときの手を合わせる形について、その時は手を動かせない、仏様におまかせという形だというお話が出て、なるほどなあと思いました。法語の前後の文章やどんなときに言われた言葉かも知りたいねという話題も出ました。


4月26日(金)

まことに 浄土真宗とは

   聞法が いのちであった

 近田 昭夫

南無阿弥陀仏が 

私の救われるしるしであり 証である

梯 實圓

お休みだった3月と、4月の法語について読みました。「見た目や能力という価値観とは異なる、今ここの自分自身として生きることが仏教の救い」という文に、こういう心になれたらいじめも無くなるという話も出ました。身近な人がなくなった時の話や家族のことなど、色々なお話をお聞かせいただきました。

2024夏 正信偈を書く会―写経の会―

 今年から始めた写経の会です。月一度のペースで続いています。2月19日、3月11日、4月8日に宗泉寺本堂で開催しました。

 2時の開始時刻前後に集まり、1時間程ほど各々静かに写経をしています。お寺で準備した中から好きなテキストやプリントを選んで、ボールペンや筆で書いています。終了後は30分ほどお茶を飲みながらおしゃべりして解散します。

 月一回の開催ですが、気が向いたときのみの参加もできますのでお気軽にどうぞ。

2024夏 花御堂―お釈迦様のお誕生日―

 4月8日のお釈迦様の誕生会をお祝いして、今年もお寺の玄関に花御堂をお飾りしました。ご法事や写経会で見えた方が、誕生仏に甘茶をかけてお参りしていました。

 生まれた時にお釈迦様が言われたとされる「天上天下 唯我独尊」という言葉は、世間では世界中で私だけが尊い、という意味で使われることが多いですが、「誰も代わりにならない私として、このいのちそのままが尊い」ということだそうです。お釈迦様の誕生日という行事は、あなたもわたしも代わりになるものはいない大事な存在だと伝えてくれる日でもあるなと思います。