自死者追弔法要を勤修しました

 2022年12月24日に、宗泉寺本堂において、自死者追弔法要をお勤めしました。

 参加希望の連絡がなかったため、中止かもと心配しましたが、時間になると参拝者が来て下さいました。参加者全員でお勤めをし、法要中にはご持参いただいた大切な方へのお手紙を御尊前にお供えしていただきました。

 住職の法話はお釈迦様のおさとりまでのお話しをしました。苦しみをなくすのは、王族の楽しみを追い求めるだけの生活でもなく、修行者の心身をいじめるだけの生活でもない。ほどほどの道(中道)を歩みましょうと話しました。

 その後、聞きあう時間を持ち閉会しました。

 次回は6月に開催します。詳しくは行事案内をご覧ください。

2022 帰敬式受式者聞法会

 

 宗泉寺で帰敬式を受けた方に、聞法してもらう機会になればと12月3日に行いました。

 今回は住職から法然上人と親鸞聖人についてお話ししました。

 法然上人は親鸞聖人の師匠であり浄土宗を興された方です。

 お寺の集まりや朝晩のお勤めで読まれている『正信偈』にも、法然上人が源空というお名前で出てきます。親鸞聖人がお作りになった『和讃』にも法然上人を取り上げたものがあります。『歎異抄』の中にも、親鸞聖人が法然上人についてお話しする有名なエピソードがあります。

 勉強して修行しても煩悩が無くならず苦しんでいた親鸞聖人にとって、南無阿弥陀仏をとなえ阿弥陀様におまかせするという法然上人の言葉が本当に特別だったのだなあということが伝わってきました。

 帰敬式を受式した方でなくても、お話しを聞いてみたい方はお気軽に参加できます。     (坊守)

アントニオ猪木さんの言葉

 昨年の秋、プロレスラーのアントニオ猪木さん亡くなられました。彼が引退式で諳んじた言葉をご存知でしょうか。

この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。

危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足が道となる。

迷わず行けよ。 行けばわかるさ。

という名台詞です。世間では一休宗純の言葉と知られているそうですが、実は浄土真宗のお坊さんの詩に似たものがあります。

 愛知県碧南市にある西方寺の清沢満之の孫にあたる清沢哲夫という方が昭和二十六年に発表した著作『無常断章』に次の様な詩が掲載されています。

「道」

此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ

危ぶめば 道はなし

ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である

わからなくても 歩いて行け 行けば わかるよ

 清沢哲夫は西方寺の改革をしようと運動しましたが、今まで通りのお寺を求める門信徒と折り合いが悪くなり西方寺から出て行くことになります。この詩はその頃に書かれたもののようです。

 「不安に思うけれど新しい一歩を踏み出せよ。その一歩が道となる」と励ましてもらえる言葉です。

2023年 年回表

年回表について

 年回表はあくまで目安です。表の通りでなくても法要をお勤めできます。毎月のご命日・祥月命日のお参りもしております。

2023年 年回表

年回年回にあたる没年
1周忌令和4年 2022年
3回忌令和3年 2021年
7回忌平成29年 2017年
13回忌平成23年 2011年
17回忌平成19年 2007年
23回忌平成13年 2001年
(25回忌)平成11年 1999年
27回忌平成9年 1997年
33回忌平成3年 1991年
37回忌昭和62年 1987年
43回忌昭和56年 1981年
47回忌昭和52年 1977年
50回忌昭和49年 1974年
宗泉寺 ☎0467-51-7255

2022秋 みんなで本を読むー聞法会の報告

 コロナ対策として、距離を取って、時短、マスク着用参加、飲食は無し、短い本を参加者で読んで感想や疑問を話し合います。

9月19日(月)

 法語カレンダーの『手を合わせ 仏さまを拝むとき 私のツノを 知らされる』という言葉を二種類のテキストを音読しました。

11月27日(日)

 法語カレンダーの『たとえ一人になろうとも 仏はあなたと 共にある』という言葉についてテキストを読みました。言葉のもつ寄り添いの気持ちを話し合いました。

 また、340年前に東西本願寺に別れた大阪府八尾市のお寺が和解したテレビ番組のことが話題になりました。「340年ごしの和解 〜親鸞の血脈を引く二つの寺〜」NHKで放映されたので見たという方もいらっしゃるのではないでしょうか。歴史の証言や資料を保存することの大切さや、長い年月が経っても和解していけることがあると話し合いました。浄土真宗で一つになれないのかと言われているようでした。

2022報恩講が勤まる

 10月1日に宗泉寺の報恩講が勤修されました。

 瓜生崇先生の法話「親鸞聖人の時代におきた出来事」の要約です。

 大河ドラマで鎌倉殿の13人が放映されていますが、親鸞聖人が生まれた頃はちょうどその頃。平安時代末期の平家が台頭し政権を自由にしていた頃です。その後、各地方の治安維持のために公家が雇っていた武士が力を強め、権力をもった武士集団の源氏が平家を倒し鎌倉幕府を建てた激動の時代でした。戦争も度々起こり、飢饉や地震も起きた、生きていくだけでも難しい時代でした。

 1173年に貴族の家系に生まれた親鸞聖人は九歳で比叡山に登り出家したといわれています。その後20年間、当時最高の学問機関でもあった比叡山で修行をします。自身の体と心を整えて勉学にはげむ日々でしたが、悩み多き青年は京都の町の中にある六角堂に通って夢告を求めます。夢告とは夢に神仏が出てきて導いて下さるという文化です。当時の人は夢のお告げを大切にしていました。六角堂は夢のお告げをいただける寺として人気の場所でした。95日かよって夢告を受けます。

 六角堂の救世菩薩が告げます。

行者(ぎょうじゃ)宿報(しゅくほう)にて

たとい女犯(にょぼん)すとも、(われ)玉女(ぎょくにょ)

身となりて(おか)せられん。

一生の(あいだ) ()荘厳(しょうごん)して

臨終(りんじゅう)引導(いんどう)して 極楽(ごくらく)

(しょう)ぜしむ

〈訳:あなた(親鸞)が因縁によって、たとえ異性と交わったとしても、私(菩薩)は宝のような体となって犯されましょう。一生の間よく私(菩薩)があなたの人生を尊いものにして、命終わるときには導いて極楽に連れて行きましょう〉

という夢のお告げをいただきました。女犯偈(にょぼんげ)ともいわれる詩として伝えられています。

 毎年、本山では親鸞聖人の祥月命日の法要である報恩講で拝読されています。

 性のことは避けてお話する方も多いですが、瓜生先生は触れて下さいました。講話の一部です。

この文を見ると親鸞さんはスケベな坊主に見えます。

ですが大切なところは宿報というところ。どうにもならないこと。自分の人生が思い通りにいかないことです。

 生まれた場所も、生活する場所も選べない、両親も選べない、時代も選べない、なにも思い通りにならない。自分の意思で生きているようだけれど、選べる中で選択してきたということがあります。

 お釈迦様は心、五蘊(見る聞く、感覚、考えや行い)は無我であるといいます。心も自分の思い通りにならない。悲しみたいと思って悲しんでいる訳ではない。身も心も流されるように生きている私達です。

 親鸞聖人も男に生まれたくて生まれたわけでもない。男性として生まれて女性と交わりたいと思うのも宿報でしょう。

 『歎異抄』に弟子の唯円との対話が書かれています。

 親鸞が「唯円よ、師匠の私を信じるか?」「はい、信じます」。親鸞は「それでは今から千人殺してこい、そうすれば浄土往生間違いない、できるか?」と言われた。唯円は「一人殺すことも難しいと思います」と断ると親鸞は「俺を信じるって言ったよね。信じていたって出来ないことあるよね。殺す気がなくても殺してしまうこともある。私たちがやっていることは毛先の程度のことでも宿報によらないということはないんだ」と

さるべき業縁のもよおせば、

いかなるふるまいもすべし。

『歎異抄』

 私(親鸞)もどうにもならない状況になったら、何をしでかすかわからないのが私だと言われました。

 仏教では「殺すな、殺さしむなかれ」といいますが、平和な日本だからそんなこと言ってられる。ウクライナに生まれたら招集がかかって家族のために銃を持つこともあるでしょう。敵が来て殺されるとなったら引き金を引くと思います。

 バスの置き去り事件も小さい子供が亡くなりましたが、施設の人も殺そうと思って働いていた訳ではないでしょう。

 私たちは思うようにならないところを生きている。男に生まれたら女性のことで欲望を持ち、女性ならば比叡山に登ることもできない。どうにもならないことを引きずって生きているものに、どうにかなれということが仏の救いだったならば、これは本当に人が救われる道なのかなと親鸞聖人は思ったのではないでしょうか。

 親鸞聖人は女性と交わりたくて比叡山を下りたという説もあるが、そんな話ではなく、人はどうにもならないものを抱えて生きているのだと、どうにもならないものがどうにかなれと仏様がいうだろうか、これが親鸞聖人の見た夢の内容です。

 瓜生先生の講義の心に残った所です。女犯偈は「女を犯す」という表現が使われるあつかいが難しい詩ですが浄土真宗では大切にされてきました。

 家族や病気など様々な悩みを聞かせていただくと、どうにかならないかなあと思います。どうにもならない心と体を持った私がどうやったら救われるかという問題に悩まれた親鸞聖人のお話でした。1時間半の法話の30分ほどの部分です。法話の全部は動画で視聴できますのでご覧下さい。

2022夏 自死者追弔法要〜わかちあい

 宗泉寺本堂におきまして自死者追弔法要を行いました。集まった皆さんとお勤めをし、住職から短い法話をした後に、お互いのお話しを聞きあっていただきました。
 今回は法話のかわりにリヴオンという団体の作った「大切な人をなくした人のための権利条約」
という文章を読みました。

 リヴオンというのは、だれもがグリーフケアにつながる社会を目指して活動している一般社団法人です。HPもありますので興味のある方は検索してみてください。
 以下は、寺報への掲載を許可して下さった参加者の感想です。



○自分の中に秘めていた感情、心の痛み…。同じ立場の方々と共にする時間だからこそ、そんな自分の本音がこぼれたんだと思います。足を運ぶまでは勇気がいりましたが参加させて頂き、自分のまだまだ癒えない心を再認識させてくださり受け止める事ができました。そして、それでいいんだという安心感も感じることができました。
 参加させて頂き本当にありがとうございました。


○とても有意義な時間を過ごさせて頂きました。同じ様な境遇でもそれぞれ過ごしてきた時間や気持ちも違う中で、語り合えたことが有り難かったです。日々の日常を送る中で、感じたことやあえて遠ざけていたことが、一緒に共感できて嬉しかったです。自分や故人と向き合えるとても良い機会になりました。故人もきっとどこかから見ていてくれたと思います。



 この会は大切な方を自死で亡くされたご遺族を対象に昨年からはじめました。亡くなった大切な方のこと、ご自分の気持ちなどを安心して聞きあい話せる場所をつくれたらと思っています。年末にも開催しますのでお越し下さい。


質疑応答 自死のハードル
質問:浄土真宗って自死(自殺)へのハードルが低くなるのでは? 他の宗旨のように自死は救われない、地獄行きと説いた方が自死は減るのではないでしょうか? 誰でも救われる、極楽に生まれるな
ら死んでしまおうと考えても仕方がないのでは?


住職解答:生きている人はなるべく死を恐れず、死を考えず生きていけるならば、それが良いのかもしれません。宗教なんてなくても生きられるという方は多いでしょう。
 しかし、どんな人も嬉しく楽しく遊んでも帰る時に、ふつと私の人生なんだったんだ、誰も私をわかってくれないんだなと空しく思う時があります。生きる意味、私である意味、思い通りに行かない人生の意味を問わずにはいられないのが人間です。
 死んでしまおうと思うほどの人が、極楽があるから安心だと思っているかはわかりません。ただその人にとって生きていることが、どうしようもなく辛いことだけは現実です。そのような人に地獄に行くから死んじゃダメだと脅かして良い結果になるでしょうか。
 楽だから死ぬという考えを改めてみてはいかがでしょうか?
 また自死した方のご遺族に対して、目を見て地獄行きだねと言える人はいるでしょうか。
 私は生きている人には、一緒に生きようと励ましあって生きていきたいです。また、亡くなった人には、故人の人生の歩みと周りに与えた影響を偲び敬い大切にすれば良いと考えております



2022夏 みんなで本を読むー聞法会の報告

 コロナ対策として、距離を取って座る、時間を短縮、マスクを付けての参加、お茶タイムはなしで、仏教の本を皆さんで読んで感想や疑問を話し合っています。
  五月二十九日(日)
「失ったものを 数える人あり 与えられたものに 感謝する人あり」 豊島 学由
 参加者の「夫を亡くした後、ケンカする相手がいるだけ良い、一人でご飯はさみしい」というお話しが印象に残りました。コロナの影響で変化した葬儀やお見舞いや介護のお話しもしました。


  六月二十六日(日)
「この心も身も全部 如来からの いただきもの」  大峯 顕
 参加者の方からキリスト教の教え「頂いた命」「借りた命」を教わりました。自分の肉体は、借りた体なので邪険に扱わない。そして他人も大切にできる考えです。法語を見てお話し下さいました。

2022 新盆合同法要・ 盂蘭盆会合同法要勤まる


 

新盆本堂荘厳

7月10日には新盆合同法要を、8月7日には盂蘭盆会合同法要を宗泉寺本堂に於いてお勤めしました。
 どちらも、人数を大幅に絞っての開催のため先着申し込みとし、時間をこちらで決めさせていただきました。皆様のご協力の御陰で無事にお勤めすることができました。ありがとうございました。



法話中の住職

新盆法要の法話
 『仏説阿弥陀経』の中の


 「阿弥陀仏の教えを聞き、阿弥陀仏の名号を心に念じ、声を出して称えることを、一日、(中略)もしくは七日と続けて乱れることがないならば、その人が命を終えるとき、阿弥陀仏が多くの尊いお弟子と共に、その人の前に姿をお見せになります。そのために、命を終えようとしている人は、死の不安を感じることもなく、心を安らかに保ったまま、極楽浄土に生まれることができるのです」(和田真雄訳)

という経典のお言葉をお話しました。南無阿弥陀仏と念仏申せば極楽に生まれるとお釈迦様が説いている経典です。お経って内容があったんだと驚かれる方もいらっしゃいました。



盂蘭盆会法要の法話
 「『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。」
前日の八月五日にあった広島市長松井一実さんの「平和宣言」からお話ししました。皆で一緒に救われようという大乗仏教の教えを大切にしましょうとお話ししました。


 正午の法要では、今話題の宗教団体と政治の関わりについて、過去に政治と一体になって仏教教団が国策に協力した歴史をお話ししました。


 午後は阿弥陀経に出てくる極楽の鳥達と餓鬼についてお話しをしました。姿は違えども、私達に教えを伝えようとしてくれているとお話ししました。

客間での中継の様子

三河大浜騒動の動画と展示

 明治時代の廃仏毀釈のことが気になっていて、インターネットの記事や本のことなど色々と調べていて見つけた動画です。同朋大学のサイトでオンライン展示として、三河大浜騒動150周年というテーマで公開されています。

 こちらのサイトで視聴できます。https://www.doho.ac.jp/news/1728-2021-150

 古刹でも仏像が壊されたり、焼かれたり。その地域の為政者の方針によっては、寺院がいくつもなくなった地域があるというのは、聞いたことがありました。

 ですが、具体的な一つ一つの事件については、これまで学ぶ機会がありませんでした。

 三河大浜騒動とは愛知県碧南市で明治4年に起きた事件です。

 神道儀礼の強要、寺院の統廃合をせまる政府側(菊間藩)に、真宗僧侶の石川台嶺を中心に抵抗したが、騒ぎが大きくなり暴動に発展。菊間藩の役人が殺害され、事件に関わったとされる僧侶や門徒が刑に処されたそうです。

 動画では、色々な資料に基づき、大浜騒動に関わった人たちを政府側、寺院側の両方から検証しており、とても興味深かったです。抗議が暴動に発展していく様子も、デマによって暴動に加わってしまう人もいたことや、同じ僧侶でも対応方法が色々なところなど、実際の出来事を詳細に掘り下げようとしているのを感じました。150年前に何があり、壊す側も壊される側もどういう風に考えて、行動したのかもっと知りたいと思いました。

 東京などの大都市と違って、地方は代々住んでいる人も多いと思います。150年前くらいだと曾祖父さんくらいから話を聞いたというご健在の方もいらっしゃるかも、地域の人たちにもたらした大きな衝撃の影響が残っているかもしれない、そんななかで事件のことを調べるというのは大変なことだろうと想像します。

 西尾市岩瀬文庫では今年の5月14日より、この三河大浜騒動についての企画展示が行われるそうです。興味のある方は西尾市岩瀬文庫のホームページをご覧ください。https://iwasebunko.jp/event/exhibition/

                                      釋尼光智