四月八日の前後数日、お釈迦様の誕生会をお祝いして、今年もお寺の玄関に花御堂をお飾りしました。甘茶をかけてお参りしてくださった方もいたようです。
今年は紐くじを作って設置してみました。景品(お子さん向けのおもちゃや文具ですが)がまだ余っているので、引き続き玄関に設置中です。お参りの際など、大人の方も是非どうぞ。久々に引くと結構おもしろいですよ!
四月八日の前後数日、お釈迦様の誕生会をお祝いして、今年もお寺の玄関に花御堂をお飾りしました。甘茶をかけてお参りしてくださった方もいたようです。
今年は紐くじを作って設置してみました。景品(お子さん向けのおもちゃや文具ですが)がまだ余っているので、引き続き玄関に設置中です。お参りの際など、大人の方も是非どうぞ。久々に引くと結構おもしろいですよ!
1月1日午前10時より、宗泉寺本堂にて修正会を参詣者とお勤めしました。正信偈と御文の拝読、法話をしました。
コロナウィルスの流行も3年目になりました。今年は東日本大震災で亡くなられた方の13回忌になります。また関東大震災からは100年たったそうです。人生の中で何が起こるか不安で選択を投げ出したくなる時もあります。
これからが これまでを決める
藤城聡麿
という言葉があります。日常の心ではこれまで(過去)の選択によってこれから(未来)は決まっていると思いこんでいます。
ですが仏教では、これからの選択が、これまでの人生の意味を変えると教えてくれます。取り返しのつかない過去を黄金にするのか土くれにするのか、これからの選びが決めるのです。
年回表について
年回表はあくまで目安です。表の通りでなくても法要をお勤めできます。毎月のご命日・祥月命日のお参りもしております。
2023年 年回表
年回 | 年回にあたる没年 |
1周忌 | 令和4年 2022年 |
3回忌 | 令和3年 2021年 |
7回忌 | 平成29年 2017年 |
13回忌 | 平成23年 2011年 |
17回忌 | 平成19年 2007年 |
23回忌 | 平成13年 2001年 |
(25回忌) | 平成11年 1999年 |
27回忌 | 平成9年 1997年 |
33回忌 | 平成3年 1991年 |
37回忌 | 昭和62年 1987年 |
43回忌 | 昭和56年 1981年 |
47回忌 | 昭和52年 1977年 |
50回忌 | 昭和49年 1974年 |
コロナ対策として、距離を取って、時短、マスク着用参加、飲食は無し、短い本を参加者で読んで感想や疑問を話し合います。
9月19日(月)
法語カレンダーの『手を合わせ 仏さまを拝むとき 私のツノを 知らされる』という言葉を二種類のテキストを音読しました。
11月27日(日)
法語カレンダーの『たとえ一人になろうとも 仏はあなたと 共にある』という言葉についてテキストを読みました。言葉のもつ寄り添いの気持ちを話し合いました。
また、340年前に東西本願寺に別れた大阪府八尾市のお寺が和解したテレビ番組のことが話題になりました。「340年ごしの和解 〜親鸞の血脈を引く二つの寺〜」NHKで放映されたので見たという方もいらっしゃるのではないでしょうか。歴史の証言や資料を保存することの大切さや、長い年月が経っても和解していけることがあると話し合いました。浄土真宗で一つになれないのかと言われているようでした。
10月1日に宗泉寺の報恩講が勤修されました。
瓜生崇先生の法話「親鸞聖人の時代におきた出来事」の要約です。
大河ドラマで鎌倉殿の13人が放映されていますが、親鸞聖人が生まれた頃はちょうどその頃。平安時代末期の平家が台頭し政権を自由にしていた頃です。その後、各地方の治安維持のために公家が雇っていた武士が力を強め、権力をもった武士集団の源氏が平家を倒し鎌倉幕府を建てた激動の時代でした。戦争も度々起こり、飢饉や地震も起きた、生きていくだけでも難しい時代でした。
1173年に貴族の家系に生まれた親鸞聖人は九歳で比叡山に登り出家したといわれています。その後20年間、当時最高の学問機関でもあった比叡山で修行をします。自身の体と心を整えて勉学にはげむ日々でしたが、悩み多き青年は京都の町の中にある六角堂に通って夢告を求めます。夢告とは夢に神仏が出てきて導いて下さるという文化です。当時の人は夢のお告げを大切にしていました。六角堂は夢のお告げをいただける寺として人気の場所でした。95日かよって夢告を受けます。
六角堂の救世菩薩が告げます。
行者宿報にて
たとい女犯すとも、我玉女の
身となりて犯せられん。
一生の間 能く荘厳して
臨終に引導して 極楽に
生ぜしむ
〈訳:あなた(親鸞)が因縁によって、たとえ異性と交わったとしても、私(菩薩)は宝のような体となって犯されましょう。一生の間よく私(菩薩)があなたの人生を尊いものにして、命終わるときには導いて極楽に連れて行きましょう〉
という夢のお告げをいただきました。女犯偈(にょぼんげ)ともいわれる詩として伝えられています。
毎年、本山では親鸞聖人の祥月命日の法要である報恩講で拝読されています。
性のことは避けてお話する方も多いですが、瓜生先生は触れて下さいました。講話の一部です。
この文を見ると親鸞さんはスケベな坊主に見えます。
ですが大切なところは宿報というところ。どうにもならないこと。自分の人生が思い通りにいかないことです。
生まれた場所も、生活する場所も選べない、両親も選べない、時代も選べない、なにも思い通りにならない。自分の意思で生きているようだけれど、選べる中で選択してきたということがあります。
お釈迦様は心、五蘊(見る聞く、感覚、考えや行い)は無我であるといいます。心も自分の思い通りにならない。悲しみたいと思って悲しんでいる訳ではない。身も心も流されるように生きている私達です。
親鸞聖人も男に生まれたくて生まれたわけでもない。男性として生まれて女性と交わりたいと思うのも宿報でしょう。
『歎異抄』に弟子の唯円との対話が書かれています。
親鸞が「唯円よ、師匠の私を信じるか?」「はい、信じます」。親鸞は「それでは今から千人殺してこい、そうすれば浄土往生間違いない、できるか?」と言われた。唯円は「一人殺すことも難しいと思います」と断ると親鸞は「俺を信じるって言ったよね。信じていたって出来ないことあるよね。殺す気がなくても殺してしまうこともある。私たちがやっていることは毛先の程度のことでも宿報によらないということはないんだ」と
さるべき業縁のもよおせば、
いかなるふるまいもすべし。
『歎異抄』
私(親鸞)もどうにもならない状況になったら、何をしでかすかわからないのが私だと言われました。
仏教では「殺すな、殺さしむなかれ」といいますが、平和な日本だからそんなこと言ってられる。ウクライナに生まれたら招集がかかって家族のために銃を持つこともあるでしょう。敵が来て殺されるとなったら引き金を引くと思います。
バスの置き去り事件も小さい子供が亡くなりましたが、施設の人も殺そうと思って働いていた訳ではないでしょう。
私たちは思うようにならないところを生きている。男に生まれたら女性のことで欲望を持ち、女性ならば比叡山に登ることもできない。どうにもならないことを引きずって生きているものに、どうにかなれということが仏の救いだったならば、これは本当に人が救われる道なのかなと親鸞聖人は思ったのではないでしょうか。
親鸞聖人は女性と交わりたくて比叡山を下りたという説もあるが、そんな話ではなく、人はどうにもならないものを抱えて生きているのだと、どうにもならないものがどうにかなれと仏様がいうだろうか、これが親鸞聖人の見た夢の内容です。
瓜生先生の講義の心に残った所です。女犯偈は「女を犯す」という表現が使われるあつかいが難しい詩ですが浄土真宗では大切にされてきました。
家族や病気など様々な悩みを聞かせていただくと、どうにかならないかなあと思います。どうにもならない心と体を持った私がどうやったら救われるかという問題に悩まれた親鸞聖人のお話でした。1時間半の法話の30分ほどの部分です。法話の全部は動画で視聴できますのでご覧下さい。
リアルタイムでご視聴の方におかれましては配信の失敗により長い無音の時間がありました。
改めてご法話を公開いたしましたのでご視聴下さい。
S様よりお手紙いただきました。
宗泉寺報、初夏号をありがとうございました、いつも盛り沢山の記事を興味深く拝読させていただいております。戦争のこと、大浜騒動のこと等、今のウクライナ戦争と重ね合わせ、気持ちが沈みます。コロナは少し落ち着いたかなと思い三年振りに実家の墓参りに行って来ました。前田家と同じ墓所です。ついでに久し振りに西田幾多郎記念館、鈴木大拙館、石川のふるさと偉人館も訪れ、若い頃の父の写真を見て懐かしいひとときでした。お元気でお過ごし下さいませ。(令和四年五月二十一日消印)
ご丁寧なお手紙を頂きましてS様に電話でお話をお聞きしました。石川県の加賀前田藩墓所にご実家の墓地があるとのこと。S様のお父様が西田幾多郎氏の甥御さんだそうです。
偉人館の写真は中西 悟堂氏という日本野鳥の会を作った金沢出身の天台宗の僧侶の方。その方とS様のお父様が一緒に日本野鳥の会の活動で写っているそうです。
最近は旅行にも行けていないので、石川県のお話を聞かせていただき嬉しかったです。
皆様も寺報に感想、はげましのお便りを下さい。
人名注
※西田幾多郎1870-1945
石川県かほく市出身、生家は真宗大谷派長楽寺に隣接する門徒。
同級生鈴木大拙に誘われ参禅をするかたわら、真宗の近代教学の祖である清沢満之の論を読む。著作『善の研究』
※鈴木大拙1870-1966
石川県金沢出身、禅の教えを英訳し北米に広めた僧侶。普通に生活する人が仏教を喜ぶ姿を浄土真宗に見て研究した。著作『日本的霊性』『妙好人』『真宗入門』
宗泉寺本堂におきまして自死者追弔法要を行いました。集まった皆さんとお勤めをし、住職から短い法話をした後に、お互いのお話しを聞きあっていただきました。
今回は法話のかわりにリヴオンという団体の作った「大切な人をなくした人のための権利条約」
という文章を読みました。
リヴオンというのは、だれもがグリーフケアにつながる社会を目指して活動している一般社団法人です。HPもありますので興味のある方は検索してみてください。
以下は、寺報への掲載を許可して下さった参加者の感想です。
○自分の中に秘めていた感情、心の痛み…。同じ立場の方々と共にする時間だからこそ、そんな自分の本音がこぼれたんだと思います。足を運ぶまでは勇気がいりましたが参加させて頂き、自分のまだまだ癒えない心を再認識させてくださり受け止める事ができました。そして、それでいいんだという安心感も感じることができました。
参加させて頂き本当にありがとうございました。
○とても有意義な時間を過ごさせて頂きました。同じ様な境遇でもそれぞれ過ごしてきた時間や気持ちも違う中で、語り合えたことが有り難かったです。日々の日常を送る中で、感じたことやあえて遠ざけていたことが、一緒に共感できて嬉しかったです。自分や故人と向き合えるとても良い機会になりました。故人もきっとどこかから見ていてくれたと思います。
この会は大切な方を自死で亡くされたご遺族を対象に昨年からはじめました。亡くなった大切な方のこと、ご自分の気持ちなどを安心して聞きあい話せる場所をつくれたらと思っています。年末にも開催しますのでお越し下さい。
質疑応答 自死のハードル
質問:浄土真宗って自死(自殺)へのハードルが低くなるのでは? 他の宗旨のように自死は救われない、地獄行きと説いた方が自死は減るのではないでしょうか? 誰でも救われる、極楽に生まれるな
ら死んでしまおうと考えても仕方がないのでは?
住職解答:生きている人はなるべく死を恐れず、死を考えず生きていけるならば、それが良いのかもしれません。宗教なんてなくても生きられるという方は多いでしょう。
しかし、どんな人も嬉しく楽しく遊んでも帰る時に、ふつと私の人生なんだったんだ、誰も私をわかってくれないんだなと空しく思う時があります。生きる意味、私である意味、思い通りに行かない人生の意味を問わずにはいられないのが人間です。
死んでしまおうと思うほどの人が、極楽があるから安心だと思っているかはわかりません。ただその人にとって生きていることが、どうしようもなく辛いことだけは現実です。そのような人に地獄に行くから死んじゃダメだと脅かして良い結果になるでしょうか。
楽だから死ぬという考えを改めてみてはいかがでしょうか?
また自死した方のご遺族に対して、目を見て地獄行きだねと言える人はいるでしょうか。
私は生きている人には、一緒に生きようと励ましあって生きていきたいです。また、亡くなった人には、故人の人生の歩みと周りに与えた影響を偲び敬い大切にすれば良いと考えております
7月10日には新盆合同法要を、8月7日には盂蘭盆会合同法要を宗泉寺本堂に於いてお勤めしました。
どちらも、人数を大幅に絞っての開催のため先着申し込みとし、時間をこちらで決めさせていただきました。皆様のご協力の御陰で無事にお勤めすることができました。ありがとうございました。
新盆法要の法話
『仏説阿弥陀経』の中の
「阿弥陀仏の教えを聞き、阿弥陀仏の名号を心に念じ、声を出して称えることを、一日、(中略)もしくは七日と続けて乱れることがないならば、その人が命を終えるとき、阿弥陀仏が多くの尊いお弟子と共に、その人の前に姿をお見せになります。そのために、命を終えようとしている人は、死の不安を感じることもなく、心を安らかに保ったまま、極楽浄土に生まれることができるのです」(和田真雄訳)
という経典のお言葉をお話しました。南無阿弥陀仏と念仏申せば極楽に生まれるとお釈迦様が説いている経典です。お経って内容があったんだと驚かれる方もいらっしゃいました。
盂蘭盆会法要の法話
「『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。」
前日の八月五日にあった広島市長松井一実さんの「平和宣言」からお話ししました。皆で一緒に救われようという大乗仏教の教えを大切にしましょうとお話ししました。
正午の法要では、今話題の宗教団体と政治の関わりについて、過去に政治と一体になって仏教教団が国策に協力した歴史をお話ししました。
午後は阿弥陀経に出てくる極楽の鳥達と餓鬼についてお話しをしました。姿は違えども、私達に教えを伝えようとしてくれているとお話ししました。
戦争は世界各地で続いていましたが、隣国が戦争を始め国内も不安な空気が流れ始めています。お釈迦様は暴力(武器)について『法句経(ダンマパダ)』には
すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。(129偈)
(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』)
「老人も子どもも暴力におびえ、死を恐れる。(死を)私自身の事として、殺してはならない、殺させてはならない」と説かれております。
お釈迦様はおびえと恐れを他人事だと思わずに、自分の事として殺すことも、殺させることも戒めています。
自分は戦場に行かず、権力も金も無い弱き者に殺させることも戒めています。
私達も仏教徒として戦争に行かせない社会にしたいものです。
釋龍源