2022夏 自死者追弔法要〜わかちあい

 宗泉寺本堂におきまして自死者追弔法要を行いました。集まった皆さんとお勤めをし、住職から短い法話をした後に、お互いのお話しを聞きあっていただきました。
 今回は法話のかわりにリヴオンという団体の作った「大切な人をなくした人のための権利条約」
という文章を読みました。

 リヴオンというのは、だれもがグリーフケアにつながる社会を目指して活動している一般社団法人です。HPもありますので興味のある方は検索してみてください。
 以下は、寺報への掲載を許可して下さった参加者の感想です。



○自分の中に秘めていた感情、心の痛み…。同じ立場の方々と共にする時間だからこそ、そんな自分の本音がこぼれたんだと思います。足を運ぶまでは勇気がいりましたが参加させて頂き、自分のまだまだ癒えない心を再認識させてくださり受け止める事ができました。そして、それでいいんだという安心感も感じることができました。
 参加させて頂き本当にありがとうございました。


○とても有意義な時間を過ごさせて頂きました。同じ様な境遇でもそれぞれ過ごしてきた時間や気持ちも違う中で、語り合えたことが有り難かったです。日々の日常を送る中で、感じたことやあえて遠ざけていたことが、一緒に共感できて嬉しかったです。自分や故人と向き合えるとても良い機会になりました。故人もきっとどこかから見ていてくれたと思います。



 この会は大切な方を自死で亡くされたご遺族を対象に昨年からはじめました。亡くなった大切な方のこと、ご自分の気持ちなどを安心して聞きあい話せる場所をつくれたらと思っています。年末にも開催しますのでお越し下さい。


質疑応答 自死のハードル
質問:浄土真宗って自死(自殺)へのハードルが低くなるのでは? 他の宗旨のように自死は救われない、地獄行きと説いた方が自死は減るのではないでしょうか? 誰でも救われる、極楽に生まれるな
ら死んでしまおうと考えても仕方がないのでは?


住職解答:生きている人はなるべく死を恐れず、死を考えず生きていけるならば、それが良いのかもしれません。宗教なんてなくても生きられるという方は多いでしょう。
 しかし、どんな人も嬉しく楽しく遊んでも帰る時に、ふつと私の人生なんだったんだ、誰も私をわかってくれないんだなと空しく思う時があります。生きる意味、私である意味、思い通りに行かない人生の意味を問わずにはいられないのが人間です。
 死んでしまおうと思うほどの人が、極楽があるから安心だと思っているかはわかりません。ただその人にとって生きていることが、どうしようもなく辛いことだけは現実です。そのような人に地獄に行くから死んじゃダメだと脅かして良い結果になるでしょうか。
 楽だから死ぬという考えを改めてみてはいかがでしょうか?
 また自死した方のご遺族に対して、目を見て地獄行きだねと言える人はいるでしょうか。
 私は生きている人には、一緒に生きようと励ましあって生きていきたいです。また、亡くなった人には、故人の人生の歩みと周りに与えた影響を偲び敬い大切にすれば良いと考えております