川崎市平和館を見学 釋尼光智

 2023年8月のお盆が終わった後、川崎市平和舘に行きました。

 JR武蔵小杉駅から15分歩いた場所にありました。

 川崎は戦前から沢山の工場がある都市で、何度も空襲があり多くの人が亡くなったそうです。

 平和舘は川崎市営で、川崎と戦争、川崎大空襲のコーナーからはじまります。川崎市民に身近な場所の戦時中の生活や被害状況についてから、戦争について知ることができる仕組みになっていました。夏休みの平日ということもあり、人気はまばらでした。

 私には川崎は数回遊びに行ったことがあるだけの場所なので、空襲を受けた場所の昔と今の比較写真を見ても、具体的に頭に浮かべることが難しかったです。

ですが、川崎になじみのある人なら、写真に写っている場所が会社や学校の近くだったり、よく買い物に行く場所だったりすることが分かる展示だと思いました。

 千人針や慰問袋、戦地から届いた葉書などの実物展示や、川崎の戦争遺跡についても展示がありました。他にも川崎以外の戦争や核兵器について等、多くの展示がありました。

 印象的だったのは、差別や貧困、環境破壊についての展示があったことです。戦争がない状態でも、平和とはいえないということで設けられているそうです。今の日本は戦争中ではないけれど、差別は大きな問題になっています。環境問題も、災害や健康の問題につながっている感じがします。世界の中には、今も戦争中の場所やテロで人が亡くなる場所があります。

 川崎市平和館は、過去に戦災にあって生き延びた人たちの願いがこめられた施設だと思いました。

 過去の出来事も、今起こっている問題も、自分に影響する出来事として感心を持ちつづけるのは大切なことだと感じました。

2023-09-27 | カテゴリー : 感想 | 投稿者 : stan

宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要に参詣

 京都の本山で五十年に一度の慶讃法要にお参りをしてきました。しばらくコロナウィルス蔓延防止のため他県に行くことはありませんでしたが、久し振りに近隣の名所にお参りしてまいりました。


親鸞展(京都国立博物館)

 京都の本山東本願寺での慶讃法要は動画で毎日配信を見ておりましたが現地でお参りしたいと思い神奈川から出発しました。新幹線もほぼ満席で外国からの観光客らしき人たちも沢山いました。京都はコロナ以前のように多くの人がいてバス乗り場も大行列でした。

 午後に法要が始まる日だったので、午前中は京都国立博物館で開催されている親鸞展を見学にいきました。博物館は三十三間堂の前にあり駅から徒歩二十分ほどです。

 親鸞展では宗派を超えて守られてきた浄土真宗に関係する宝物が展示されていました。親鸞聖人の直筆で国宝の『教行信証』や経典の注釈書、親鸞聖人のお書きになったお手紙など 数多くが展示されていました。印刷物では見たことがありましたが、八百年前に親鸞聖人が触れて書いたものを目にする事ができて嬉しいかぎりです。

 また、親鸞聖人が大切にされた七人の僧侶(七高僧)の著書や解説、親鸞聖人の生涯を絵図で表した伝記など、たくさんの展示がありました。親鸞聖人の直筆のものの多くは真宗高田派の専修寺に残されていることも知りました。五月二十一日まで開催されています。


慶讃法要(真宗本廟)

 東本願寺での慶讃法要は参加の申し込みをしていなかったため席がないかと不安でしたが、二百席程の自由席があり安心して参詣できました。

 法要は両堂同時法要という初めての法要でした。浄土真宗の寺院は両堂形式といって、阿弥陀堂(阿弥陀様が真ん中)と御影堂(親鸞聖人が真ん中)という二つのお堂が建っています。阿弥陀堂で経典を読誦してから御影堂に移って正信偈を勤めるのが今までの法要作法でしたが、コロナで席を離すことや接触を避けるために両堂で同時にお勤めをする方法を考えたようです。

 私がお参りした時は本願寺の住職(釋修如)は隣のお堂で読経していたので肉眼では見えませんでしたが、中継映像とスピーカーで声に合わせて両堂の法要が務まっていました。

五十年に一度の大法要という機会に、久しぶりに京都までお参りをすることができました。インターネットで慶讃法要の中継は見ておりましたが、実際に行ってみると境内で色々な催しや展示をやっており、コロナの間は参れなかった御影堂・阿弥陀堂も大きな五色幕が張られ賑やかな装いでした。

 久しぶりの遠出で、いつでも参れると思っていた京都がやけに遠くに感じました。今後はできるかぎり京都にお参りしたいものだなと、あらためて思いました。慶讃法要は四月二十九日まで勤修されます。


真宗高田派本山専修寺

 少し足を伸ばして三重県津市にある専修寺にお参りしてまいりました。津駅からバスで行きましたが細い道の住宅街の中に突然大きなお堂が現れて驚きました。栃木県真岡市の専修寺にも行ったことはありましたが同じくらいの広さがありました。

 東西本願寺は親鸞聖人の子孫が住職のお寺ですが、真宗高田派は親鸞聖人のお弟子が受け継いだお寺です。東西本願寺では親鸞聖人は生涯お寺を建てずに布教して歩いたと伝わっております。しかし真宗高田派は親鸞聖人が関東で布教をしていた時、栃木県真岡市に長野の善光寺から阿弥陀如来像の複製をいただいて本尊とし、専修寺というお寺を建てたという伝承がルーツになっている宗派です。

 ですから親鸞聖人が、自身のお寺として教えを伝えた貴重な資料がたくさん伝わったお寺です。親鸞聖人没後の本願寺は、親鸞聖人の子孫が維持する天台宗の末寺の一軒のお寺でした。その間に教えを守り広めきたのが、親鸞聖人のお弟子さんたちの宗派です。

 真宗高田派は栃木県真岡市の専修寺が火災によって焼失後に、三重県津市にお寺を移して活動しました。その事によって二つの本山をもつお寺となっています。今でも六百ヶ寺のお寺の支える本山として活躍しております。

 境内は映画の撮影場所に使われたらしく若い女性が何グループもきて写真を撮っていました。お堂は広く大きくて、様々な場所に欄間の彫刻があり立派でした。内陣は彩色がされて高い天井が現実のものとは思えないほど見事なものでした。

 高田派でも大谷派と同じ鶴亀の燭台をおかざりしますが、よりゴージャスな鶴と亀でした。通称鶴亀と言われていますが、本当は鳳凰と龍です。

 奥には学校の運動場ほどの大きな池があり、納骨堂が建っていました。また親鸞聖人のお骨を納めたお墓もありました。

 宝物館というものが 以前はあったようですが改修中のようで取り壊されていました。その中で飾られていたであろう品々が京都国立博物館の親鸞展に展示されていました。親鸞聖人のお骨を運んだという錦の袋も博物館にありました。

 東西本願寺だけを見ていると知らないことが沢山あります。本願寺と高田派が憎み合って戦争をしたこともあります。ですが親鸞聖人直筆の大切な資料が八百年間、残されて来たのも、火災や戦の中、大きな力で専修寺が守って下さったからです。そのお寺とそれを支えてきた門徒の方々に思いをはせた参拝でした。

お便り紹介

 S様より寺報の感想のお葉書をいただきましたので、許可を得て掲載いたします。

お変わりなくいらっしゃると存じ上げます。宗泉寺報春彼岸号をありがとうございました。

 沢山の読み物を拝読し 充実した時間を過ごさせていただきました。

 この春は東本願寺が見どころいっぱいのようですね。子育てが一段落してから 長い間友人と京都を年二回は訪ね歩き 三十年近く通いました。大谷祖廟は必ず訪れ 菊乃井のランチが楽しみなルートでした。懐かしいです。

今日はご近所の河津桜が咲きはじめてびっくり。季節の変わり目 ご自愛ください。

・寺報の感想や春の京都の思い出、近況など、楽しく読ませて頂きました。祖廟にお参りしたときの様子や春の京都を読みながら思い出すことができました。

・大谷祖廟は京都市東山区の円山町にある親鸞聖人の御廟所(墓所)です。本願寺の歴代の住職や全国の御門徒のお骨も一緒に収められています。近くの円山公園は桜が有名な場所です。

2023-05-29 | カテゴリー : 感想 | 投稿者 : stan

2023春 みんなで本を読むー聞法会の報告

1月23日(月)

 前半は正信偈について住職がお話ししました。正信偈の成り立ちや構成について、スライドも使って説明しました。今のように朝晩読まれるようになったのは、蓮如上人の頃からというのは知らなかったので、面白いなと思いました。今後も続けていく予定なので、正信偈ってどういう事が書いてあるのか知りたいと言う方も是非ご参加下さい。

 後半は今年の法語カレンダーの

「親鸞聖人の出現は 私一人のためであった」

「この世のことは 何事も何事も お念仏の助縁」

についての文章を皆さんで音読しました。家庭内で感謝することの難しさや日頃の生活で思うことなども話題になりました。

 法語カレンダーはお寺の玄関にて、少しですが配布中です。欲しい方はお参りや行事に見えられたときにでもお持ち下さい。

最近読んだ本 釋尼光智

 昨年は詩人の萩原朔太郎の没後八〇年で、各地の文学館でイベントが行われたり、詩や人生や周囲の詩人を紹介する本が出版されたりしていました。都合がつかずイベント自体は見に行くことは出来なかったのですが、詩がラジオや書店で話題になっていると感じました。

 詩は有名なものを少し読んだことがあるくらいなのですが、今回読んだ詩にまつわる三冊はどれも面白くて、親しみやすくて、詩っていいなと思いました。

どの本も名久井直子さんの装幀で、かわいらしくお洒落なデザインです。


『詩人探偵フラヌール』 

河出書房新書 高原英理著

 フラヌールは日本語だと遊歩者というそうです。

 架空の町を舞台に、詩の話などしながらフラヌールするメリとジュンが主人公の連作短編小説集です。

 萩原朔太郎を皮切りに、日本の近代詩、現代詩、ランボーなど海外の詩、短歌などを鑑賞し、語らいながらお店や不思議な事務所をそぞろ歩いたり人に会ううちに詩をめぐる探偵のアルバイトをすることになります。

ビルの屋上にある不思議なお店や、いい感じの古本屋がある町を歩き回る様子が楽しそうです。詩について語らうというと高尚な感じですが、二人の会話はゆるゆると進み、チャーミングで、テンポ良く読んでしまいました。


『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』

 福音館書店 斎藤倫著

 小学生の甥っ子が叔父さんの家を訪ねてきては、学校であったことや思った事を叔父さんに話します。叔父さんはそれに対して、言葉を返したり、詩を紹介したりすることを繰り返します。

 甥っ子の質問に叔父さんが答えることもありますが、はっきりした形でないものも多く、詩と説明しきれない気持ちというか、世間のルールにのっとった言葉以外の言葉もあっていいんだよと言われている気がしました。

 児童書なので、ふりがなもふってあり、字も大きいので読みやすいです。

 紹介されている詩もどれも興味深くて、声に出してみたくなったり、しみじみ鑑賞したりしました。二人の会話が詩を楽しみやすくしてくれているのですが、そちらもおまけではなくてしっかりとした物語になっています。


『ポエトリー・ドッグス』


講談社 斎藤倫著

 ぼくがゆびをぱちんと〜と同じ斎藤倫さんの本ですが、こちらは大人向け。犬のマスターが詩とお酒を提供するバーに通うぼくが語り手の小説です。

 犬のマスターは人の言葉で話します。犬なので人のことはわからないと言ったりしますが、詩にもお酒の種類にも詳しくて、こんなお店行ってみたいなあと思ってしまいます。

 ほのぼのした設定ではじまりますし、導入は詩って難しいなという感想やちょっとした解説だったりしますが、詩の内容も切実で深刻な出来事についても話題になったりします。読みながら時々胸が詰まるような苦しいような気持ちになったりもしますが、そういう気持ちも自分の大事な一部なのかもなと思ったりもしました。

2023-02-10 | カテゴリー : 感想 | 投稿者 : stan

『コリーニ事件』

創元推理文庫

フェルディナント・フォン・シーラッハ著

 新米弁護士のライネンがとある殺人事件の被告の国選弁護人を引き受けることになったことから物語は始まります。引き受けてみると、殺されたのはライネンの大恩人である実業家でした。

 犯人のコリーニは何も言おうとはせず、殺害の動機は一切不明。ライネン弁護士が犯人と被害者の関係を徹底的に調査したところ、無関係に見えた二人の間にあった出来事と証人を見つけ出します。裁判の結末やいかに、という法廷劇です。

 感情を抑えた文章で短く読みやすいけれど、ものすごく重たい読後感でした。ドイツが舞台で戦争中の出来事が関わっているというと、なんとなく話が予想できると思う人もいるかも知れませんが、予想よりもずっと色々なものを含んだ小説でした。誰からも見捨てられたと感じ犯行に及んでしまった犯人のことや、法律って何のために作られるのだろうという疑問が心に残りました。

 映画化もされており、設定が少し違ったり、原作よりも強い描写や情感が多めに表現されている感じを受けましたが、こちらも見て良かったです。レンタルやインターネットの有料配信サービスで見られます。

 小説の訳者あとがきや解説もドイツの法律や歴史への補足がされていて、興味深いものでした。文庫や電子書籍で購入しやすいと思います。

2023-01-15 | カテゴリー : 感想 | 投稿者 : stan

2022夏 お便り紹介

S様よりお手紙いただきました。



宗泉寺報、初夏号をありがとうございました、いつも盛り沢山の記事を興味深く拝読させていただいております。戦争のこと、大浜騒動のこと等、今のウクライナ戦争と重ね合わせ、気持ちが沈みます。コロナは少し落ち着いたかなと思い三年振りに実家の墓参りに行って来ました。前田家と同じ墓所です。ついでに久し振りに西田幾多郎記念館、鈴木大拙館、石川のふるさと偉人館も訪れ、若い頃の父の写真を見て懐かしいひとときでした。お元気でお過ごし下さいませ。(令和四年五月二十一日消印)



 ご丁寧なお手紙を頂きましてS様に電話でお話をお聞きしました。石川県の加賀前田藩墓所にご実家の墓地があるとのこと。S様のお父様が西田幾多郎氏の甥御さんだそうです。
 偉人館の写真は中西 悟堂氏という日本野鳥の会を作った金沢出身の天台宗の僧侶の方。その方とS様のお父様が一緒に日本野鳥の会の活動で写っているそうです。
 最近は旅行にも行けていないので、石川県のお話を聞かせていただき嬉しかったです。
 皆様も寺報に感想、はげましのお便りを下さい。

人名注
※西田幾多郎1870-1945

石川県かほく市出身、生家は真宗大谷派長楽寺に隣接する門徒。
同級生鈴木大拙に誘われ参禅をするかたわら、真宗の近代教学の祖である清沢満之の論を読む。著作『善の研究』


※鈴木大拙1870-1966

石川県金沢出身、禅の教えを英訳し北米に広めた僧侶。普通に生活する人が仏教を喜ぶ姿を浄土真宗に見て研究した。著作『日本的霊性』『妙好人』『真宗入門』


2022夏 自死者追弔法要〜わかちあい

 宗泉寺本堂におきまして自死者追弔法要を行いました。集まった皆さんとお勤めをし、住職から短い法話をした後に、お互いのお話しを聞きあっていただきました。
 今回は法話のかわりにリヴオンという団体の作った「大切な人をなくした人のための権利条約」
という文章を読みました。

 リヴオンというのは、だれもがグリーフケアにつながる社会を目指して活動している一般社団法人です。HPもありますので興味のある方は検索してみてください。
 以下は、寺報への掲載を許可して下さった参加者の感想です。



○自分の中に秘めていた感情、心の痛み…。同じ立場の方々と共にする時間だからこそ、そんな自分の本音がこぼれたんだと思います。足を運ぶまでは勇気がいりましたが参加させて頂き、自分のまだまだ癒えない心を再認識させてくださり受け止める事ができました。そして、それでいいんだという安心感も感じることができました。
 参加させて頂き本当にありがとうございました。


○とても有意義な時間を過ごさせて頂きました。同じ様な境遇でもそれぞれ過ごしてきた時間や気持ちも違う中で、語り合えたことが有り難かったです。日々の日常を送る中で、感じたことやあえて遠ざけていたことが、一緒に共感できて嬉しかったです。自分や故人と向き合えるとても良い機会になりました。故人もきっとどこかから見ていてくれたと思います。



 この会は大切な方を自死で亡くされたご遺族を対象に昨年からはじめました。亡くなった大切な方のこと、ご自分の気持ちなどを安心して聞きあい話せる場所をつくれたらと思っています。年末にも開催しますのでお越し下さい。


質疑応答 自死のハードル
質問:浄土真宗って自死(自殺)へのハードルが低くなるのでは? 他の宗旨のように自死は救われない、地獄行きと説いた方が自死は減るのではないでしょうか? 誰でも救われる、極楽に生まれるな
ら死んでしまおうと考えても仕方がないのでは?


住職解答:生きている人はなるべく死を恐れず、死を考えず生きていけるならば、それが良いのかもしれません。宗教なんてなくても生きられるという方は多いでしょう。
 しかし、どんな人も嬉しく楽しく遊んでも帰る時に、ふつと私の人生なんだったんだ、誰も私をわかってくれないんだなと空しく思う時があります。生きる意味、私である意味、思い通りに行かない人生の意味を問わずにはいられないのが人間です。
 死んでしまおうと思うほどの人が、極楽があるから安心だと思っているかはわかりません。ただその人にとって生きていることが、どうしようもなく辛いことだけは現実です。そのような人に地獄に行くから死んじゃダメだと脅かして良い結果になるでしょうか。
 楽だから死ぬという考えを改めてみてはいかがでしょうか?
 また自死した方のご遺族に対して、目を見て地獄行きだねと言える人はいるでしょうか。
 私は生きている人には、一緒に生きようと励ましあって生きていきたいです。また、亡くなった人には、故人の人生の歩みと周りに与えた影響を偲び敬い大切にすれば良いと考えております



2022夏 みんなで本を読むー聞法会の報告

 コロナ対策として、距離を取って座る、時間を短縮、マスクを付けての参加、お茶タイムはなしで、仏教の本を皆さんで読んで感想や疑問を話し合っています。
  五月二十九日(日)
「失ったものを 数える人あり 与えられたものに 感謝する人あり」 豊島 学由
 参加者の「夫を亡くした後、ケンカする相手がいるだけ良い、一人でご飯はさみしい」というお話しが印象に残りました。コロナの影響で変化した葬儀やお見舞いや介護のお話しもしました。


  六月二十六日(日)
「この心も身も全部 如来からの いただきもの」  大峯 顕
 参加者の方からキリスト教の教え「頂いた命」「借りた命」を教わりました。自分の肉体は、借りた体なので邪険に扱わない。そして他人も大切にできる考えです。法語を見てお話し下さいました。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』

新潮社 ブレイディみかこ著

 1が文庫版でも出ていますので、未読で興味を持った人はそちらから読むのをお薦めします。

 1が出たときに話題になった本なので、黄色い表紙に見覚えがある方もいるかもしれませんね。著者の息子さんは日本人の母とアイルランド人の父とイギリスに住んでおり、1ではいわゆるいい学校とされる小学校から地元の公立中に進学を決めたことから始まって、その公立中学校で、幅広い人種、親の状態が大変な子供達とも知り合います。

 学校での友だちづきあいの様子が主に書かれたノンフィクションです。お互い違う部分がある、状況の異なる人と共存するために考える方法として、同情や共感とは異なる知識と想像力を用いたエンパシーという考え方になるほどなあと思いました。
 2はそのすぐあとの続編で、ミントグリーンの表紙です。導入は身近な話題で、いわゆる断捨離をはじめた著者と夫の話から始まります。偶然知り合った移民の一家に不要品を譲ることになり、後に近所の人からの苦情もあり、さてどうなったかという話です。自分がいらない物を他の人にあげるのはいいことなのか、どうして自分がいる物は人にあげられないのかという微妙な気持ちについて親子で話されています。ひとによっては感傷と切り捨ててしまうかもしれない気持ちと現実にできる事の間を揺れ続けるという辛抱強さが1、2巻全体を通した著者の視点の特徴の一つだと思います。
 他にも、ホームレスの人のシェルターが近所にできると決まったときの住人の様子、子供の将来への親の思い、日本に住む親との話など、著者の身近な出来事を見ての話にいつの間にか引き込まれます。特に相手の言うことや様子を、冷静だけど冷酷でなく述べているところにハッとします。それに、著者のみかこさんとお子さんはいろんなことをよく話しています。それでも、徐々に親に話さないことも増えていくだろう、子どもの広がっていく世界を親は知らないことも増えるだろうという予感を持って、この本は終わります。
イギリスの音楽の話もよく出てくるので、興味のある方はそこも楽しめるかも。

釋尼光智

2022-04-30 | カテゴリー : 感想 | 投稿者 : stan