須弥壇収骨

須弥壇収骨(真宗本廟収骨)

京都の本山に収骨できます

 真宗大谷派では京都の本山にお骨を納める(納骨)の方法が二つあります。一つは須弥壇収骨と言って東本願寺の御影堂にご遺骨をおさめる方法。もう一つは大谷祖廟といって親鸞聖人のお墓にご遺骨をおさめる方法です。


■須弥壇収骨(真宗本廟収骨)

 京都の東本願寺にご遺骨を収めることが出来ることをご存じでしょうか? それを真宗本廟収骨、昔は須弥壇収骨といいました。しかし須弥壇にお骨が納めきれなくなり新しく埋葬施設を建てた様です。

 真宗本廟収骨は、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人のそばに自身が亡くなった後も寄り添いた気持ちから始まったものです。今でも多くのご門徒が全国各地から本山にご遺骨を収めにつどっています。
 亡くなっていく人にとっては、同じ信仰をもった人達と同じ場所に埋葬される喜びがあります。代々、本山にご遺骨を納めている方は親子・兄弟で名字も住所も違っても同じ場所に埋葬される安心があります。
 残された遺族にとっても本山にお参りすれば両親、祖父母、お寺で一緒だった人に一度に会いに行けます。住職の祖父母もおさめられています。
 真宗本廟収骨はお堂の中の場所が限られるため、7センチ四方の木箱にご遺骨が入るだけ収めます。ですからご遺骨の一部を分骨しておさめます。12万円以上の懇志で手続きできます。場所は京都駅から徒歩十分程です。


■大谷祖廟納骨

 大谷祖廟は親鸞聖人、蓮如上人、歴代の本願寺住職、全国各地の御門徒のご遺骨が納められています。場所は八坂神社裏の円山公園に接した場所にありますので桜が綺麗です。東大谷の墓地といわれ、お盆の時期の万灯会が有名です。
 大谷祖廟納骨はお墓ですので、全てのご遺骨をおさめられます。ですがご遺骨は一カ所に集められる合葬の形になります。お骨一部は2万円以上の懇志で手続きできます。墓じまいブームで希望者が殺到し15センチ以上の骨壺はプラス2万円の4万円以上、名前もわからないお骨は20万円以上という条件がつくようになりました。

〒605-0071 京都市東山区円山町477


■活用の仕方
 最近、お墓の悩みの中で「将来、無縁墓になるなら墓を建てることに抵抗がある」また「両親の墓はあるが引き継ぐ人もない」といった話を聞く事があります。そんな人に薦めているのが須弥壇収骨と大谷祖廟納骨です。
 ご遺骨を本山に一部を収骨し、残りのお骨を祖廟に納骨します。夫婦のご遺骨を納めても、お墓をもとめるよりも安く、無縁墓として撤去されることもありません。
 言うまでもなく本山での収骨はご遺骨の処分場ではありません。仏法を受け伝え、本山を護っていく願いで始まった先人の智慧です。


コラム お墓を建てない習慣は昔からあります

 墓じまいや○○家の墓を持ちたくないというお話も聞きます。お墓は故人を敬い偲ぶ場所として古来より大切にされてきました。しかし、お墓を持つことができる人は、自分の土地がある、維持管理できる力がある、特別な人でした。

 仏教が伝わって来た頃から、仏教の護持興隆のために仏像を造り、塔を建てることはとても功徳のあることとして大切にされてきました。地位や財産のある人々は寄進をしてお寺を建てたり仏像を造ったりお墓をたてたりしていました。

 しかし、鎌倉時代に親鸞聖人の師、法然上人は主著『選択集(せんじゃくしゅう)』本願章に

「弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等の諸行をもって往生の本願となしたまはず。」

(住職訳:阿弥陀如来は法蔵菩薩であった昔、平等の慈悲に進められて、あらゆる一切を見捨てないために、像を造り塔を建てる念仏以外の行為を往生の本願とはしませんでした)

と説き、造像起塔によって救われるのではないと念仏をおすすめして下さいました。

 孫引きですが『「無墓制」と真宗の墓制』蒲池 勢至著には

『参州一向宗乱記』には「去ば、一向宗の風格は、手の舞、足の踏事も、皆是報仏応化の妙用にして、自力にあらず、しからしむるは、不可思議光如来御はからひ也と解して、墳墓を築く事をせず、其寺を先祖の廟堂として、雑行雑修の心を打捨て、一心一向に、身命を阿弥陀如来に抛の宗門也。」とあるが、中世真宗門徒の墓制観を端的に表現しているものであろう。

(住職訳:『三河一向宗乱記』には「一向宗(真宗)の宗風は、手の上げ下ろし、足の上げ下げも、みな仏様の不思議なはたらきによるもので、自力ではない。だから不可思議光如来(阿弥陀如来)のおはからいだと了解して、墳墓を築くことをしないで、近所の寺を先祖の廟堂として、念仏以外の行為や修行の心を捨てて、一心一向に、身命を阿弥陀如来に丸投げする宗門です)

と引用されています。中世の浄土真宗では法然上人の教えを守って、念仏以外の行為をしないことを選びました。お墓を作ることも、塔を建てることになると、念仏以外の功徳となることを止めました。そのため、お墓も持たない地域もあったそうです。

 現在でも地域の一つの墓に皆ではいる場所もあり、それぞれの家々の墓を持たないため無墓制と名付けられています。

 墓を持たないという現代の考えも、作ることはできるけれど持たないという選択が許される時代なんだと改めて感じることです。