お盆(盂蘭盆会)のルーツ
お盆とは詳しくは「盂蘭盆會(うらぼんえ)」と言います。
孟蘭盆とは、古代インドの言葉ウルランバナの音写で、「倒懸(とうけん)」木にさかさまに吊るされるという意味で、非常な苦痛を例えた言葉です。
お釈迦さまのお弟子の目連尊者は、神通力によって母が餓鬼道に落ちて苦しんでいるのを見つけました。目連尊者は自分でどうにかしようとしましたが何もできず、お釈迦さまに相談しました。お釈迦さまのいうとおりに百味の食事を沢山の僧侶に供養し、その功徳によって餓鬼道におちて倒懸の苦しみを受けていた母を救ったという内容のお経が中国から伝わって行事になったものです。
そのことから父母や祖先を追憶して、これに孝養(親につくす)を尽くすということが、この行事の趣意であります。これは儒教の考え方で年長を敬いなさいという教えから作られた教えだと考えられます。
しかし、今日ではそれに色々な迷信的なものが付加されているようです。
わたくしたち真宗門徒としては、雑多な迷信的な慣習をすべてぬぐい去りたいものです。静かに目連尊者の故事を偲んで、深く親の恩、祖先の恩をおもいましょう。恩を感じて親のために何かしたいという心が起こった事を縁として、いよいよ仏法を聞く場へ足を運び、本願念仏のすくいをよろこびたいものです。
道綽禅師(どうしゃく)、七高祖の第四祖の
「前(さき)に生まれん者(もの)は後(あと)を導き(みちび)、後(のち)に生まれん(う)者(もの)は前(さき)を訪(とぶら)え、連続(れんぞく)無窮(むぐう)にして、願わく(ねが)は休止(くし)せざらしめんと欲す(ほっ)。無辺(むへん)の生(しょう)死海(じかい)を尽くさん(つ)が為(ため)の故(ゆえ)なり」
(訳:先に生まれる人は後に生まれる人を正しい道に導いて、後に生まれる人は先に生まれる人にあいにいきなさい。それは連なって終わることがなく、願わくば止まって欲しくはありません。全世界の悩み苦しむものをなくすためだからです。)
のお心をかみしめたいことであります。
お盆のおかざり(荘厳)
1. お盆の前日には、お内仏(お仏壇)の中を羽ホウキ等でお掃除します。
2. 仏具類を金属磨きでのお磨きを終えておきます。
3. 法名軸を全ておかけします。
4. お花を備えます。
5. 打敷(三角形の綺麗な敷物ー図A)をお内仏の中の机に敷きます。
6. 華束(おもちー図B)を一対お備えします。
7. 提灯は、できれば切籠(きりこー図C)という盆灯篭を天井からお掛けします。
8. 家族そろってお参りしましょう。
上記は本山指定の正式な荘厳です。
切り子灯籠が手に入らない。天井から釣れないという方いると思います。
宗泉寺でお盆法要の依頼があったときは、
●お内仏(お仏壇)の掃除をする
●生花をかざる
以上の事だけをお願いしています。
図A 打敷(夏用)
図B 供華に華束が乗ったもの
図C 切子灯籠(きりこどうろう)
お盆(盂蘭盆会)の準備
お盆が近づいてきました。季節になると、スーパーでもお盆セットを売っていますが、買い求める必要はありません。灯籠も提灯も必要ありません。浄土真宗のお盆は、ナスの牛もキュウリの馬も用いません。
お内仏をお掃除して、新しいお花を生けるだけでよいのです。
お盆期間中は亡くなった有縁の方に思いをはせ、ご家族でお勤めをしてください。
お盆は『盂蘭盆経』というお経を元にした行事です。そのお経の中に七月十五日の梅雨明けに行事をしなさいと書いてあるそうです。その後、新暦と旧暦でお盆が七月と八月に分かれました。
お盆の荘厳(おかざり)の意味表
浄土真宗が精霊棚と霊のお迎えをやらない理由を表にしました。一般的なお盆の考え方と比べてみてください。
一般的なお盆・御施餓鬼(特別荘厳をする理由) | 浄土真宗のお盆(お盆の特別な荘厳をしない理由) | |
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故人 | どこで、どうしているだろうか? 餓鬼道にいって餓鬼になって苦しんでいるかも? |
浄土で仏様になっています。 |
日にち | 故人はお盆の期間だけ帰ってきます。 | いつも一緒にいます。尊い仏様と一緒に生きます。 |
提灯 | 夕方帰ってくる故人を迎える明かりです。お墓に迎えに行く地方もあります。 | お内仏(仏壇)の近くに切子灯籠を吊します。お持ちでなければいりません。仏様からの光を表します。 |
迎え火 | 故人の霊が迷っているので、帰ってくる所を私達が導くためオガラを焼いて迎え火をします。 |
故人は自分の家が分かっている仏様です。煙を見なくても迷いません。 |
柱と縄 | 故人を結界の中に閉じ込めます。 | 故人は家に入っても悪いことをしません。 |
お給仕 | 毎食お茶と水、決まった日に決まった料理を供えます。食事は仏様への供養になるからです。 | いつも通りのお給仕。ホコリを払い、お仏飯。花が枯れたら新しくします。 |
精霊棚 | 故人が帰ってくる場所として祭壇を作ります。餓鬼を敷地に入れないために庭か門前で迎えます。 | 故人はいつ、どこにいても私にとって迷惑にならない仏様です。 |
葉の皿・野菜のお供え |
故人のために食事を用意します。 | 仏様となった故人は、飢えや乾きに苦しむ事はありません。私達が何か施す必要がありません。 |
馬と牛 | 行く道、帰る道が楽なように乗り物を用意します。 | 故人は苦労して移動しません。いつでも、どこでも思った時、私のそばにいます。 |
送り火 | 故人が煙となって帰っていきます。 | 故人をいぶり出す必要がありません。 |
総評 | 餓鬼道に落ちた先祖を一度に供養するボーナスタイム | 仏様となった方を縁にして教えをいただく |
お盆の疑問
問 浄土真宗ではマコモや馬や牛といった乗り物が必要ないそうですが、どうしてですか?
答 亡き人を丁寧に迎えるために様々な道具が売られていますが、浄土真宗の教えでは特別な用意はいりません。
マコモは神道でも使われるもので外の世界(野生)を表します。ご先祖様が帰って来てわざわざ草の上に居場所を作るというのはどうしてでしょうか。
他宗派のお盆は施餓鬼という意味が元になっています。飢えた先祖に食べ物を施すという仏事だそうです。
餓鬼という正体不明の魑魅魍魎が家の中に居るのは嫌な事なので、草の上に葉っぱの皿を使って食事を出す、接客はするけれど居心地の悪い空間を作って早く帰ってもらいたいというやり方です。
でも供養しないと飢えた先祖に悪いことをされるかもしれない。ということが元になっているように思います。
また、馬や牛にしても人間の乗り物として生まれたわけではありません。地方によっては船を用意するところもあります。これは移動を表すものでしょう。でも何故一年の三六五日の三泊四日だけを許すのでしょうか。本当に過去に生きた人間として大切にしていると思いますか?
浄土真宗の教えは、いのちあるものを一人も見捨てないという誓いをされた南無阿弥陀仏を大切にする教えです。
亡くなった方を迷ったもの、飢えたもの、力無きものにして自分を保とうとする自身の考え方を少し見直してみましょう。
問 お盆はいつ? なぜ日にちが決まっているのですか?
答 お釈迦様がインドの雨期が空けたとき。食べ物を減らしていたお坊さんに施しをしなさいと言ったことが元になっています。インドの梅雨明けが7月15日であったことからお盆の日にちが決まりました。
その後、日本に伝わり日にちが少しずつ伸びていったようです。
お坊さんにご馳走する行事から餓鬼にご馳走をする行事に変わっていったようです。
問 新盆(しんぼん・にんぼん)って何ですか?
答 新しく亡くなった方が初めて迎えるお盆です。親戚が集まって丁寧にお勤めなさる方が多いです。御命日から四十九日法要を終えた日に、7月16日または8月16日以前ならば亡くなった年に新盆をします。四十九日法要を終えた日にお盆が終わっていたなら来年が新盆になります。
宗泉寺では皆さまに合わせておりますので、今年やるか来年やるかはお任せしています。
問 お盆中にお墓に行っていいですか?
答 お盆の期間は御先祖がお墓から精霊棚または仏壇に帰って来ているから、墓は留守になるという教えがテレビで放映されている様ですが、本当にそれを信じますか? お墓は、お骨が安置されているからお参りするのではないでしょうか? お盆=供養ボーナスタイムと思っているならご苦労様です。