2023夏 お盆合同法要正午の部法話の要約

 東本願寺出版の『真宗児童聖典』を読みました。子どもが浄土三部経の内容に触れられるように大正時代に書かれたものを読みやすいのように現代語に直した本です。

 その本の『阿弥陀経』の一部分を朗読し解説しました。

少しくらい善い行いを積み重ねただけでは、極楽の世界に生まれることはできません。極楽の世界に生まれる種は念仏です。一日でも二日でも、あるいは七日でも、こころを散らさずにひたすらに阿弥陀さまの名、南無阿弥陀仏を称えると、生きているうちは阿弥陀さまとその弟子たちにまもられ、いのちが終わるとすぐ、阿弥陀さまの極楽の世界に生まれることができるのです。

 小さな善であっても積み重ねれば、極楽に生まれると可能性があると思っていますが、それは難しいです。極楽に生まれるには「南無阿弥陀仏」と仏様の名前をとなえる念仏以外の方法は難しいのです。だから簡単で平等なこの念仏を仏様が選んでくれました。

 人間一人一人の生き方や行ったことで生まれ行く先が決まるのならば、百人いれば百とおりの行き先ができてしまいます。

 ですが、南無阿弥陀仏ととなえたら極楽に生まれさせようと阿弥陀様が約束して下さっているのだから、南無阿弥陀仏ととなえたら誰もが極楽に生まれることができる。これが阿弥陀さまの救い方です。だからみんなで極楽に一緒に生まれることができるのです。というお話をしました。

2023夏 自死者追弔法要報告

 2023年6月5日に宗泉寺本堂にてお勤めしました。

 皆さんで正信偈をお勤めしたあと、住職から少しお話しをさせていただき、その後お互いのお話しを聞きあう会を行いました。

 許可を得て、参加された方の感想を掲載します。


○参加していつも思うことは、お寺さんで気にかけて下さっているありがたさです。子供の事を思わない日はないけれど 親が下を向いていたら子供は喜んではくれないだろう。少しでも前を向いていこうと思います。


○今日は、ありがとうございました。

 やっぱりまだ人から見ると心配させる人なんだと痛感しました。

 でも世の中の人は、やさしい人が多いのだという事も今日思いました。

 みんな何かを抱えて生きていて、最後まで人生を生きるって本当にすごい事なのだと気づきました。少しは、人を信じてみたいと思います。

 この法要は、自死で亡くなった方を追弔し、遺族の方に寄り添う機会になればと思い開催しています。


 グリーフ(喪失)を抱えやすくするためのケアという考え方があります。以前にお話を聞かせて頂いたリヴオンというグリーフケア活動をしている団体の講師の方の「ままに」という言葉が、今も印象に残っています。大事な誰かを亡くした時にどう感じるかは、その人によって色々で、そのままを大事にしたいということだったと思います。

 皆さんで思いを尊重し合いながら、安心して“そのまま”を聞きあう場をつくれたらと願っています。

コラム TALKの原則

 身近な人「死にたい」と訴えられたり、自殺の危険の高まった人に出会ったとき、相談された人が不安になったり、その気持ちを否定したくなって「大丈夫、頑張れば元気になる」と安易に励ましたり、「死ぬなんて馬鹿なことを考えるな」と叱ったりしがちです。

 しかし、それでは、せっかく開き始めた心が閉ざされてしまいます。自殺の危険が高まった人への対応においては、次のようなTALKの原則の原則が求められます。

 TALKの原則

(T)Tell:言葉に出して心配していることを伝える。「大丈夫?」「心配だよ」

(A)Ask:「死にたい」という気持ちについて、率直に尋ねる。「どんな時に死にたくなるの?」

(L)Listen:絶望的な気持ちを傾聴する。話を遮らず最後まで聞く。

(K)Keep safe:安全を確保する。危険な環境なら引き離す。

2023夏 みんなで本を読むー聞法会の報告

 ここ数年は法語カレンダーの解説書『今日の言葉(大谷派)』と『こころに響くことば(本願寺派)』を読んで同じ法語をどう受け取っているかを読み比べています。

◇4月25日(火)

 前半は『正信偈』のお話しです。

 「建立無上殊勝願から重誓名声聞十方」の解説です。『無量寿経』の法蔵菩薩が二百十億の仏の国々を視察して長い間考えて、この上ない本願を建てたというお話をしました。

こころにじごくがあるよ ひにちまいにち ほのをがもゑる 浅原 才市

 己が地獄を作っているという文章や虐待をどう思うかと聞きあいました。

仏法の鏡の前に 立たないと 自分が自分になれない 二階堂 行邦

 参加者の「鏡は近づきすぎると見えない」という言葉が心に残りました。

◇5月24日(水)

南無阿弥陀仏とは 言葉となった 仏なのです     安冨 信哉

 「言葉となった仏様から救われているのに、言葉で人を傷つけるのは仏様を裏切ることになる」という文章がトーンポリシングではないかと言われました。

 知らない言葉だったので調べました。トーンポリシング(Tone Policing)とは、論点のすり替えの一種。発言の内容ではなく、それが発せられた口調や論調を非難することによって、発言の妥当性を損なう目的で行われることだそうです。「言い方が悪い」といって発言の機会をつぶす方法だそうです。

 究極の善を知らない我々が「そんなこと言ったら仏様を裏切ることになる」と言われたら何も言えなくなると思いました。

◇6月27日(火)

 『正信偈』の「普放無量無辺光から一切群生蒙光照」の文のお話をしました。十二光仏という阿弥陀如来の別名のお話と讃阿弥陀仏偈和讃のお話をしました。

信は 如来の生命なり 小山 法城

 「救い主はいのちであり、いのちは母である」と例えるのは現代では違和感があるという話があがりました。科学と宗教で考えていることを参加者で話し合いました。

法名 釋○○について 釋龍源

 法名について説いて欲しいと要望がありましたのでお知らせします。

法名とは

 まず法名とは仏教徒がお釋迦様の教えを、依り(より)所として生きて行きますという決意の名前です。

 依り所とは、普段の生活の中でこの考え方で生活していこうと指針となるものです。

 法名の一番の誤解は亡くなった後につける名前だと考えられている所です。生前ご縁がなかった方は亡くなった後に名づけております。

法名と戒名

 一般的な仏教徒名は戒名だと思います。戒名とは戒律を守り生きていくという名前です。受戒(戒律を授けていただく)時に師匠に名前をいただきます。お釈迦様の教えに基づいて十戒や五戒という在家仏教徒のルールである戒(僧侶は二百戒)を守って生きたいという決意の名前です。

 浄土真宗は戒律がない非常に珍しい仏教です。戒律を守ったものが悟りに近づくというルールでは、戒律を破ることは悪です。一番守るのが簡単だと言われる不殺生戒(殺さないルール)でさえ、害虫がいればすぐ破ってしまうのが私たちの生活です。

 普通の生活を送るものにとっては戒律を守ることは大変難しく、成し遂げることができません。

 そこで戒律を守って悟りに近づく道ではなく、どんなものであっても見捨てない阿弥陀仏におまかせする道を選んだのが浄土教の教えです。

 法名はお釈迦様の御法(おみのり、法則)を大切にする名前です。だから御法の名で法名といいます。

釋という字に込められた願い

 次に、法名に付く釋の字は、お釈迦様の釈という字の旧字体です。親鸞聖人も釋親鸞と名のっております。古くは四世紀の僧侶道安が、仏教徒はお釋迦様の弟子だから釋をつけようと書物に残しています。

 釋という字は、お釈迦様の弟子となりたいという字です。お釈迦様はご自身が「私は師匠となるから弟子募集中です」と説いた訳ではありません。お釈迦様の教えを生きる目標にしたいと選んだ方々が弟子となったのです。

 お釈迦様亡き後は、その弟子達が教えを伝えてきました。

 お釈迦様の教えを実践し、悩み苦しみから解放されて、覚りを開き仏陀になる。それが仏教徒の目標です。

 ですが現実の私たちは自分の環境やご縁によって、できる事には限界があります。だからせめて名前だけでも、お釈迦様の弟子として生きていきたいという願いの名前を名のる訳です。

俗名でも良いのでは?

 俗名は必ず世間の価値がついてきます。インドでも中国でも日本でも名字には尊い家柄、卑しい家柄という世間の価値がついてきます。名字を捨て、名前を捨てて一人の仏教徒として歩み始める訳です。

 また亡くなった方に法名をつけることは、縁のあったこの人は私を教えに導く仏様だったのだと敬っていくためではないかと考えます。

法名が短い理由

 最後に法名の字が他宗と比べて少ない、短いというお話もよく聞きます。浄土真宗の開祖親鸞聖人はご自身のことを釋親鸞と名乗られております。また親鸞聖人が大切にされた僧侶の曇鸞和尚も「釋曇鸞法師」と呼ばれた記録もあり、釋○○という三文字の名を名乗る伝統が中国から伝わってきました。

 そういったことから、浄土真宗の法名は、同じお釈迦様の教えを聞くものは人の上下をつけずに釋○○という三文字の名前をいただくのが浄土真宗の伝統です。

 女性の場合に尼という字をつけて四文字にします。尼とは比丘尼(ビクニ)という女性仏教徒を表す言葉の一文字です。親鸞聖人のお連れ合いの恵信尼公が尼という字をつけていたこともあり、法名を授かりたい方が女性の時に尼という字をつけています。

 ですが現代では女性だけに尼をつけるとは良くないのではという考えもあります。女性だけ女弁護士・女教師のように女仏教徒と名づけることが必要なことかという問題があります。

 以上が法名に関する疑問の多くです。これ以外にも院号のことや、入れたい文字のこと、ご葬儀後の法名授与の相談等があります。

 法名を授かり新たな歩みを始めたいという方がいらっしゃれば帰敬式を執行しております。是非ご相談ください。

2023 Q&A 住職に聞きたい

 お香の灰を捨てる時は塩を入れて二・三ヶ月に一回灰を変えると仏具店に聞きましたが本当ですか?

 全くの迷信です。お仏具の事や御本尊の事・おかざりの方法などは宗教に関わる事です。ぜひ宗教家である僧侶にご相談ください。


問 ご法事の日にち、喪主に聞きづらいから、お寺さんに教えてもらいたいです。

 お寺は守秘義務があります。ご法事が開かれるかはお答えできかねます。


問 厄払いってやったほうが良いですか?

 男性の厄年が前厄・本厄・後厄あわせて十二回、女性では十五回あるそうです。六十二歳まであり男性なら平均五年に一年、女性ならば平均四年に一年厄年があるようです。厄年というルールに縛られなければその一年も普通の一年になります。

仏教は日の善し悪しを説きません。

2023 お盆(盂蘭盆会)について

浄土真宗のお盆

 お盆は仏教の行事の中でも最も有名な法要だと思います。各ご家庭でも、お内仏(御仏壇)の前に座り、ご家族でお勤めしていただければと思います。お花を替えて、灯明をつけて、香を焚いたら、両手を合わせて「南無阿弥陀仏」と念仏もうしましょう。

 お盆をご縁に亡き人に思いをはせてみてはいかがでしょうか。


お盆の由来

Q なぜやるの?

A 日常の心をひるがえし、教えをいただくためです。

Q いつですか?

A 『盂蘭盆経』には七月十五日にお勤めすると説かれています。日本では地域によって七月・八月と別れています。

Q どこでするの?

A お寺やお内仏(仏壇)の前でお勤めします。

Q 誰がするの?

A 『盂蘭盆経』では釈迦の弟子のモッガーラナ(目連)尊者が供養します。現実では私達がやります。

Q 何のためにするの?

A 真宗では仏様の教えをいただく為ですが、一般的には『盂蘭盆経』に説かれた方法で死後、餓鬼道に生まれた人を救うためです。

Q どうやるの?

A 真宗ではやる必要がありません。『盂蘭盆経』では百種の食物を修行者たちに召し上がってもらいます。一般的な仏教の考え方では、寺院維持の協力や僧侶への施しや、自分が生活の中でできる事をしていくことです。

永代経御紐解法要と春期彼岸法要勤まる

 3月19日、宗泉寺本堂にて永代経御紐解法要と春のお彼岸の法要をお勤めしました。

 昨年新たに過去帳に記載された方(2022年に宗泉寺で法名を授与し亡くなられた全員)と希望者の法名を読み上げました。

 法話は真宗大谷派東京教区教導の佐々木弘明先生をお呼びして、お話をいただきました。

 今回は、2023年の春にお勤めされた宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要(以下慶讃法要)にちなんでお話しいただきました。

 お話の中で印象に残ったことを以下に書きました。


慶讃法要とは

 この度の親鸞聖人の慶讃法要ですが、この他に大きな法要としては親鸞聖人の御遠忌、また毎年の報恩講などが印象的かと思います。いずれもご命日の法要ですが、今回は慶讃法要。お誕生と立教開宗を慶び讃える法要です。

 お寺のイメージとして、お葬儀や法事をする場所というイメージはあってもお祝い事のイメージはあまりないと思いますが、仏前結婚式や初参り式、七五三のような年祝いもできます。

 立教開宗というのは親鸞聖人が『教行信証』を書かれてから八百年としています。親鸞聖人自身は浄土真宗を始めるぞとは言われていないのです。親鸞聖人の師匠である法然上人が「浄土を明らかにする真実の教え」という意味で、浄土真宗という言葉を使われており、現代の宗派を表す言葉とは違うものになります。

 また浄土真宗と名乗れるようになったのは、明治時代以降で、それまでは一向宗や門徒宗と呼ばれていました。

 『教行信証』は親鸞聖人52歳の時に茨城県笠間で書き始められ、63歳で京都に戻り、73歳の頃完成したと言われています。しかし生涯にわたって書き直したり書き加えたりされていたそうです。

 この度の慶讃法要は、親鸞聖人から続いてきた教えの歴史の中に今私が参加している有り難さに感動し、喜び讃える。報恩の生活を始めようという法要です。

 前段階の法要で池田勇諦先生が慶讃法要について、親鸞聖人がお書きになった和讃から「慶喜奉讃せしむべし」という部分を、慶びて褒め奉るべしと説明されました。知恩の生活と報徳を大事なものとしてお話しされたそうです。

 長い時代をへて、また近年ではコロナ禍の影響で、法要のネット中継や墓参りの代行などの新しい形も取り入れられつつありますが、形を変えても教えの中身自体が変わってしまっては困ります。

 本当のよりどころを求めてきた人たちから伝えられてきた教えが浄土真宗です。あなたのよりどころは本当に確かなものなのかを生活の中で問い続けることが大切なのではないでしょうか。


慶讃法要のテーマ

 「南無阿弥陀仏。人と生まれたことの意味をたずねていこう」がテーマです。

 「今だけ、金だけ、自分だけ」という世の中ですが、私もそうなってはいないでしょうか? 日常の中で私自身から目をそむけているのではないでしょうか。

 教えは私たちに受け継がれたものではあるけれど、私が便利に利用するのではなく、次の世代に返さなければならないものです。

 今の世の中は、どうやってうまく生きていくかを重視して、うまくいかないときは、誰かのせいにして満足できず空しくなります。そうではなくて、私はなぜ生きるのかと存在自体を見つめ直すことが大切なのではないでしょうか。


以下は釋尼光智の感想です。

 この度のお話は、なんとなく耳にしていた慶讃法要のテーマ「人と生まれたことの意味をたずねていこう」という言葉をもう一度見つめ直すきっかけになりました。自分の存在と存在を支えてくれるものへの思い、自分も次の世代のことを考える気持ちになっていくこと、そうした思いも自分の都合に合わせていないかを問い続けていくという大変なものが込められていることに重さを感じました。また、お話の後の質疑で先生が言われていた、慶讃法要は南無阿弥陀仏のはたらきと出会ってほしいという親鸞聖人の願いだと思うという言葉も印象に残りました。(全文責:釋尼光智)

2023 花御堂―お釈迦様のお誕生日―

 四月八日の前後数日、お釈迦様の誕生会をお祝いして、今年もお寺の玄関に花御堂をお飾りしました。甘茶をかけてお参りしてくださった方もいたようです。

 今年は紐くじを作って設置してみました。景品(お子さん向けのおもちゃや文具ですが)がまだ余っているので、引き続き玄関に設置中です。お参りの際など、大人の方も是非どうぞ。久々に引くと結構おもしろいですよ!

2023 修正会勤まる

 1月1日午前10時より、宗泉寺本堂にて修正会を参詣者とお勤めしました。正信偈と御文の拝読、法話をしました。

 コロナウィルスの流行も3年目になりました。今年は東日本大震災で亡くなられた方の13回忌になります。また関東大震災からは100年たったそうです。人生の中で何が起こるか不安で選択を投げ出したくなる時もあります。

これからが これまでを決める

 藤城聡麿

という言葉があります。日常の心ではこれまで(過去)の選択によってこれから(未来)は決まっていると思いこんでいます。

 ですが仏教では、これからの選択が、これまでの人生の意味を変えると教えてくれます。取り返しのつかない過去を黄金にするのか土くれにするのか、これからの選びが決めるのです。

自死者追弔法要を勤修しました

 2022年12月24日に、宗泉寺本堂において、自死者追弔法要をお勤めしました。

 参加希望の連絡がなかったため、中止かもと心配しましたが、時間になると参拝者が来て下さいました。参加者全員でお勤めをし、法要中にはご持参いただいた大切な方へのお手紙を御尊前にお供えしていただきました。

 住職の法話はお釈迦様のおさとりまでのお話しをしました。苦しみをなくすのは、王族の楽しみを追い求めるだけの生活でもなく、修行者の心身をいじめるだけの生活でもない。ほどほどの道(中道)を歩みましょうと話しました。

 その後、聞きあう時間を持ち閉会しました。

 次回は6月に開催します。詳しくは行事案内をご覧ください。