2023 新盆合同法要・盂蘭盆会合同法要勤まる

 七月九日には新盆合同法要を、八月六日には盂蘭盆会合同法要を宗泉寺本堂に於いてお勤めしました。

 政府のコロナ対応が変化したこともあってか、電車でもマスク無しの人も増えていますが、宗泉寺では引き続きマスク着用を推奨させて頂き、用心しながらの開催となりました。おかげさまで、無事にお勤めすることができました。ありがとうございました。

新盆合同法要法話の要約

 お盆の由来は「盂蘭盆経」というお経に基づいています。この経典は、お釈迦様の弟子である目連尊者とその母に関する物語が説かれています。目連尊者は亡くなった母を餓鬼道から救いたいと願い、お釈迦様に相談します。

 お釈迦様は目連尊者の母が他人と分かちあい与えることをしなかったために餓鬼道に生まれたと説き、母は目連が皆に施しをすると救われますと教えます。

 目連尊者は修行者たちに飲食物を供養して、母の救済に成功します。これに基づき、お盆行事が行われています。

 浄土真宗の教えでは、亡くなった人々は阿弥陀仏のお救いによって浄土に生まれます。浄土は苦しみのない美しい場所です。浄土に生まれた方々は、怨みや祟りはなく、病気や怪我の原因ではありません。

 そのため、浄土真宗では餓鬼になったものに施しをする施餓鬼を行いません。親鸞聖人の歌によれば、

安楽浄土にいたるひと
五濁悪世にかへりては
釈迦牟尼仏のごとくにて
利益衆生はきはもなし

(訳―悩み苦しみばかりの思い通りにならない世界で生きる私たちのところに、浄土で覚りを得た人たちがお釈迦様のように教えを説き、私たち生きとし生けるものに教えを授けてくださる)

 仏様となった方から生きていく力、導きをいただいて歩んでいこうというのが浄土真宗の教えです。

 本日は大切な方をなくし新盆を迎えられた方に集まって頂きました。

 新盆をご縁として亡き人を思い、手を合わせ、仏様のお徳をたたえていただきました。これからも故人様から力を頂き、導きを頂きながら念仏申す生活をしていただけたらと願っております。

お盆合同法要午前の部法話の要約 

 今日、八月六日は広島に原爆が投下された日です。慰霊の日として大切にされています。

 身近な人が亡くなったら辛く悲しいものですが、どこかの誰かが亡くなったと聞いても気の毒だな、大変だなと言うほどの心しか起こらない。自分の事のように人の事を思うというのは難しいのが私たちの心です。

 私たちは様々なご縁の中で生きています。先輩後輩、先生と生徒、上司部下、店員とお客さんなど、網の目のような様々なつながりの中で生きているというのが仏教の縁のつながりです。しがらみといわれることもあります。その目に見えないつながりで支え合って生きていると説いたのがお釈迦様です。

 盂蘭盆会は、ケチのため餓鬼の世界に生まれてしまった母を助けようという教えに基づいた法要です。仏教は地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の六道の世界を生まれ変わり続ける輪廻からどうにか抜けようという教えです。

 善い世界に生まれたと思っても、次はどうなるか分からないというのはやるせないと、お釈迦様が六道輪廻から抜けだす方法を説いてくださいました。

 浄土真宗を興された親鸞聖人は『歎異抄』第五条で

親鸞は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候(そうら)はず。そのゆゑは、一切の有情(うじょう)はみなもつて世々生々(せせしょうじょう)の父母・兄弟なり。

とおっしゃいました。

 私たちは身近な人を大切にしようという心は起こりやすいけれど、それ以外の人のことを自分の子のように大切にしようという心を起こすのは難しいです。

 親鸞聖人は直接の父母のために念仏を称えたことはありませんと説きます。自分の身近ではない人も、輪廻の中では過去の親兄弟であったかもしれないからです。

 輪廻は自分の生き方によって来世が変わるという生きざまを縛る考え方ですが、それを見ず知らずの人を愛するための輪廻に見方を変えた所が親鸞聖人のすごい所です。

 自分の親のためでなく、縁のあった皆と救われていこうという大きな願いを仰っているのです。

 見ず知らずの人を心配し考えるのは普段は難しいですが、遠くの他人と思っている人たちもお互いに支え合って世界が成り立っていることを考えて頂けたら幸いです。