法名 釋○○について 釋龍源

 法名について説いて欲しいと要望がありましたのでお知らせします。

法名とは

 まず法名とは仏教徒がお釋迦様の教えを、依り(より)所として生きて行きますという決意の名前です。

 依り所とは、普段の生活の中でこの考え方で生活していこうと指針となるものです。

 法名の一番の誤解は亡くなった後につける名前だと考えられている所です。生前ご縁がなかった方は亡くなった後に名づけております。

法名と戒名

 一般的な仏教徒名は戒名だと思います。戒名とは戒律を守り生きていくという名前です。受戒(戒律を授けていただく)時に師匠に名前をいただきます。お釈迦様の教えに基づいて十戒や五戒という在家仏教徒のルールである戒(僧侶は二百戒)を守って生きたいという決意の名前です。

 浄土真宗は戒律がない非常に珍しい仏教です。戒律を守ったものが悟りに近づくというルールでは、戒律を破ることは悪です。一番守るのが簡単だと言われる不殺生戒(殺さないルール)でさえ、害虫がいればすぐ破ってしまうのが私たちの生活です。

 普通の生活を送るものにとっては戒律を守ることは大変難しく、成し遂げることができません。

 そこで戒律を守って悟りに近づく道ではなく、どんなものであっても見捨てない阿弥陀仏におまかせする道を選んだのが浄土教の教えです。

 法名はお釈迦様の御法(おみのり、法則)を大切にする名前です。だから御法の名で法名といいます。

釋という字に込められた願い

 次に、法名に付く釋の字は、お釈迦様の釈という字の旧字体です。親鸞聖人も釋親鸞と名のっております。古くは四世紀の僧侶道安が、仏教徒はお釋迦様の弟子だから釋をつけようと書物に残しています。

 釋という字は、お釈迦様の弟子となりたいという字です。お釈迦様はご自身が「私は師匠となるから弟子募集中です」と説いた訳ではありません。お釈迦様の教えを生きる目標にしたいと選んだ方々が弟子となったのです。

 お釈迦様亡き後は、その弟子達が教えを伝えてきました。

 お釈迦様の教えを実践し、悩み苦しみから解放されて、覚りを開き仏陀になる。それが仏教徒の目標です。

 ですが現実の私たちは自分の環境やご縁によって、できる事には限界があります。だからせめて名前だけでも、お釈迦様の弟子として生きていきたいという願いの名前を名のる訳です。

俗名でも良いのでは?

 俗名は必ず世間の価値がついてきます。インドでも中国でも日本でも名字には尊い家柄、卑しい家柄という世間の価値がついてきます。名字を捨て、名前を捨てて一人の仏教徒として歩み始める訳です。

 また亡くなった方に法名をつけることは、縁のあったこの人は私を教えに導く仏様だったのだと敬っていくためではないかと考えます。

法名が短い理由

 最後に法名の字が他宗と比べて少ない、短いというお話もよく聞きます。浄土真宗の開祖親鸞聖人はご自身のことを釋親鸞と名乗られております。また親鸞聖人が大切にされた僧侶の曇鸞和尚も「釋曇鸞法師」と呼ばれた記録もあり、釋○○という三文字の名を名乗る伝統が中国から伝わってきました。

 そういったことから、浄土真宗の法名は、同じお釈迦様の教えを聞くものは人の上下をつけずに釋○○という三文字の名前をいただくのが浄土真宗の伝統です。

 女性の場合に尼という字をつけて四文字にします。尼とは比丘尼(ビクニ)という女性仏教徒を表す言葉の一文字です。親鸞聖人のお連れ合いの恵信尼公が尼という字をつけていたこともあり、法名を授かりたい方が女性の時に尼という字をつけています。

 ですが現代では女性だけに尼をつけるとは良くないのではという考えもあります。女性だけ女弁護士・女教師のように女仏教徒と名づけることが必要なことかという問題があります。

 以上が法名に関する疑問の多くです。これ以外にも院号のことや、入れたい文字のこと、ご葬儀後の法名授与の相談等があります。

 法名を授かり新たな歩みを始めたいという方がいらっしゃれば帰敬式を執行しております。是非ご相談ください。