永代経御紐解法要と春期彼岸法要勤まる

 3月19日、宗泉寺本堂にて永代経御紐解法要と春のお彼岸の法要をお勤めしました。

 昨年新たに過去帳に記載された方(2022年に宗泉寺で法名を授与し亡くなられた全員)と希望者の法名を読み上げました。

 法話は真宗大谷派東京教区教導の佐々木弘明先生をお呼びして、お話をいただきました。

 今回は、2023年の春にお勤めされた宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要(以下慶讃法要)にちなんでお話しいただきました。

 お話の中で印象に残ったことを以下に書きました。


慶讃法要とは

 この度の親鸞聖人の慶讃法要ですが、この他に大きな法要としては親鸞聖人の御遠忌、また毎年の報恩講などが印象的かと思います。いずれもご命日の法要ですが、今回は慶讃法要。お誕生と立教開宗を慶び讃える法要です。

 お寺のイメージとして、お葬儀や法事をする場所というイメージはあってもお祝い事のイメージはあまりないと思いますが、仏前結婚式や初参り式、七五三のような年祝いもできます。

 立教開宗というのは親鸞聖人が『教行信証』を書かれてから八百年としています。親鸞聖人自身は浄土真宗を始めるぞとは言われていないのです。親鸞聖人の師匠である法然上人が「浄土を明らかにする真実の教え」という意味で、浄土真宗という言葉を使われており、現代の宗派を表す言葉とは違うものになります。

 また浄土真宗と名乗れるようになったのは、明治時代以降で、それまでは一向宗や門徒宗と呼ばれていました。

 『教行信証』は親鸞聖人52歳の時に茨城県笠間で書き始められ、63歳で京都に戻り、73歳の頃完成したと言われています。しかし生涯にわたって書き直したり書き加えたりされていたそうです。

 この度の慶讃法要は、親鸞聖人から続いてきた教えの歴史の中に今私が参加している有り難さに感動し、喜び讃える。報恩の生活を始めようという法要です。

 前段階の法要で池田勇諦先生が慶讃法要について、親鸞聖人がお書きになった和讃から「慶喜奉讃せしむべし」という部分を、慶びて褒め奉るべしと説明されました。知恩の生活と報徳を大事なものとしてお話しされたそうです。

 長い時代をへて、また近年ではコロナ禍の影響で、法要のネット中継や墓参りの代行などの新しい形も取り入れられつつありますが、形を変えても教えの中身自体が変わってしまっては困ります。

 本当のよりどころを求めてきた人たちから伝えられてきた教えが浄土真宗です。あなたのよりどころは本当に確かなものなのかを生活の中で問い続けることが大切なのではないでしょうか。


慶讃法要のテーマ

 「南無阿弥陀仏。人と生まれたことの意味をたずねていこう」がテーマです。

 「今だけ、金だけ、自分だけ」という世の中ですが、私もそうなってはいないでしょうか? 日常の中で私自身から目をそむけているのではないでしょうか。

 教えは私たちに受け継がれたものではあるけれど、私が便利に利用するのではなく、次の世代に返さなければならないものです。

 今の世の中は、どうやってうまく生きていくかを重視して、うまくいかないときは、誰かのせいにして満足できず空しくなります。そうではなくて、私はなぜ生きるのかと存在自体を見つめ直すことが大切なのではないでしょうか。


以下は釋尼光智の感想です。

 この度のお話は、なんとなく耳にしていた慶讃法要のテーマ「人と生まれたことの意味をたずねていこう」という言葉をもう一度見つめ直すきっかけになりました。自分の存在と存在を支えてくれるものへの思い、自分も次の世代のことを考える気持ちになっていくこと、そうした思いも自分の都合に合わせていないかを問い続けていくという大変なものが込められていることに重さを感じました。また、お話の後の質疑で先生が言われていた、慶讃法要は南無阿弥陀仏のはたらきと出会ってほしいという親鸞聖人の願いだと思うという言葉も印象に残りました。(全文責:釋尼光智)