2023夏 みんなで本を読むー聞法会の報告

 ここ数年は法語カレンダーの解説書『今日の言葉(大谷派)』と『こころに響くことば(本願寺派)』を読んで同じ法語をどう受け取っているかを読み比べています。

◇4月25日(火)

 前半は『正信偈』のお話しです。

 「建立無上殊勝願から重誓名声聞十方」の解説です。『無量寿経』の法蔵菩薩が二百十億の仏の国々を視察して長い間考えて、この上ない本願を建てたというお話をしました。

こころにじごくがあるよ ひにちまいにち ほのをがもゑる 浅原 才市

 己が地獄を作っているという文章や虐待をどう思うかと聞きあいました。

仏法の鏡の前に 立たないと 自分が自分になれない 二階堂 行邦

 参加者の「鏡は近づきすぎると見えない」という言葉が心に残りました。

◇5月24日(水)

南無阿弥陀仏とは 言葉となった 仏なのです     安冨 信哉

 「言葉となった仏様から救われているのに、言葉で人を傷つけるのは仏様を裏切ることになる」という文章がトーンポリシングではないかと言われました。

 知らない言葉だったので調べました。トーンポリシング(Tone Policing)とは、論点のすり替えの一種。発言の内容ではなく、それが発せられた口調や論調を非難することによって、発言の妥当性を損なう目的で行われることだそうです。「言い方が悪い」といって発言の機会をつぶす方法だそうです。

 究極の善を知らない我々が「そんなこと言ったら仏様を裏切ることになる」と言われたら何も言えなくなると思いました。

◇6月27日(火)

 『正信偈』の「普放無量無辺光から一切群生蒙光照」の文のお話をしました。十二光仏という阿弥陀如来の別名のお話と讃阿弥陀仏偈和讃のお話をしました。

信は 如来の生命なり 小山 法城

 「救い主はいのちであり、いのちは母である」と例えるのは現代では違和感があるという話があがりました。科学と宗教で考えていることを参加者で話し合いました。

法名 釋○○について 釋龍源

 法名について説いて欲しいと要望がありましたのでお知らせします。

法名とは

 まず法名とは仏教徒がお釋迦様の教えを、依り(より)所として生きて行きますという決意の名前です。

 依り所とは、普段の生活の中でこの考え方で生活していこうと指針となるものです。

 法名の一番の誤解は亡くなった後につける名前だと考えられている所です。生前ご縁がなかった方は亡くなった後に名づけております。

法名と戒名

 一般的な仏教徒名は戒名だと思います。戒名とは戒律を守り生きていくという名前です。受戒(戒律を授けていただく)時に師匠に名前をいただきます。お釈迦様の教えに基づいて十戒や五戒という在家仏教徒のルールである戒(僧侶は二百戒)を守って生きたいという決意の名前です。

 浄土真宗は戒律がない非常に珍しい仏教です。戒律を守ったものが悟りに近づくというルールでは、戒律を破ることは悪です。一番守るのが簡単だと言われる不殺生戒(殺さないルール)でさえ、害虫がいればすぐ破ってしまうのが私たちの生活です。

 普通の生活を送るものにとっては戒律を守ることは大変難しく、成し遂げることができません。

 そこで戒律を守って悟りに近づく道ではなく、どんなものであっても見捨てない阿弥陀仏におまかせする道を選んだのが浄土教の教えです。

 法名はお釈迦様の御法(おみのり、法則)を大切にする名前です。だから御法の名で法名といいます。

釋という字に込められた願い

 次に、法名に付く釋の字は、お釈迦様の釈という字の旧字体です。親鸞聖人も釋親鸞と名のっております。古くは四世紀の僧侶道安が、仏教徒はお釋迦様の弟子だから釋をつけようと書物に残しています。

 釋という字は、お釈迦様の弟子となりたいという字です。お釈迦様はご自身が「私は師匠となるから弟子募集中です」と説いた訳ではありません。お釈迦様の教えを生きる目標にしたいと選んだ方々が弟子となったのです。

 お釈迦様亡き後は、その弟子達が教えを伝えてきました。

 お釈迦様の教えを実践し、悩み苦しみから解放されて、覚りを開き仏陀になる。それが仏教徒の目標です。

 ですが現実の私たちは自分の環境やご縁によって、できる事には限界があります。だからせめて名前だけでも、お釈迦様の弟子として生きていきたいという願いの名前を名のる訳です。

俗名でも良いのでは?

 俗名は必ず世間の価値がついてきます。インドでも中国でも日本でも名字には尊い家柄、卑しい家柄という世間の価値がついてきます。名字を捨て、名前を捨てて一人の仏教徒として歩み始める訳です。

 また亡くなった方に法名をつけることは、縁のあったこの人は私を教えに導く仏様だったのだと敬っていくためではないかと考えます。

法名が短い理由

 最後に法名の字が他宗と比べて少ない、短いというお話もよく聞きます。浄土真宗の開祖親鸞聖人はご自身のことを釋親鸞と名乗られております。また親鸞聖人が大切にされた僧侶の曇鸞和尚も「釋曇鸞法師」と呼ばれた記録もあり、釋○○という三文字の名を名乗る伝統が中国から伝わってきました。

 そういったことから、浄土真宗の法名は、同じお釈迦様の教えを聞くものは人の上下をつけずに釋○○という三文字の名前をいただくのが浄土真宗の伝統です。

 女性の場合に尼という字をつけて四文字にします。尼とは比丘尼(ビクニ)という女性仏教徒を表す言葉の一文字です。親鸞聖人のお連れ合いの恵信尼公が尼という字をつけていたこともあり、法名を授かりたい方が女性の時に尼という字をつけています。

 ですが現代では女性だけに尼をつけるとは良くないのではという考えもあります。女性だけ女弁護士・女教師のように女仏教徒と名づけることが必要なことかという問題があります。

 以上が法名に関する疑問の多くです。これ以外にも院号のことや、入れたい文字のこと、ご葬儀後の法名授与の相談等があります。

 法名を授かり新たな歩みを始めたいという方がいらっしゃれば帰敬式を執行しております。是非ご相談ください。

2023 Q&A 住職に聞きたい

 お香の灰を捨てる時は塩を入れて二・三ヶ月に一回灰を変えると仏具店に聞きましたが本当ですか?

 全くの迷信です。お仏具の事や御本尊の事・おかざりの方法などは宗教に関わる事です。ぜひ宗教家である僧侶にご相談ください。


問 ご法事の日にち、喪主に聞きづらいから、お寺さんに教えてもらいたいです。

 お寺は守秘義務があります。ご法事が開かれるかはお答えできかねます。


問 厄払いってやったほうが良いですか?

 男性の厄年が前厄・本厄・後厄あわせて十二回、女性では十五回あるそうです。六十二歳まであり男性なら平均五年に一年、女性ならば平均四年に一年厄年があるようです。厄年というルールに縛られなければその一年も普通の一年になります。

仏教は日の善し悪しを説きません。

2023 お盆(盂蘭盆会)について

浄土真宗のお盆

 お盆は仏教の行事の中でも最も有名な法要だと思います。各ご家庭でも、お内仏(御仏壇)の前に座り、ご家族でお勤めしていただければと思います。お花を替えて、灯明をつけて、香を焚いたら、両手を合わせて「南無阿弥陀仏」と念仏もうしましょう。

 お盆をご縁に亡き人に思いをはせてみてはいかがでしょうか。


お盆の由来

Q なぜやるの?

A 日常の心をひるがえし、教えをいただくためです。

Q いつですか?

A 『盂蘭盆経』には七月十五日にお勤めすると説かれています。日本では地域によって七月・八月と別れています。

Q どこでするの?

A お寺やお内仏(仏壇)の前でお勤めします。

Q 誰がするの?

A 『盂蘭盆経』では釈迦の弟子のモッガーラナ(目連)尊者が供養します。現実では私達がやります。

Q 何のためにするの?

A 真宗では仏様の教えをいただく為ですが、一般的には『盂蘭盆経』に説かれた方法で死後、餓鬼道に生まれた人を救うためです。

Q どうやるの?

A 真宗ではやる必要がありません。『盂蘭盆経』では百種の食物を修行者たちに召し上がってもらいます。一般的な仏教の考え方では、寺院維持の協力や僧侶への施しや、自分が生活の中でできる事をしていくことです。

永代経御紐解法要と春期彼岸法要勤まる

 3月19日、宗泉寺本堂にて永代経御紐解法要と春のお彼岸の法要をお勤めしました。

 昨年新たに過去帳に記載された方(2022年に宗泉寺で法名を授与し亡くなられた全員)と希望者の法名を読み上げました。

 法話は真宗大谷派東京教区教導の佐々木弘明先生をお呼びして、お話をいただきました。

 今回は、2023年の春にお勤めされた宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要(以下慶讃法要)にちなんでお話しいただきました。

 お話の中で印象に残ったことを以下に書きました。


慶讃法要とは

 この度の親鸞聖人の慶讃法要ですが、この他に大きな法要としては親鸞聖人の御遠忌、また毎年の報恩講などが印象的かと思います。いずれもご命日の法要ですが、今回は慶讃法要。お誕生と立教開宗を慶び讃える法要です。

 お寺のイメージとして、お葬儀や法事をする場所というイメージはあってもお祝い事のイメージはあまりないと思いますが、仏前結婚式や初参り式、七五三のような年祝いもできます。

 立教開宗というのは親鸞聖人が『教行信証』を書かれてから八百年としています。親鸞聖人自身は浄土真宗を始めるぞとは言われていないのです。親鸞聖人の師匠である法然上人が「浄土を明らかにする真実の教え」という意味で、浄土真宗という言葉を使われており、現代の宗派を表す言葉とは違うものになります。

 また浄土真宗と名乗れるようになったのは、明治時代以降で、それまでは一向宗や門徒宗と呼ばれていました。

 『教行信証』は親鸞聖人52歳の時に茨城県笠間で書き始められ、63歳で京都に戻り、73歳の頃完成したと言われています。しかし生涯にわたって書き直したり書き加えたりされていたそうです。

 この度の慶讃法要は、親鸞聖人から続いてきた教えの歴史の中に今私が参加している有り難さに感動し、喜び讃える。報恩の生活を始めようという法要です。

 前段階の法要で池田勇諦先生が慶讃法要について、親鸞聖人がお書きになった和讃から「慶喜奉讃せしむべし」という部分を、慶びて褒め奉るべしと説明されました。知恩の生活と報徳を大事なものとしてお話しされたそうです。

 長い時代をへて、また近年ではコロナ禍の影響で、法要のネット中継や墓参りの代行などの新しい形も取り入れられつつありますが、形を変えても教えの中身自体が変わってしまっては困ります。

 本当のよりどころを求めてきた人たちから伝えられてきた教えが浄土真宗です。あなたのよりどころは本当に確かなものなのかを生活の中で問い続けることが大切なのではないでしょうか。


慶讃法要のテーマ

 「南無阿弥陀仏。人と生まれたことの意味をたずねていこう」がテーマです。

 「今だけ、金だけ、自分だけ」という世の中ですが、私もそうなってはいないでしょうか? 日常の中で私自身から目をそむけているのではないでしょうか。

 教えは私たちに受け継がれたものではあるけれど、私が便利に利用するのではなく、次の世代に返さなければならないものです。

 今の世の中は、どうやってうまく生きていくかを重視して、うまくいかないときは、誰かのせいにして満足できず空しくなります。そうではなくて、私はなぜ生きるのかと存在自体を見つめ直すことが大切なのではないでしょうか。


以下は釋尼光智の感想です。

 この度のお話は、なんとなく耳にしていた慶讃法要のテーマ「人と生まれたことの意味をたずねていこう」という言葉をもう一度見つめ直すきっかけになりました。自分の存在と存在を支えてくれるものへの思い、自分も次の世代のことを考える気持ちになっていくこと、そうした思いも自分の都合に合わせていないかを問い続けていくという大変なものが込められていることに重さを感じました。また、お話の後の質疑で先生が言われていた、慶讃法要は南無阿弥陀仏のはたらきと出会ってほしいという親鸞聖人の願いだと思うという言葉も印象に残りました。(全文責:釋尼光智)

2023春 みんなで本を読むー聞法会の報告

 法語カレンダーの言葉について書かれた短い文章を読みました。

 住職が葬儀で急遽欠席のため、正信偈のお話はお休みして、本を読み話し合いをしました。聞法会は、火葬場がお休みの友引の日に予定していますが、この頃はお休み無しの火葬場もあるようです。

2月20日(月)

世の中に

 最も度し難いものは

 他人ではない この私

    稲城 選恵

 読んだ文章の中に、おみがきの話が出てきました。出席の方から、子どもの頃にワラの灰を使ってお磨きをしたことやお祖父さんお祖母さんの家での思い出などを聞くことができました。

 また、かつては家庭の中心にお内仏があり、生活の中でたくさん南無阿弥陀仏と口にしていた人がいたけれど、今はどうなのかということも話題になりました。昔とは生活様式も変わってきたなかで、それぞれに無理のない形で次世代にお念仏のことを伝えていく難しさを思いました。これまでも、写真やインターネットなど、時代時代に新しく出来たものや制度にあわせて変化してきた部分もあります。大事な部分は伝えていきながら、うまく変えていくことは大変だなと感じています。

宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要に参詣

 京都の本山で五十年に一度の慶讃法要にお参りをしてきました。しばらくコロナウィルス蔓延防止のため他県に行くことはありませんでしたが、久し振りに近隣の名所にお参りしてまいりました。


親鸞展(京都国立博物館)

 京都の本山東本願寺での慶讃法要は動画で毎日配信を見ておりましたが現地でお参りしたいと思い神奈川から出発しました。新幹線もほぼ満席で外国からの観光客らしき人たちも沢山いました。京都はコロナ以前のように多くの人がいてバス乗り場も大行列でした。

 午後に法要が始まる日だったので、午前中は京都国立博物館で開催されている親鸞展を見学にいきました。博物館は三十三間堂の前にあり駅から徒歩二十分ほどです。

 親鸞展では宗派を超えて守られてきた浄土真宗に関係する宝物が展示されていました。親鸞聖人の直筆で国宝の『教行信証』や経典の注釈書、親鸞聖人のお書きになったお手紙など 数多くが展示されていました。印刷物では見たことがありましたが、八百年前に親鸞聖人が触れて書いたものを目にする事ができて嬉しいかぎりです。

 また、親鸞聖人が大切にされた七人の僧侶(七高僧)の著書や解説、親鸞聖人の生涯を絵図で表した伝記など、たくさんの展示がありました。親鸞聖人の直筆のものの多くは真宗高田派の専修寺に残されていることも知りました。五月二十一日まで開催されています。


慶讃法要(真宗本廟)

 東本願寺での慶讃法要は参加の申し込みをしていなかったため席がないかと不安でしたが、二百席程の自由席があり安心して参詣できました。

 法要は両堂同時法要という初めての法要でした。浄土真宗の寺院は両堂形式といって、阿弥陀堂(阿弥陀様が真ん中)と御影堂(親鸞聖人が真ん中)という二つのお堂が建っています。阿弥陀堂で経典を読誦してから御影堂に移って正信偈を勤めるのが今までの法要作法でしたが、コロナで席を離すことや接触を避けるために両堂で同時にお勤めをする方法を考えたようです。

 私がお参りした時は本願寺の住職(釋修如)は隣のお堂で読経していたので肉眼では見えませんでしたが、中継映像とスピーカーで声に合わせて両堂の法要が務まっていました。

五十年に一度の大法要という機会に、久しぶりに京都までお参りをすることができました。インターネットで慶讃法要の中継は見ておりましたが、実際に行ってみると境内で色々な催しや展示をやっており、コロナの間は参れなかった御影堂・阿弥陀堂も大きな五色幕が張られ賑やかな装いでした。

 久しぶりの遠出で、いつでも参れると思っていた京都がやけに遠くに感じました。今後はできるかぎり京都にお参りしたいものだなと、あらためて思いました。慶讃法要は四月二十九日まで勤修されます。


真宗高田派本山専修寺

 少し足を伸ばして三重県津市にある専修寺にお参りしてまいりました。津駅からバスで行きましたが細い道の住宅街の中に突然大きなお堂が現れて驚きました。栃木県真岡市の専修寺にも行ったことはありましたが同じくらいの広さがありました。

 東西本願寺は親鸞聖人の子孫が住職のお寺ですが、真宗高田派は親鸞聖人のお弟子が受け継いだお寺です。東西本願寺では親鸞聖人は生涯お寺を建てずに布教して歩いたと伝わっております。しかし真宗高田派は親鸞聖人が関東で布教をしていた時、栃木県真岡市に長野の善光寺から阿弥陀如来像の複製をいただいて本尊とし、専修寺というお寺を建てたという伝承がルーツになっている宗派です。

 ですから親鸞聖人が、自身のお寺として教えを伝えた貴重な資料がたくさん伝わったお寺です。親鸞聖人没後の本願寺は、親鸞聖人の子孫が維持する天台宗の末寺の一軒のお寺でした。その間に教えを守り広めきたのが、親鸞聖人のお弟子さんたちの宗派です。

 真宗高田派は栃木県真岡市の専修寺が火災によって焼失後に、三重県津市にお寺を移して活動しました。その事によって二つの本山をもつお寺となっています。今でも六百ヶ寺のお寺の支える本山として活躍しております。

 境内は映画の撮影場所に使われたらしく若い女性が何グループもきて写真を撮っていました。お堂は広く大きくて、様々な場所に欄間の彫刻があり立派でした。内陣は彩色がされて高い天井が現実のものとは思えないほど見事なものでした。

 高田派でも大谷派と同じ鶴亀の燭台をおかざりしますが、よりゴージャスな鶴と亀でした。通称鶴亀と言われていますが、本当は鳳凰と龍です。

 奥には学校の運動場ほどの大きな池があり、納骨堂が建っていました。また親鸞聖人のお骨を納めたお墓もありました。

 宝物館というものが 以前はあったようですが改修中のようで取り壊されていました。その中で飾られていたであろう品々が京都国立博物館の親鸞展に展示されていました。親鸞聖人のお骨を運んだという錦の袋も博物館にありました。

 東西本願寺だけを見ていると知らないことが沢山あります。本願寺と高田派が憎み合って戦争をしたこともあります。ですが親鸞聖人直筆の大切な資料が八百年間、残されて来たのも、火災や戦の中、大きな力で専修寺が守って下さったからです。そのお寺とそれを支えてきた門徒の方々に思いをはせた参拝でした。

2023 修正会勤まる

 1月1日午前10時より、宗泉寺本堂にて修正会を参詣者とお勤めしました。正信偈と御文の拝読、法話をしました。

 コロナウィルスの流行も3年目になりました。今年は東日本大震災で亡くなられた方の13回忌になります。また関東大震災からは100年たったそうです。人生の中で何が起こるか不安で選択を投げ出したくなる時もあります。

これからが これまでを決める

 藤城聡麿

という言葉があります。日常の心ではこれまで(過去)の選択によってこれから(未来)は決まっていると思いこんでいます。

 ですが仏教では、これからの選択が、これまでの人生の意味を変えると教えてくれます。取り返しのつかない過去を黄金にするのか土くれにするのか、これからの選びが決めるのです。

2023春 みんなで本を読むー聞法会の報告

1月23日(月)

 前半は正信偈について住職がお話ししました。正信偈の成り立ちや構成について、スライドも使って説明しました。今のように朝晩読まれるようになったのは、蓮如上人の頃からというのは知らなかったので、面白いなと思いました。今後も続けていく予定なので、正信偈ってどういう事が書いてあるのか知りたいと言う方も是非ご参加下さい。

 後半は今年の法語カレンダーの

「親鸞聖人の出現は 私一人のためであった」

「この世のことは 何事も何事も お念仏の助縁」

についての文章を皆さんで音読しました。家庭内で感謝することの難しさや日頃の生活で思うことなども話題になりました。

 法語カレンダーはお寺の玄関にて、少しですが配布中です。欲しい方はお参りや行事に見えられたときにでもお持ち下さい。