お寺について
         
    現在の内陣     
     少しづつ仏具をもとめて内陣の荘厳を立派にしています。
2018/11
   
         
   

 
   
    住職表札を作る    
     宗泉寺の表札を作りました。いくつかのホームページを参考にして手彫りしました。
 彫刻刀で彫っていましたが、デザインカッターで削ったほうが上手にできます。
 下書きをして字の内側に沿って彫っていきます。
 削り終わったら砥の粉を塗ってから、木簡墨という墨で色を入れました。
 最後はクリアーのニスを三度塗って完成です。一週間ほどかかりました。
 大谷派の紋は仏具屋さんでもとめてから住職が付けました。
2018/4
   
    彫っている途中 。
 完成取り付け。
  玄関がお寺らしくなりました。
   
     

   


     2004年 6月に茅ヶ崎市矢畑の借家で活動開始。
       寛大な大家さんの許しが出て宗泉寺の看板を出していました。
       家を探すのに半年近く茅ヶ崎の不動産屋さんを巡ってました。
2005年 4月に現在の土地を購入しました。
       土地は茅ヶ崎に来てからずっと探していました。
       茅ヶ崎・寒川辺りの土地・住宅をたくさん見て回りました。
2005年 7月にリフォームが済み引越しました。
2005年12月に初の報恩講を勤修しました。
2007年 8月雨漏りで一部破損・修理。
2009年 9月駐車場整備と玄関の場所を変えるリフォーム
現在、茅ヶ崎市下寺尾にて活動中。→地図
   
     

   
お寺をリフォームが完了!  
 宗泉寺の建物は中古の住宅をリフォームしたもので、色々と不便なところがあったため、この度リフォーム(改築)に踏み切りました。
 問題はいくつかありました。まず本堂が小さいところ。本堂のホールが十畳ほどしかありません。ですから三十名のご参詣があった時は、ギッシリと座っていただかなくてはなりません。
 そしてトイレが一つしかないため、トイレに行列ができました。
 また玄関が奥にあるのは良いのですが、丸い石が並べられた地面のために、若い人でも転びやすく、歩きにくいことがあり気になっていました。そういったことからリフォームをすることになりました。
 工事中は人の出入りが常にあり疲れましたが、だんだんと完成に近づくのが楽しみでもありました。
 改築後の本堂は今までフローリングだった部屋を畳に変えて十二畳になりました。また隣も本堂と続きの部屋にして、行事の時は二十畳の参詣席が作れるようになりました。
 トイレは個室を二つにしました。
 そして玄関は一部屋を壊して新しい玄関を作りました。駐車場からも近く、屋根も大きくなったので立派になりました。コンクリートの建物なのでお寺に見えないという方が多かったため、せめて玄関はお寺らしくしたいと思っていました。
 工事中は客間でのご法事になるなどご迷惑をおかけしました。皆様のご協力をいただきまして無事工事も終わりました。ぜひお参りに来てください
2009/12

本堂の写真、広くなりました。


玄関です。靴も沢山しまえます。


玄関は北向きから東向きに変わりました。



お寺をリフォーム工事中

 本堂を広げて、玄関とトイレの位置を変えるリフォームを行っています。
 これまで、細い通路を通って駐車場から玄関まで行っていただいていましたが、新しい玄関は駐車場の目の前になります。
 トイレもいままでは一つしかなく、並んでいただいていましたが、新しい玄関の近くに移動し、二つ設けることになりました。
 また、建物の広さは変えられないので、できる範囲で本堂も広くなります。
 工事中はご利用の皆様には、ご不便をおかけ致しますが、十二月の報恩講には新しい玄関と本堂とをお披露目できる予定です。
 その際には是非お寺へご参詣ください。
2009/10


駐車場ができました
今までお寺への参詣の方は、車を庭に停めていただいていましたが、駐車場を造りましたので車が停めやすくなりました。五台は楽に停められます。是非お寺にお越し下さい。
2009/09


掲示板を設置しました
 以前から欲しいと思っていた掲示板を設置しました。
 ピアノ教室や習字教室、他にも行事案内等を掲示して、地域の人たちにも宗泉寺がここにあることを知ってもらえるように使っていきたいと考えています。
 設置は門徒さんが、子どもの学校が休みの日に親子で工事をしてくださいました。
2009/08


正面から見るとこうです。角地になってます。
現在、巨大な看板が立っています。





裏からみると駐車スペース兼庭になっています。


庭はバーベキューも楽しめます




客間は6畳と8畳のふたまです。


客間ではお斎(食事)も召し上がれます。




そしてお寺の心臓部(?)本堂です。
お飾りが変わっているので今とは違います。その話は後ほど。



新しいお内仏がきました
 ネットショッピング大好きな住職がネットオークションで大きなお内仏を購入しました。
 久々に何の用事もなかった九月のある日に、そのお内仏は届きました。
 玄関のチャイムが鳴ったとき、私は娘におっぱいをあげていたため住職が玄関へでました。すると「ちょっと来てー」と呼ばれました。近所の会社の駐車場にトレーラーがとまっています。
そのトレーラーの荷台に、両手を広げたぐらいの幅と大人の身長ぐらいの高さの物が、カバーを掛けた状態で荷台にたたずんでいます。
 運んできた人がおもむろにカバーをはずすと、そこにあらわれたのは、大きなお内仏でした。しかもすごく大きいものです。分解することもできないタイプです。
 運んできたのは運転手さん一人だけ。とても、二人や三人で運べるような物ではありません。
 大あわてで、あちこちに電話をして、お仏壇のはせがわの西田さんと藤尾さんに来ていただきました。
 そして、私は先に行ってドアを開けたりする係をし、運んできた人、来てくださった方二名、住職の計四人でなんとか客間の床の間に運び込みました。
 横幅はギリギリおさまりましたが、扉が全開になりません。高さはなんとか大丈夫です。でも 奥行きは足りず半分以上はみ出てしまいました。
 「計ってから買わなかったの?」とたずねる私に住職は、安かったし欲しいと思っていたし、ネットで見たときはこんなに大きくなかったとのこと。
 ちょっと床の間をなおさなければいけないですが、立派なお内仏がやってきました。なかなか見る機会がない大きいお仏壇です。是非お参りに来てください。
追伸:本当にお手頃価格だったので寺は雨漏りしてましたが思い切りました。以前から欲しいと思って二百代の仏具だけはそろえていました。本当にうれしいです。


宗泉寺に仏具が届きました
 少し前の話になりますが、2006年の夏に茅ヶ崎宗泉寺に仏具が届きました。その仏具は叔母の実家のお寺が廃寺になるということで、昨年から話を聞いていたものでした。福井県にある廣信寺様というお寺で、叔母のお祖父さんが建てたお寺だそうです。
 茅ヶ崎宗泉寺は新しいお寺なので、足りない仏具がいくつかあります。福井のお寺がなくなるということは、使わなくなるお寺用の仏具が出てくるということです。その仏具をいただけるというお話になり、福井県の廣信寺様にうかがって茅ヶ崎で使えるかどうかを下見するということにしました。
 仏具といっても、どれも同じ大きさではありません。寺院用の仏具は一寸(約三センチ)刻みで注文して、仏具屋さんがオーダーメイドで作っています。内陣の机等も同じようにして注文します。
 また、廃寺になるという事はとても残念なことですが、どんな姿のお寺なのか、どんな人たちが集まっている所なのか、一度は目に焼き付けておきたいという思いもありました。
 当日は叔父と二人で福井県に行くことになり、東海道新幹線で東京から米原に行き、そこから特急に乗り換えて福井に行きました。福井駅では、叔父に連れられて蕎麦屋に入って昼食を食べました。お蕎麦が有名なようで美味しかったです。駅からタクシーで二十分程でお寺に着きました。
 お寺は低い山のふもとにあり、庭の大きな民家の間にありました。道からすぐに本堂があり、幅が十メートル程、高さが三階建て位はある大きなお寺でした。
 そこでお参りをしてから内陣にあがって寸法を測ったり、写真を撮ったりしました。真鍮の仏具は良いものでした。特に熱心にお磨きをしていたようで、真鍮の仏具の角ばったところが丸くなっているのには驚きました。机のような漆に金箔が貼ってあるものは擦るとはがれてしまったり、金具が緑青で錆びていましたが、飾りつけ以外の元の木でできた所はしっかりしていました。それ以外にも、書籍もいただけるという事だったので倉庫で本を見たりしていました。
 しばらくすると、近所から廣信寺様の総代さんが本堂に来て叔父と話し合っていました。叔父は廣信寺様の住職さんが亡くなった後、代務として廣信寺様の報恩講などお寺の行事があると埼玉県から福井県まで通っていたようです。しかし近年、廣信寺様の坊守さんが亡くなって、お寺に誰も住まなくなり、維持していくのが難しくなったようです。
 お寺はお墓を守るためにあるのではなく、近所の方々が教えを聞く道場でした。廣信寺様も遠くのお寺にお参りに行くのが難儀だということで近所の方々が建てたお寺なのでしょう。ですから廣信寺にお墓のある家は一つもなかったようです。またお寺の敷地内に住職の家族のお墓が一つあるだけでした。
 総代さんは自転車で来たとは思えないほど高齢で、いかにも田舎のおじいちゃんという姿でした。私は少し後ろめたい気持ちもあって、顔を合わせただけで本堂にはいませんでした。
 なぜなら仏具をいただきにいくということは、お寺が無くなることで助かるということです。雪深い福井県で一生懸命お寺を維持してきた門徒さんや総代さんのことを思うと、助かったとか嬉しいとは言いがたかったのです。
 京都の仏具屋さんと相談して、採寸するより現場で合わせてみましょうという話になり、全ての仏具を茅ヶ崎に持ってきていただきました。その様な背景のある仏具が茅ヶ崎宗泉寺の南無阿弥陀仏を荘厳しております。
 ご法事などで本堂にいらっしゃった時に、金箔の剥がれた机があります。気が向いたら福井県廣信寺様の姿とそこに集ったご同行・門徒のことを想像してお参りしていただきたいと願っております。

福井県の廣信寺様の外見です。


素晴らしい須弥壇です。


細かい彫刻の入った仏具です。


すばらしいお荘厳になりました。どこが変ったか分かりますか?



特別出演 茅ヶ崎市矢畑(借家)の時のお荘厳です。

幅は半間(90cm)、部屋は四畳半でした。
ここでご法事をした方は
「宗泉寺新生児」からお世話になっている方です。



真宗大谷派 黒石山宗泉寺(本院)について
東京都北区赤羽西1−17−12
富山県から出てきた祖父が開教した寺院。
千葉県の勝善寺さんの境内にあった寺、そのため黒石山という名前をもらった。
空襲で足立区千住あたりから北区赤羽に移ったらしいです。
現住職の弟さんは埼玉県にて新寺を建立しました。


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253−0081 神奈川県茅ヶ崎市下寺尾2085 浄土真宗大谷派 宗泉寺