お墓について

お墓・墓石について
 日本人は明治時代に西洋の文化を取り入れ、名字を付ける事を始めました。
 それにともなってお墓は個人墓から家墓に変わっていきました。
 その後、墓相(ぼそう)という占いのジャンルが出来たようです。
 墓相学とはお墓の姿形によって家族の人生が変わるという、おまじないです。

  門徒が気にする必要のないこと
   お墓の場所-山の上・川の側・場所を選びません。
   お墓の方角-東西南北を選びません。
   お墓の高さ-大きい・小さいを気にしません。
   お墓の石-好きな石を選びます。
   お墓を建てる日にち-良い日・悪い日はありません。

和型 洋型

1.中心の石の正面には「南無阿弥陀仏」と刻みます。ご本尊にお参りするからです。
2.○○家や家紋は、図のピンク色で表したところに刻みます。
3.建てた人の名前や日付を刻む場合は「吉日」とは入れないでよいです。
4.建立する日はいつでもかまいません。ご法事のついでに建てる方がいるだけです。
5.多くの人は掘りますが、墓石に法名を刻む必要はありません。
6.墓誌ではなく、法名碑と刻みます。
7.亡くなった方の年齢を刻むときは「寿算○歳」と刻みます。
  寿算○歳・・いのちを数えると○歳(本当は数字では数えられないが)
  行年○歳・・生まれてから死ぬまで○年間
  享年○歳・・天から授かった命は○年間


注:本山で定められた形はありません。このような形が望ましいという資料として見てください。
注:「倶会一処(ひとつの所でともに会う)」というお経の言葉を刻むこともあります。
参考:新潟県高田のあたりを見ましたら、「墓碑」や「墓」とだけ刻んでありました。

  
ロケ地:冬の新潟
     

   
    骨壺について    
     地域によって骨壺の大きさが違います。また壺を使わずに木製の箱に収める地域もあります。
 大きく分けると「関西は小さい骨壺」、「関東は大きい骨壺」になります。
 違う文化圏の人から見ると火葬場にお骨を残す事に驚いたり、火葬場の灰の一粒まで壺に入れるのを見て驚いたりします。
 関西は分骨といって京都の本山にお骨の一部を収める習慣があります。すでに分けて埋葬するつもりですから、骨一粒にこだわらないという文化です。
 関東は土葬の宗派も多く、明治以後爆発的に人口が増えたこともあり土葬できないなら全部のお骨を持っていくという文化だと思います。
2018/12
   
   
骨壺サンプル
一番手前と左が分骨用サイズ 6cm
右が関西サイズ 15cm
奥が関東サイズ 21cm
   
     

   
お墓Q&A 答え・文責:住職

Q.洋型と和型だったら和型が良いんでしょうか?
A.
 どちらでも好きな形で建てて下さい。和型はお位牌を石で作ったものであろうと思います。お墓の天辺を丸くして頭の形を作っているからです。最近は付加価値をつけるため天辺を丸める傾向が強くなっているように思います。
 洋型の方はキリスト教の流れで作られています。和洋、どちらにしても時代でデザインが変わっていきます。


Q.南無阿弥陀仏と入れなかったのですがダメですか?
A.
 私としては残念ですが。教えとしては問題ありません。お墓に書いた字によって救いが決まる訳ではありません。安心して下さい。経典の内容を刻んでいる方もいます。好きな字を刻んでいる方もいます。


Q.お墓に木を植えると縁起が悪いと聞いたのですが?
A.
 一昔前はお墓に木を植えると縁起良いという中国の伝統に基づいて、墓地に木を植える方が沢山いました。
 最近は手入れが面倒、木が大きくなって石が動いて余計な出費をしたという話を良く聞きます。草むしりをしたくないので墓地に固まる土を使う方もいます。
 墓地に何かをすると罰が当たる、または良いことがあるという考え方は本当なのでしょうか。


Q.お墓参りをしないのは親不孝ですか?
A.
 お内仏(仏壇)のお参りも同じですが、出来ないときは出来ないのが人間です。自分の限界を知ることは教えを聞くきっかけにもなります。お墓参りは亡き縁のあった人を懐かしく思い出し、今の自分を振り返る仏事です。電車の中でもお墓のことを思い、いのちを思うことはお墓参りといえないでしょうか。


Q.卒塔婆(そとば)・塔婆(とうば)を立てないそうですね?
A.
 立てません。塔婆立てもお墓に付けません。
 地域によって他の宗派が強い場所では立てるという話を聞いたことがあります。
 
卒塔婆とは
 卒塔婆はストゥーパというお釈迦様のお骨を納めた塚の意味です。ですからお寺にある五重塔などはお釈迦様のお骨が入っている尊い場所だよという目印になっています。それがお骨がある場所に塔を建てるという意味に使われるようになったのでしょう。
 もう一つは、お寺を建て塔を建てることが故人への供養になるという経典をもとした考えです。お寺のために塔を建てるのが無理だから、塔に見立てた板を立てておこうという考え方です。
 そして法華経には「この教えが説かれるところには何百もの塔が立つ」という一説があったと思いますが、それが元になっているかもしれません。



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