お盆(盂蘭盆会)について


お盆の準備
 お盆が近づいてきました。季節になると、スーパーでもお盆セットを売っていますが、買い求める必要はありません。灯籠も提灯も必要ありません。浄土真宗のお盆は、ナスの牛もキュウリの馬も用いません。
お内仏をお掃除して、新しいお花を生けるだけでよいのです。
お盆期間中は亡くなった有縁の方に思いをはせ、ご家族でお勤めをしてください。
お盆は『盂蘭盆経』というお経を元にした行事です。そのお経の中に七月十五日の梅雨明けに行事をしなさいと書いてあるそうです。その後、新暦と旧暦でお盆が七月と八月に分かれました。
一般的なお盆 浄土真宗のお盆
亡くなった人 どこで、どうしているだろうか? 浄土で仏様になっています。
日にち お盆の期間だけ帰ってきます。 いつも一緒にいます
迎え火 故人の霊が迷わないようにマコモを焼いて迎え火をします。 故人は自分の家に迷わない仏様です。煙を見なくても迷いません。
ちょうちん 故人を迎えるための明かりです。お墓まで迎えに行きます。 天井から切子灯籠を吊しますが、お持ちでなければいりません。
ホオズキと縄 結界を作って閉じ込めます。 故人は家に入っても悪さをしません。
お給仕 毎食新しいお茶と水、決まった日時に決まった料理を供えます。 いつも通り、お仏飯と花が枯れたら新しくします。
精霊棚 故人が帰ってくる場所として祭壇を作っておきます。 故人はいつ、どこにいても困らない仏様です。
野菜のお供
葉の皿
故人のために食事を用意します。 故人は飢えに苦しむ事はありません。
馬と牛 行く道、帰る道が楽なように乗り物を用意します。 故人は苦労をして移動しません。思った時、そこにいます。
送り火 故人が煙となって帰ります。 私が故人の事を忘れれば遠くにいます。
上記は宗泉寺の住職の考えるやり方です。確かなことは菩提寺に問い合わせましょう。


     宗泉寺でのお盆法要について    
     盂蘭盆会(お盆)合同法要
日付 8月1週目の日曜日
時間 午前の部 午前10時
    お昼の部 正午12時
    午後の部 午後2時
場所 宗泉寺本堂

 お勤めの後、住職が法話をします。合わせて四十分ほどで終了します。
■持ち物
 合同法要ですので、法名軸、お供物、お花は飾ることができません。お念珠をお持ちになってお参り下さい。
 出欠は、別に送ります往復葉書に、出席人数と出席の時間帯をご記入の上、ご返送下さい。なお、車で来られる方は車の台数もご記入下さい。
■会場
 例年お参りの方が多く見えられますので、法要中本堂にお入りいただけない場合もございます。その場合は別室にてモニターで法要の様子を中継でお参りいただくか、廊下からお参り頂くようになります。ご了承ください。
■駐車場
 駐車場も相当の混雑が予想されますので、お近くの方は自転車等を、遠方の方も可能であれば、タクシー等の公共交通機関をご利用くださると助かります。重ねてご理解とご協力をお願いいたします。
 なお駐車可能台数は、二十五台程度です。十二時、午後二時の法要は比較的空いています。


盂蘭盆会(おぼん)
日付 七月十三日~八月十六日
時間 随時
場所 お寺・ご自宅

 お盆のお参りをします。宗泉寺では依頼のあった方だけにお参りをしております。
 八月十三日~十六日は宗泉寺で御葬儀をした新盆(一年以内にお葬式をした家)の方を優先受付します。該当する方は七月十六日まで優先受付致します。一般のお盆の方は七月十七日以降に連絡して下さい。
 お寺での個別法要は八月十四日です。時間は新盆で二十分+法話、毎年のお盆で一〇分のお参りをします。
※注意 八月のお盆期間はお盆の法要以外はいたしかねます。また墓前での法要は受け付けません。他の法要も一緒にして欲しいというご家庭は八月のお盆期間は避けてください。七月はすいております。
 道路状況等で予定時間から三〇分前後することがあります。会場には早めにお集まり下さい。
   
     

   
お盆の意味について
 地方によって違いもありますが、七月または八月十三日から十六日までの四日間をお盆としています。
 お盆とは詳しくは「盂蘭盆會(うらぼんえ)」と言います。
 孟蘭盆とは、古代インドの言葉ウルランバナの音写で、「倒懸(とうけん)」木にさかさまに吊るされるという意味で、非常な苦痛を例えた言葉です。
 お釈迦さまのお弟子の目連尊者は、神通力によって母が餓鬼道に落ちて苦しんでいるのを見つけました。目連尊者は自分でどうにかしようとしましたが何もできず、お釈迦さまに相談しました。お釈迦さまのいうとおりに百味の食事を沢山の僧侶に供養し、その功徳によって餓鬼道におちて倒懸の苦しみを受けていた母を救ったという内容のお経が中国から伝わって行事になったものです。
 そのことから父母や祖先を追憶して、これに孝養(親につくす)を尽くすということが、この行事の趣意であります。これは儒教の考え方で年長を敬いなさいという教えから作られた教えだと考えられます。
 しかし、今日ではそれに色々な迷信的なものが付加されているようです。
 わたくしたち真宗門徒としては、雑多な迷信的な慣習をすべてぬぐい去りたいものです。静かに目連尊者の故事を偲んで、深く親の恩、祖先の恩をおもいましょう。恩を感じて親のために何かしたいという心が起こった事を縁として、いよいよ仏法を聞く場へ足を運び、本願念仏のすくいをよろこびたいものです。
 道綽禅師(どうしゃく)、七高祖の第四祖の
「前(さき)に生まれん者(もの)は後(あと)を導き(みちび)、後(のち)に生まれん(う)者(もの)は前(さき)を訪(とぶら)え、連続(れんぞく)無窮(むぐう)にして、願わく(ねが)は休止(くし)せざらしめんと欲す(ほっ)。無辺(むへん)の生(しょう)死海(じかい)を尽くさん(つ)が為(ため)の故(ゆえ)なり」
(訳:先に生まれる人は後に生まれる人を正しい道に導いて、後に生まれる人は先に生まれる人にあいにいきなさい。それは連なって終わることがなく、願わくば止まって欲しくはありません。全世界の悩み苦しむものをなくすためだからです。)
のお心をかみしめたいことであります。





コラム お盆の疑問
 浄土真宗ではマコモや馬や牛といった乗り物が必要ないそうですが、どうしてですか?

 亡き人を丁寧に迎えるために様々な道具が売られていますが、浄土真宗の教えでは特別な用意はいりません。
 マコモは神道でも使われるもので外の世界(野生)を表します。ご先祖様が帰って来てわざわざ草の上に居場所を作るというのはどうしてでしょうか。
 他宗派のお盆は施餓鬼という意味が元になっています。飢えた先祖に食べ物を施すという仏事だそうです。
 餓鬼という正体不明の魑魅魍魎が家の中に居るのは嫌な事なので、草の上に葉っぱの皿を使って食事を出す、接客はするけれど居心地の悪い空間を作って早く帰ってもらいたいというやり方です。
 でも供養しないと飢えた先祖に悪いことをされるかもしれない。ということが元になっているように思います。
 また、馬や牛にしても人間の乗り物として生まれたわけではありません。地方によっては船を用意するところもあります。これは移動を表すものでしょう。でも何故一年の三六五日の三泊四日だけを許すのでしょうか。本当に過去に生きた人間として大切にしていると思いますか?
 浄土真宗の教えは、いのちあるものを一人も見捨てないという誓いをされた南無阿弥陀仏を大切にする教えです。
 亡くなった方を迷ったもの、飢えたもの、力無きものにして自分を保とうとする自身の考え方を少し見直してみましょう。


問 なぜ日にちが決まっているのですか?

 お釈迦様がインドの雨期が空けたとき。食べ物を減らしていたお坊さんに施しをしなさいと言ったことが元になっています。インドの梅雨明けが7月15日であったことからお盆の日にちが決まりました。
 その後、日本に伝わり日にちが少しずつ伸びていったようです。
 お坊さんにご馳走する行事から餓鬼にご馳走をする行事に変わっていったようです。





お盆のおかざり(荘厳)
1. お盆の前日には、お内仏(お仏壇)の中を羽ホウキ等でお掃除します。
2. 仏具類を金属磨きでのお磨きを終えておきます。
3. 法名軸を全ておかけします。
4. お花を備えます。
5. 打敷(三角形の綺麗な敷物)をお内仏の中の机に敷きます。
6. 華束(おもち)を一対お備えします。
7. 提灯は、できれば切籠(きりこ)という盆灯篭を天井からお掛けします。
8. 家族そろってお参りしましょう。

写真上:切籠
写真左下:供華に華束が乗ったもの
写真右下:打敷(夏用)

 上記は本山指定の正式な荘厳です。
 切り子灯籠が手に入らない。天井から釣れないという方いると思います。
 宗泉寺でお盆法要の依頼があったときは、
  ●お内仏(お仏壇)の掃除をする
  ●生花をかざる
 以上の事だけをお願いしています。
     

   
     切子灯籠(きりこどうろう)    
     浄土真宗で使うお盆の提灯です。以前からどういう由来があるのか調べていましたが資料がありませんでした。しかし、インターネットで似たような灯籠を飾る行事を見つけました。
インドネシアのウェーサック祭という行事の飾りだそうです。東南アジアで行われるお釈迦様の誕生を祝うお祭りだそうです。切子灯籠はもしかしたら東南アジアから伝わってきたものかも知れないです。
   
           




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