坊守空間
釋尼光智
住職の原稿より好評なのでHPにも掲載することにしました。

     仏花を生ける研修会に参加    
      お花についての実践的な講習会ということで、普段のお給仕に生かせればと参加しました。今回の先生のお話はかなり実践的でわかりやすく、普段の仏花に積極的に取り入れていける技術がたくさんありました。
 まずは、基礎の確認として、高さ前後左右を含めたバランスについて図解して下さいました。普段の自分が生けたときのかたちを平面の、しかも正面から見た形しか意識してないということをこの段階で実感しました。実際に生けたところを横から見せてもらったときに、こんなに立体的にできるんだということに驚きました。
 また、目指す形にお花をまとめるために、自由に道具を使用することにも驚きました。通常花を生けるために使うような道具以外にも、結束バンド、ワイヤーなどで工夫して形を作るというのは工作みたいで面白く感じました。荘厳というのは浄土の様子を表しているというのは聞いていたことですが、お花も浄土のジオラマの一部みたいだなと思いました。
 また、仏花と言えば菊など和花のイメージですが、洋花なども自由に用いることが多いそうで、洋花であろうと雑草であろうと和花であろうと花の命に変わりは無いという言葉が印象に残りました。自由に生けることが浄土の様子を表す一部ということと相反しないという部分に、仏花って奥が深いなあと感じました。
   
         
     

   
     横浜別院聖人七五〇回忌御遠忌巡回講座
親鸞と東国-神奈川県を舞台としての活躍
   
      先日厚木市内で催された講座で、筑波大学で日本中世史、仏教史を研究されている今井雅晴先生のお話を聞いてきました。
 テーマは、「親鸞と東国〜神奈川県を舞台としての活躍」でした。
 歴史学者ならではの立場でのお話が聞けて、面白く興味深かったです。
 まず、今現在私たちが持っている在野の聖であり権力者と闘う親鸞聖人のイメージが七百御遠忌のあった昭和三十六年頃に作られたこと。当時の社会背景が学生運動や労働運動が盛んであったことなどお話しされました。
 歴史学が資料を重視する学問である事は聞いていましたが、受取る人間の背景によって、同じ資料でも読み解く内容が変わってくるということは新たな視点でした。
 現代の社会は、家族のありよう一つとっても昭和三十年代のころと大きく変わっていることでしょう。聖人の説かれた言葉や教えの内容は変わらなくとも、受取る私たちの方は変わってきているということは事実なのでしょう。先人がつくった親鸞聖人像に疑問を持ち、今の私たちに届くものを得るには、今を背景に学び直すことは有意義なことだと思いました。
 また中世史の専門家ならではの、当時の平均寿命や言葉の解釈の違いからの読み解きも興味深かったです。例えば、暁と「あけぼの」というのは違うということは、研究者が資料を読み込むことで新たに発見されたのだそうです。新資料が発見されることのみが新発見ではないということや、当時の社会背景を今の常識だけではかってしまうと解釈が違ってくると言うのも面白かったです。
 親鸞聖人が法然上人の元で学んでいた頃の評判やつながりを利用して土地の有力者の力を借りたのではないかという解釈や、神仏を分けて考えている現代人と神仏は一体なのが当然であった中世の違いというのも、面白かったです。
 言い伝えとして、箱根権現(箱根神社の神)のお告げで神主たちが通りがかりの親鸞聖人をもてなしたというものがありますが、背景として箱根神社に権限を持っていた聖覚上人が親鸞聖人と交友があった可能性が高かった事などを話されました。
 言い伝えを事実と証明しようとすることでなく、事実は事実として研究することによって、まだ明らかでない神奈川県内の聖人の足跡が明らかになるのではないかということでした。
 まだ知られていない事実や今を背景とした視点を得ることで、より深く親鸞聖人という人を知り、教えを生かせるのではないでしょうか。
   
     

   
     登戸研究所資料に行ったこと
―旧日本陸軍秘密戦研究所
   
      神奈川県川崎市の施設に見学に行ってきた人から感想を聞いて興味を持ち行ってきました。
 お盆がおわったすぐ後の暑い日で、駅から資料館まで徒歩十分とありましたが、道に迷ったり急な坂を上がったりして、汗だくで二十分ほど歩きました。
 資料館は明治大学の生田キャンパスの敷地内にありました。軍の秘密の研究所で、風船爆弾を作っていたという話を聞いたことがあるくらいで、どんな所なのか興味深く見学してきました。
 スパイ用の消えるインク、偽札の研究など荒唐無稽に思えるものや、毒薬や生物兵器のような恐ろしい研究など、研究の内容はわかっているだけでも数多くありました。風船爆弾は、あんなのんきな外見でも確かに兵器で、人を殺傷していたことを初めて知りました。
 研究所には、近所の人の紹介で勤めていた事務員、工場の工員など、多くの一般人も務めていたそうです。ゆったりした雰囲気の職場という面もあったそうですが、やはり研究所の研究に関することは一切口外してはいけなかったそうです。
 今でも、全部が明らかにならないのは、多くの人に機密を口にしてはいけないというプレッシャーがかかっていたということなのでしょう。
戦後、一九八〇年代になってからの高校生や市民の地道な聞き取り調査で多くのことが証言されたということです。戦争のための宣伝や兵器の研究自体も恐ろしいけれど、解散後も口をつぐまなければならない気持ちや状況をとても恐ろしいことだと感じました。
本や映像でも勉強できると思いますが、実際に残された建物を一部であれ、足を運んで見てきて、本当にあったことなのだと感じられたと思います。

明治大学平和教育登戸研究所資料館
【住所】神奈川県川崎市多摩区東三田1-1-1
【最寄駅】小田急線「生田駅」下車南口徒歩約十分
【開館時間】水曜〜土曜 十時〜四時

   
     

   
    寺族女性のつどいに参加して    
      二月末頃に、練馬の真宗会館で寺族女性を対象にした研修会が行われました。坊守が参加してお話を伺ってきました。寺族というのは住職の家族のことです。

 江戸時代の女性の旅というテーマをなんとなく面白そうだと思って参加しました。江戸時代の旅行というと、テレビの水戸黄門のイメージくらいしかなくて、なんとなくお話を聞き始めました。ですが、はじめからおもしろくてびっくりしました。とにかく、先生の話しぶりから、江戸の文化と旅のことをとても好きなのが伝わってきました。
 前半の関所の話は、融通のきかなさゆえのおかしみも粋な計らいもありで、まるで落語の世界です。
 たとえば、女性の通行手形ですが、分類にやたら大雑把な所があります。未婚女性は振り袖、既婚者はお歯黒といった具合に分類されていたということですが、実情には合っていなかったそうです。女性は、関所で裸になって髷をほどいて特徴を調べられるという制度が採用された時期もあったそうですが、廃止になった後も町人たちには知られてないことや、わりと普通に賄賂や抜け道が利用されていたのも、具体例があっておもしろかったです。情報の行きわたらなさや関所の融通のきかなさにまつわるドタバタは笑えたけれど、今も人間のすることはさほど変わらないのかもと、思いました。不正がわかれば死罪だそうですが、摘発の例が意外と少ないことにも驚きました。
 後半のきよのさんの旅日記ですが、女性の、しかも人に見せる気のない日記というのが、貴重な資料だということでした。きよのさんは、豪商のおかみさんなので恵まれた例ではあるのでしょうが、やりたいことは全部やっていそうです。寺社仏閣へのお参りもするけれど、船頭さんの脅しも恐れず水路を行くし、遊女をあげてお酒を飲み、昼間の抜け道もお手の物。お小遣い帳は途中でめんどくさくなって止めるところも豪快です。貧しい女性でもお陰参りや抜け参りという手段があったそうなので、誰でも旅ができた自由な雰囲気を感じました。武家の女性はまた違うのかもしれませんが、江戸時代の女性は意外に自由な雰囲気を生きていたような気がしました。封建的な世の中で、制限があって窮屈そうだと思っていたら、個別に見れば自由にしている人もいます。思い込みを捨てて、やりたいことをやってみれば案外何でもできるというのは今も変わらないかもしれません。それはそうとして、どこか行ったことがない場所に旅行したくなりました。それぐらい愉快痛快な旅のお話をうかがうことができました。 
   
     

   
「法然と親鸞展」を見ました。
 上野の国立博物館平成館で開催中の「法然と親鸞〜ゆかりの名宝展」を見てきました。平日のお昼前に行ったのですが、スムーズに前に進めないぐらいの人出でした。
 子どもの幼稚園のお迎えまでに帰らなければいけないので、文字通り駆け足で見ることになりましたが、絵や像も多くて興味深く見ることが出来ました。目当ての前期のみ展示の『阿弥陀二五菩薩来迎図』も無事見られてとても良かったです。来迎図は、想像していたよりもずっと大きくて他の絵よりも何が起こっているのか見やすかったです。中腰になってお迎えに来ている菩薩の姿や遠くに見える浄土などがよく見えました。
 見たかった物は見られましたが、もう一度ゆっくりと見て回りたいなと思いました。
 前期展示はもう終わってしまいましたが、後期展示は2011年十二月四日まで開催されていますので、是非見に行くことをお薦めします。


舞台『法然と親鸞』観覧
 昨年の暮れに、東京の青山劇場に前進座による舞台『法然と親鸞』を見に行きました。
久しぶりの都心だったので、人混みや見慣れない場所に、ちょっと浮き足立ちながら劇場までたどり着きました。
 舞台の内容は、法然上人の子供時代から亡くなるまでと、親鸞聖人の若い日から京都へ帰られる前までのお話でした。
法然上人が子供の頃父と死に別れる時の有名なエピソードをはじめ、親鸞聖人と法然上人のかかわり、流罪のことなどが大変わかりやすく紹介されていました。
 文章で読むと面倒に感じられたり、いまひとつ感じがわからないものですが、映像や舞台は作り手の解釈はあるでしょうが、わかりやすくて印象に残りました。
 また、違った風に映像化や舞台化といった試みがされてもおもしろいでしょうね。


無事に生まれました
 今年の一月二十九日に無事次女、縁花(よりか)が誕生しました。
里帰り出産でしたので坊守が三ヶ月間留守にしていました。お参りにいらっしゃった方にはご迷惑をおかけいたしました。
 おかげさまで、無事に元気な女の子が生まれました。皆様には里帰り中も転送で電話をとった時や、住職を通じて心配していただきました。またお祝いの言葉をいただき、うれしく、ありがたく思っております。
 妊娠中の検診では、「赤ちゃんはちょっと小柄ですね」と言われていたのに、生まれてみると三三四四グラムもある大きな赤ちゃんでびっくりしてしまいました。
 経産婦は予定日より早く生まれるかもときいていたのに一週間すぎても生まれず、とても待ち遠しかったです。そして「明日は入院して薬で痛みをつけて産みましょう」と言われた日の晩に自然に陣痛がきて、しかも安産でした。聞いていた通り、あっというまに陣痛の間隔が短くなって、いきみたくなりました。長女のときも安産だったのですが、陣痛室にいる時間がとても長く感じた覚えがあったので、今回は「えーもう分娩室」という感じで驚きました。
 今は茅ヶ崎に戻って一ヶ月になりました。新メンバーを加えた四人での生活にもなれ、バタバタしつつもみんな元気です。長女のほうは里帰り中にずいぶん成長して口も達者になってきました。少し赤ちゃん返りをしていますが、お姉ちゃんの自覚もあるみたいです。
 二度の出産を思い出して共通しているのは、よく生まれてきてくれたねという事と、とてもうれしかったということです。この気持ちを忘れないで、子どもと一緒に成長したいと思います。

初参りはお寺に行きましょう。


本山の若坊守研修会に参加して
 この四月二四日・二五日に、京都の本山で、若坊守研修会が開かれたので参加してきました。坊守とは、住職の配偶者のことです。
 全国から五十人ほどの若坊守が、勉強のために集ってきました。若坊守同士が会う機会というのは、少ないと思うので貴重な体験だったと思います。基本的には坊守・若坊守共にお寺に留守番して家のことやお寺の仕事をしていることが多いようです。ましてや、小さな子どもがいたりすれば、尚更出かけにくいものです。
 また、何かの機会に顔を会わせても、あまりゆっくり話す機会は無かったりします。この会は保育室つきで、寝るときとご飯のときとお風呂のとき以外は、プロの保育士さんがついていてくれました。日ごろ話し合ったり、お話を聞ける機会が少ない若坊守さんたちには絶好のチャンスだったのでは無いかと思います。
 講義の先生は、渡邊尚子さんという坊守さんでした。家族でお寺に入寺され、三人の娘さんを育てられたお母さんでもあり、そういったことを『お庫裡さん奮闘記』という本に書かれています。事前に住職の母からこの本を借りて読んでいた私は、実は、こんなにすごい人と私は全然違うんだから、お話を聞いたところでどうかなあと思っていました。
 でも、講義を受けてみると案外普通の人で、お話も参考になりました。普通というのは、別に悟っていることも無く、腹も立てるというような意味で、です。
講義の内容は、夫婦や、家族など身近な例での“わたし”という六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)から逃れられない私を一瞬ほどいて、相手を私の思いでなく見られるようにしてくださるのが、ナムアミダブツだということが主でした。そのお話にも、なるほどと思ったのですが、坊守新米のわたしとしては、お寺は仏法を売るお店だという言葉がとても参考になりました。
 私は、文句が多いほうで、私はたまたま住職と結婚しただけなのに、仏法もそんなに信じれてないのに、色々やることもあって嫌になると結構思ってしまいます。でも、お店だと思うなら、掃除や草むしりをしてきれいにしたり、行事をして寺報やハガキを出して来てもらえるよう宣伝したりというのは当たり前です。
 以前本屋につとめていたときは、バイトの立場ながら、売り場や売り方に色々と工夫をこらして、そのことが苦ではありませんでした。本というのはハッキリした私の好きなものだったのでわかりやすかったけれど、仏法というものはわかりにくいものです。あ、いいなと思うときもあれば、全然理解できないと思うときも多いものです。先はながそうですが、とっかかりの一端になるような気がしました。
 そうしたお話のあとは、班別で座談の時間となります。元々お寺の娘さんだった人、私のように在家からお寺に来た人など様々でしたが、自分の悩みや思いを話し合うことが出来ました。
 私の班は、二三歳の妊婦さんから四十代で高校生の子どもをもつお母さんまで幅広く、子育ての話もでたりと打ち解けた雰囲気で話すことが出来ました。夫婦のことや、家族のこともたくさん話したのですが、私が印象に残ったことは、お寺の奥さんということでそれらしい振る舞いや発言をしなくちゃいけないという気持ちと普通の人なのになあという気持ちの間で揺れている人が多いということです。
 古くからあるお寺だったりすれば、尚更、町中の人が顔を知っていたりします。うちは開教の新しいお寺なので、そこまでのプレッシャーはないけれど、そういう気持ちはあるなあと思いました。
 お寺のこともキチンとしていて、勉強もしていて、人間もできててみたいなんじゃないとダメなんじゃないかなあと思うこともあるからです。できるかどうかは別として、なんですけど。
 よく私は、住職がトイレをギリギリまでガマンして帰ったり、ちょっと遠くの法要に行ったとき飲まず食わずで帰ってきたりするのを、コンビニにでも寄ればいいのにと言っていましたが、同じことです。衣を着て、お坊さんだと分かる限りはお坊さんらしくしていたいと思っているようなのです。
 そういうのを在家仏教である真宗で言うのは、見栄なんじゃないかなあと思ったりもしていたのですが、それらしさを世間の人たちが期待しているいうプレッシャーがあるのもまた、事実のようです。
 でも、お寺に住んでいるからって、悟っているわけでも特別なわけでも無いです。ただ、お寺に縁があって仏法を広めるのが仕事だというだけです。
 講義も座談もとても参考になったけれど、自分がどんな坊守になりたいか、なれるかというのはまだまだ難しいことです。でも、今までお話を自分のこととして聞けていなかったんじゃないかなあということにハッとできただけでも良かったなあと思いました。
 次にまたこうした機会があれば、坊守の制度的なことやジェンダーについて勉強しているような人のお話も聞いてみたいなと思っています。

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